進展

一晩中続いた頭痛は翌朝に治まり、何とか動ける程度になった。


私は彼氏に電話をかけ、簡単な事情を告げて避難させてもらうことにし、母は自動車で彼氏の家に送ってくれた後仕事へ向かった。

出迎えてくれた彼氏は心配そうな顔をしながら冷やしたタオルを用意し、ベッドで少し休んだほうがいいと言って部屋に1人にしてくれた。

私は言われた通りベッドに横になったのだが、昨日の事が頭の中を駆け巡り、寝付くことはできなかった。

戸籍上の父と母の親族に電話で暴露されたのは分かったのだが、他に誰に暴露したのだろうと考えると不安で堪らなかった。

私の友達に電話をかけていないだろうか、通っている学校にまで電話をかけていないだろうかと心配で、誰がどこまで私のことを知ってしまったのか分からない事が何より怖かった。

もし知られてしまったとしたら、これから先どうやって生きていけばいいのかすら分からなくなった。


どれくらい時間が経った頃だろう。

不安と心配で身体を縮こませていた時、不意に携帯電話の着信音が鳴った。

携帯電話が鳴るという事態だけで父を思い出し、身体が強張るのを感じながらも恐る恐る手に取ると、ディスプレイには母の着信が表示されていた。

母だと分かって安心して電話に出ると、今すぐに迎えに来ると告げられた。

まだ母の仕事が終わる時間じゃないのでどうかしたのかと尋ねると、母から帰ってきたのは思いもよらない答えだった。


「お父さんね、包丁持って会社に乗り込んできたの……」


憔悴しきった母の声に不安を掻き立てられ怪我をしていないかと尋ねたが、母も社内の人も怪我はしていないとのことだった。

父は包丁を持って母の会社に乗り込んだのだが、社内の人が直ぐに警察に電話をかけたおかげで無事だったそうだ。

警察が駆けつける前に父は何処かに逃走したそうで、このままだと母と私の命に危険性があるとして保護してもらうことになったらしい。


母との電話が終わった後、私は彼氏に事の顛末を伝えた。

私は父に彼氏の存在がバレるようなことは一切していなかったが、もしものこともあるため気を付けて欲しいと訴えた。

彼氏は笑顔を浮かべ、


「オレは大丈夫だから心配いらない。

 これから大変だろうけど、警察が介入してくれて逆に安心した」


そう言って、私の肩を抱いて寄り添ってくれた。

これからどうなるか分からなくて不安で堪らなかったが、側にある体温に安心して少しだけ心が軽くなったように感じた。


それからあまり時間が立たない内に母から連絡が入ったので、念のために彼氏の家から少し離れた場所で落ち合いたいと伝えた。

彼氏の家を出て待ち合わせ場所に向かうと母とスーツ姿の警察官が待っており、生まれて始めて覆面パトカーに乗り込んだ。


運転をしている男性と助手席に座る男性の警察官は私に軽く自己紹介をした後、先に病院に行き、その後警察署で事情を聞くことになると説明してくれた。

覆面パトカーでの移動中も母と警察官の男性は色々話をしていたのだが、私は押し黙ったまま窓から流れる風景を見ていることしか出来なかった。

事件が起きている以上ある程度事情は知っているはずだろうと想像出来たのだが、今日初めて会うこの二人にも、父と私の肉体関係を知っていると思うと恥ずかしくて居た堪れない気持ちだった。

自分が長い間必死で隠してきたものがこんなにも簡単に知られてしまうのか、それならどれだけの人が知ってしまったのか――そう考えると、誰も彼もが私の過去を知っているような気がして人の視線が異常に気になり、誰も私を見ないで欲しいと思うようになった。


私は終始押し黙ったまま病院へ行き、診察を済ませた後は警察署へと移動した。

母が事情を話している間、私は通された部屋で俯いたまま椅子に座っていた。

すると、一人の若い警察官の男性が私の目の前にしゃがんで声をかけてきた。


「ずっと何も食べてないみたいだしお腹空いたよね?

 この先は警察官の自分たちの仕事だから、もう怖いことはないって安心して、これでも食べてて」


そう言って私の手に、そっと暖かいおにぎりを手渡してくれた。

のろのろと顔を上げた私が見たのは警察官の優しい笑顔で、それを見た途端胸がいっぱいになって涙が溢れた。

私がどんなに汚れた身体で恥ずかしい存在か知ってても優しくしてくれる人がいるんだと思うと嬉しくて、世の中全ての人から嫌われるわけではないのかもしれないと考えを改めた。


今まで私が考えていた『隠してきたことが全てが明るみに出た世界』は結局は私の想像の産物で、実際の世界とは違っていた。

全ての人から指を指され嘲笑されるかもしれないと危惧していたが、実際はそんな事はなく、そこには優しい人達がちゃんといてくれた。

これから先に対する不安が全て拭えたわけではなかったが、人の目に怯えきった私が顔を上げるきっかけになったのは、あの警察官の優しさだったのではないかと思う。

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