惨状

警察での事情聴取が終わり、案内されたのは市内から離れた旅館だった。


長い一日に母も私もすっかり疲れ切っており、時間も遅かったため早々に布団に潜り込んだ。

連日気を張っていたせいもあって直ぐに眠りに落ち、翌朝はここ数日間よりすっきりした目覚めだった。

母も昨日よりも明るい表情をしており、二人で朝食を食べた後は旅館の周辺を散歩することにした。

旅行シーズンでは無かったので温泉街と言っても人は疎らで、朝の澄んだ空気に響く鳥の声が心地良い音色を響かせていた。

母も私も他愛もない話をしてゆっくりと歩いたが、お互い不自然なほど父の事には触れず、ただの旅行者のように過ごした。


短い散歩が終り旅館に戻ってから数時間後、父が警察に捕まったとの連絡が来た。

その知らせを聞いた時、これで漸く父から開放されるという安心感が胸の大半を占め、長年父として慕った人との別れにほんの少し哀しみを感じた。


私が高校生の頃に起きた、戸籍上の父の家での出来事が無かったらよかったのだろうか?

性的虐待も無くなり普通の家族として過ごせそうだったのに、あの日父の中の留め具が外れ、全てが狂ってしまった。


それとも、最初から間違っていたのだろうか?

幼い頃は純粋に父を慕い、一緒に遊んだり遊園地に行ったりした楽しい思い出もちゃんとある。

それでも、父と母が出会わなかったらここまで悲惨な結果にはならなかったのだろうか……。


旅館に訪れた警察官の男性と母が話し込んでいるのを聞きながら、私はぼんやりとそんな事を考えていた。


翌日になると、母と私は旅館から出て家に帰った。

家に帰ると言っても警察官と一緒で、現場検証をするので立ち会うことになった。

もう随分長い間帰ってきていない様な心境で家の玄関を開けると、正に目を覆うような状況だった。

食器棚のガラスは割られ、床には足の踏み場もないほど散らかされ、ありとあらゆる物が叩き壊されていた。

そして目を疑うほどの刀傷が部屋中に残っており、襖に障子に壁紙に、そして木の柱さえもズタズタに切り裂かれていた。

模造刀を持っていたか買ったのかは定かではないが、父はそれを持って暴れたのだろうと警察官から説明を受けた。


私は玄関に入るやいなや、物置に使っていた部屋に駆け込んだ。

そこは居間やキッチンとは違い父が暴れた形跡がなかったが、もしかしたらという不安に苛まれながら猫達の名前を呼んだ。

猫達は怯えつつも物陰から姿を出し、私の姿を見るや駆け寄ってきた。

どの猫にも怪我はなく無事だったのを確認して安心できたが、こんなひどい状況でどれほど怖かったのかと思うと悲しくて、私は涙を零しつつ謝った。

警察官の男性が、先に被害が大きい居間やキッチンを現場検証するからしばらくそこに居ていいと言ってくれたので、私は少しの間猫達と一緒に過ごした。

そして落ち着いてから居間に戻り、現場検証に立ち会った。


長い時間に渡って現場検証が行われ、夕方頃に漸く終わった。

警察官同士で話す声や写真を撮る音から開放された空間は驚くほど静かになり、母と二人で世界にぽつんと取り残されたような気になった。


「お父さんも、何もここまですることなかったのに……」


母は散らかった部屋を見てそう呟くと、溢れ出た涙を手の甲で拭って苦笑いした。

母が大事にしていた食器類は割られて床に散らばっており、私が少しずつ集めた本は破られて読めないようになっていた。

私は母に一先ず休憩しようと提案し、無事な茶器を探してお茶を入れた。

お茶を入れている間も、こんなにすべてを壊すほど父が私達を憎んでいたのかと思うと、悔しいような悲しいような気持ちで涙が溢れそうになった。


自宅の片付けには何日もかかった。

母と二人で割れた物や壊れた物を片付け、まだ使えるものは修繕し、少しずつ元の自宅へと戻していった。

それでも、思い出のあった品物はほとんど残らず、捨ててしまうしか無かった。

家具や物が少なくなりあちこちに傷が付いてしまった部屋を見ていると、そこは今まで私達が住んでいた家ではなく、全く別の家のように感じた。

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