2:Brave new world(2-3)

 灰色の髪の青年――柊は、それだけ言うとくるりと背を向けて、すたすたと一人扉の方へ歩いて行った。


 慌てて後を追おうと夏生が重い腰を上げると、背後で身じろぎする気配を感じたのか、柊はドアノブに手を掛けたまま付け加える。

「外で待ってる。俺はこの人と同じ空気吸いたくないだけだから」


 後半部分は低い声で毒づくように吐き捨てて、細身の体はそのまま扉の向こうへと消えていく。ガチャリと扉が閉まる音が部屋に響いて、部屋には再び二人だけが取り残された。

「あんた、随分と……嫌われてないか」

「そうでもないさ。彼は誰にでもあの調子だし」

「本当か……?」

 此方を見下ろす冷ややかな表情と、対話自体を拒むような声を思い出す。誰にでもあの調子だという男の評が本当でもそうでなくとも、あまり柊を待たせない方がいいだろう。

 床に足を下ろしかけたところで、夏生は自分が未だ裸足であったことに気付いた。ベッドで半日寝ていたのだから、考えてみれば当然のことではあるのだが。慣れない環境に気圧されて細かい部分にまで意識が回っていなかったようだ。よく見れば服の方も、昨日着ていたはずのシャツではなく、入院患者が身に纏うような清潔で軽い素材のものに変わっている。


「俺の……あー、前に着てた服は」

「昨日の服なら捨てたよ。アレは最早身体に引っ掛かった布でしかなかったね」

「……そうか」


 気を失う前の自分の恰好を思い出すと、そう言われても仕方がない気がする。元々着古していたものを、一連の騒動で更にボロボロにしてしまったのだ。泥や血で出来た染みだけでなく、異形に爪を立てられた時にいくつも穴が開いていたはずだった。母親には申し訳ないが、確かにあれではもう使い物にならないだろう。

 履いていた靴も同様だろうし、此処に替えの服など持ってきているはずもない。夏生は仕方なく素足のままベッドから降りた。

 ずっと横になっていたせいか、立ち上がった拍子に少しだけ眩暈がした。起きてから数十分しか経っていないはずなのに、随分と長くこの部屋に居たような気がする。パイプ椅子に腰かけたままの男の様子を横目で伺うと、早く行けと言わんばかりにひらひらと片手を振られた。興味を失った玩具を放り出す子供のような適当さに呆れて、夏生の口から思わず溜め息が漏れる。


 お望み通り、さっさと出て行ってやろう。そう考えて扉の前まで歩いたところで、夏生は一つ、男に言い忘れていたことを思い出した。

「まだ何か?」

 夏生が不意に足を止めたことに気付いたようで、男がおざなりに視線を寄越してくる。

 問いに答えようと口を開きかけた瞬間、先手を売って「質問ならさっきの一つでお終いだよ」と断られた。男が最初からそう言っていたのは承知しているし、そこをあえて食い下がってつつかれるような真似はしない。


「ありがとう。世話になった」


 数歩分離れた距離でも聞き逃されないよう、聞こえない振りもできないように。

 そう意識してはっきりとした声を出すと、男は一瞬だけ虚を突かれたように目を見開いた。

「……ボクは、つい数分前にキミの腕を切り裂いていた男なんだけど」

 そこを掘り返すのか。つい数分前は自分で流せと言っていたくせに。

「勝手に切りつけたことに関しては許してない。……けど、普通礼ぐらいは言うだろう。俺にとってあんたは」


 ――腹を刺されて倒れ込んだ時、自分はこのまま死ぬのだろうと思った。徐々に薄れていく意識、僅かに動かすことさえ叶わない身体。死は単なる予感ではなく、覆しようもない未来としてそこにあった。

 この男が現れるまでは。


「……一応、命の恩人なんだから」


 理由はどうあれ、命を救われた。だから、夏生は彼に感謝しなければならない。


 男は暫し呆けたように固まって、それから心底鬱陶しそうに顔を歪めた。

「キミは本ッ当に――下らない男だなあ」

「……そう思うならそれでいい」

 男に『下らない』とばっさり切り捨てられたのは二度目だ。けれど昨日も今日も、それを不快だとは何故か感じなかった。むしろ少し清々しい気分になるぐらいだ。会ったばかりの人間に対して失礼な奴だとは思うが。

「今度会ったときは、ちゃんとした名前の方を教えろ。……横文字の肩書で呼ぶのは、少し……恥ずかしい」

 実際はそこまで横文字に抵抗があるわけではなかったが、恩人の名前も知らないままでいるのは何となくすっきりしない。そういえば――先程はつい問い詰めるのを忘れてしまったが――男はいつの間にか俺の名前を知っていたのに、自分だけが教えてもらえないのは不公平だ。

 本気で恥ずかしいと思っているわけでないことが分かっているのだろう。男は夏生の頼みを一笑に付して、再び退出を促すように扉を指差した。

「善処しよう。……日本語だと『お断りだ』って意味なんだろ?」



 扉を開けると、部屋の外には長い廊下が広がっていた。


 壁や床は、先程まで居た部屋と同じようなコンクリート張りだ。柊は扉から少し離れた壁に背中を預け、夏生が出てくるのを待っていたようだった。廊下には彼以外の人影はなく、どこかで換気扇の回る音だけがごうごうと響いている。


「待たせた。柊……さん」

 呼び方に迷いながらも声を掛けてみると、柊は面倒臭そうにふいと顔を背けた。

「柊でいいよ、デカい男にさん付けされてもむず痒いし」

 此方を見ないまま突き放すようなトーンで紡がれた言葉に、夏生は黙って頷いた。


 相手の顔を見つめながら話すことは、俺もそこまで得意ではない。というよりも、自分の口下手さに無駄に大きい図体、それに目つきの鋭さが時折他人を怯えさせていることに気付いてからは、意識して避けるようにしていた。そういったことを気に留めない人間ならその限りではないし、極端に自分から逸らしたがる程でもないが。

 けれど柊の風貌は自分とは違い、それだけなら人に避けられそうなものではない。そして彼の方が俺の外見に恐れを抱いているとも思えない。先程の部屋での言動から察してはいたが、単に他人に愛想よく振舞うことがあまり好きではないのかもしれない。

「そうか。……俺は、」

「あの人から聞いた。鎧戸クンでしょ? ……ここで井戸端会議するのも馬鹿らしいから、歩きながら話そう」

 そう言って歩き出した男の背を追いながら、夏生は周囲の様子を観察した。


 薄暗く長い廊下は、大人の男が二人並んで歩けそうな程度には幅がある。本当に他に誰もいないのか、それともただ壁が厚いだけなのかは分からないが、幾つも並ぶ扉の向こうからは物音一つしなかった。

「裸足? ……まあ、あの人が部屋履きとか用意してるわけないか」

 歩きながら背後をちらりと視認した柊が顔を顰める。床には薄く埃が積もっており、歩く度に足裏にペタペタと貼りつくようで少し気持ちが悪い。建物自体の古さのせいもあるのだろうが、掃除はあまり行き届いていないようだった。

「……室内だし平気だ。気にしなくていい」

「言われなくても気にしないけどさあ」

 そう言った柊の方は底の厚い作業靴を履いていて、歩くたびにコツコツと小さく音が鳴っている。人気の無い廊下に一人分の靴音を響かせて歩く男を追いながら、夏生はかねてから疑問に感じていたことを零した。

「随分広いんだな」

「ああ、旧時代には軍の方で使ってた施設らしいから。今はこっちの職員しかいないけど……」

 『こっち』とは、先程男が言っていた組織……特務機関のことだろう。軍とは別の、表沙汰にしたくないことをしている場所。柊からそれ以上の説明はなく、そこで一端会話が途切れた。

 無言のまま歩き続けていると、漸く廊下の突き当たりまで辿り着いた。突き当たりといっても曲がり角があるわけではなく、夏生達の前にそびえ立っているのは見るからに重たそうな鋼鉄製の扉だった。扉には金庫を思わせるダイヤル式の鍵が付いており、番号を合わせて開ける仕様らしい。柊は少し手間取りながらもダイヤルをカラカラと何度か回しては止めてを繰り返し、一分足らずで扉は開錠された。

 柊が右手で押すと、扉は外見よりも簡単に――というか、彼が自分と同じような体を持っているのなら、このぐらいの重さは何でもないのかもしれない――開いて、扉の先にも通路が続いており、その奥にはエレベーターらしきものが設置されているのが見える。



 再び、今度は二人並んで歩き出した時、柊が思い出したように口を開いた。

「ここの番号とか、そういうのは別に覚えなくていいから。明日からは滅多に来ないと思うし。……機関のことはあの人から聞いた?」

「一応は」

「そう。……じゃ、一応。昨日の晩のことだけ説明してあげる」

 指で髪を弄りながら吐き捨てる柊の姿を、夏生は少し意外だと思いながら見つめていた。見るからに怠そうな様子ではあるが、一応上司から任された案内役の仕事は全うしてくれるつもりらしい。


「普段なら、異形が境界よりも少し外側……警戒区域に入ってきた時点で討伐隊が出動するから、街中まで侵入されることはあまりないんだけど。昨日はちょっとトラブルがあったらしくて」

「トラブル?」

「まあ、人災だね。監視塔の方で任務放棄者が出て、警戒区域内への異形の侵入に気付くのが遅れた。そのせいで隊の到着は遅れるし、位置の把握にも手間取るしで……結局、取り逃した一体が境界内に侵入したところで俺達が駆り出されたわけ」

 境界付近に兵士が見当たらなかったのはその処理に奔走していたせいなのだろう。『俺達』『駆り出された』という言葉に、夏生は自分を助けた金髪の青年のことを思い起こした。白衣の男が話していた通り、青年や柊のような強化人間は本当に異形を始末する役目を担っているらしい。

「鎧戸クンはそいつと鉢合わせしちゃったってこと。運が悪かったね」

 「本当に」と溜息をつく柊の声色は相変わらず冷えていたが、少しだけ細められた橙色の目はどこかしら本気で此方を哀れんでいるようでもあった。

 運が悪いと言われれば、確かにそうなのかもしれない。血液業者とのいざこざが無く、普段通りに生活していれば昨日あの道を通ることは無かっただろう。けれども、其処に居たからこそ、あの男が異形に気付かず歩いてきた時に庇えたわけで――そこまで考えたところで、夏生ははたと足を止めた。


「何? 何か気になることでも……」

 突然歩みを止めた同行者を不審に思ったのか、柊が怪訝そうに尋ねてくる。

「……他には?」

「は?」

「他に被害は? 昨日……異形が居ることに気付く前だけど、首が無い男が倒れてるのを見かけた。俺が見たのはその一人だけだ。それで……他に死体は無かったか?」

 境界外にいた異形を一体殺したことで、あの男は逃げられたのではないかと勝手に思い込んでいたが、冷静になって考えてみればまだ正確な安否は確かめられていない。――本当に無事に逃がせたのだろうか? 一度疑いだすと不安が増幅していくばかりで、いつも以上に上手く言葉が出てこないことが腹立だしい。

「奴に襲われた時に、もう一人……あー、浮浪者みたいな恰好の男が一緒に居て……異形の方は、境界外まで俺についてきたから……逃げられたとは、思うんだが」

 突然焦った様子で喋り出した俺のことを、柊は少し驚いたような面持ちで見つめていた。要領を得ない質問の全てを聞き終わった後、暫くは記憶を辿るように黙り込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「あの付近なら、一般人の死体は一つしか出てないはず。それがその……首無しなんだろうから、もう一人の方は普通に逃げたんじゃない?」

「……そう、か」

 柊の冷静な受け答えを聞いて、夏生は思わず安堵の息を漏らした。


「よかった」


 ――あの男は生きている。自分の目で確かめたわけではないから、絶対に、とまでは言い切れないけれども、それに近い確率で。その事実を噛みしめると、先程まで感じていた不安と緊張は一気に和らいだ。何よりも、昨晩暗闇の中で聞いた男の悲鳴――死にたくない、という切実な願いが打ち砕かれなかったことが純粋に嬉しい。


「……そいつ、親御さんか何かなの?」


「いや、別に……家族じゃない」

「え、他人?」

「……昨日初めて会ったから……まあ、そういうことになるな」

 正確には一昨日にも一度会っているのだが、男の方は夏生のことを覚えてはいないだろう。昨日の邂逅だって一瞬だったのだ。あちらから個人として認識されている可能性は殆どない。夏生の方は彼の顔をはっきり記憶しているので、一方的な知り合いとでもいうのが正確かもしれない。

 たどたどしくも答えると、柊は更に質問をぶつけてきた。

「……奴から逃げてたにしたって、一般人が外で見つかるなんておかしいとは思ってたけど……知らないオッさんに捨て石にされてたの?」

「捨て石……? ……いや、別にそういうのじゃ……俺の方が、勝手に引き受けたというか」

「引き受けた? ……それで境界外に逃げたわけ?」

「……ああ」

 具体的に言葉にするならば、そういうことになる。……なるのだから、そう答えて良いはずなのだが、返答する度に柊の機嫌が下降していくのが声色で分かるので少しだけ躊躇った。

「そんなの、逃げ切れないに決まってるでしょ?」

「それは……危ないだろ、街の方に逃げたら……」

 異形を引き連れて街中へ逃げ込むなんて、そんなことをしても徒に被害を増やすだけだろう。それならば、少なくとも一般市民は立ち入らないであろう境界の外へと誘い込んだ方がまだ安全なはずだ。現に『外』では特務機関以外の人間には出会わなかった。

 もっと賢い方法は他にあったのかもしれないが、結果として男は無事だったのだ。あの時の自分が思いつける案の中では、きっとこれが最善だった。

「……お前さあ」

「……何だ」


「――バッッカじゃないの」

 一拍置いて放たれた言葉には、これ以上ないほどに冷え冷えとした怒りの感情が込められていた。


「……昨日のことは街では何の騒ぎにもなってないし、市民から通報があったって話も聞いてない」

「そうなのか?」

 それはむしろ柊としては――というより特務機関、引いては中央政府としては喜ぶべきことなんじゃないだろうか。活動自体を表沙汰にしたくないのだから、騒ぎのせいで強化人間の存在が明るみに出たりしては困る。異形が境界内に侵入していたと市民に知られるだけでも政府の面目は丸潰れだろう。


 白衣の男との一連のやり取りを経て、面と向かって自分の行動を否定されること自体には少し慣れてきていた。ただ、男に言われた『くだらない』があくまで侮蔑や呆れの響きを持っていたのに対して、柊の声色から滲み出るものは隠しきれない苛立ちだ。呆れるならまだしも、彼が自分に対して怒る理由が見当たらない。

「そうなのかってさあ……あのね、分かってる?」

 少しだけ声を荒げ、柊は夏生の正面に向き直った。彼がしっかりと此方の顔を見据えたのはこれが初めてかもしれない。相手を射抜くような鋭い視線は、部屋で白衣の男に対して向けられていたものと同じだった。

「通報も何もなかったってことは……お前が庇った男は、無事に逃げ果せたくせに、その後もお前のことは何にも気にしてなかったってことでしょ? 人に庇ってもらっておいて、そいつの安否を欠片も気にもしない奴のために大怪我したのに、それで『よかった』って何? 脳味噌に花でも咲いてるんじゃない?」

 男はそのまま逃げて、異形に襲われたことも、そのせいで他の人間――夏生が境界外へ出たことも、恐らくは誰にも伝えていない。だから街で騒ぎにならなかったのだと言いたかったのか。男が助けを呼んでくれるなどとは最初から思っていなかったので、説明されるまで二つの事柄を全く結びつけられていなかった。

「あいつは……薬か何かやってるようだったから、元からそういうことは期待してない」

「ますます何で助けたわけ、そんなクズ……放っとけばいいでしょ。恩売ったって何の得にもならないのに」


 吐き捨てるような柊の言葉に、夏生は白衣の男と初めて出会った時の問答を思い出していた。彼も、何故見ず知らずの薬物中毒者を助けたのかと自分に問うたのだった。

 それに対して自分が出した答えは単純で、多分、くだらないものだ。誰かが傷つく所を、『死にたくない』と願う人間が死ぬところを見たくないと思う。その感情のためだけに飛び出して、あの男が来なければ確実に死んでいた。けれど彼と会ったから、自分は生き返って――その衝動は、一度死んだくらいでは変わらないことを知った。


「良い奴じゃなくたって、死んでもいいってことはないだろ」


 ――まともでなかろうが何だろうが、生きたいと願う人間が、その思いの分だけ生きられたらいい。俺はきっとそんな世界を『望んでいる』。強化人間の役目を受け入れたのは、その望みを実現するための何かが、此処でなら出来るようになる気がしたからだ。


 柊はすっかり呆れかえったような表情で、少し脱力気味に呟いた。

「……へえ、そう。……そういうタイプのバカか」

「どういうタイプだ」

「俺の一番嫌いなタイプのだよ」

 この返事では到底納得してもらえないだろうとは思っていたが、案の定だったらしい。

 だからといって自分の主張を曲げる気もないが。……大体、

「別に……お前に咎められる筋合いはないだろう」

 今更ではあるが、昨晩の俺の行動で死にかけたのは俺一人なのだから。確かに傍から見ればバカな振舞いをしたかもしれないが、そのことでこうも延々と罵倒されるのは少し理不尽じゃないのか。

「仕方ないでしょ見てるだけでムカつくんだから! 嫌なら俺の半径二メートル以内に近寄らないで」

「無茶言うな!」

 先程までの詰問が軽く思えるほどの無理難題を吹っかけられ、思わず声が上ずった。

 いくら今いるフロア全体が余裕のある作りになっているとはいえ、男二人が横並びでそこまで距離を取れるほどの広さはない。通路を縦に使えば出来ないことはないが、そんなことの為にわざわざ二メートルも後退するのは馬鹿馬鹿しすぎる。

「そのぐらいお前と関わりたくないっていう例えだよ……あーあ、くっだらない立ち話で時間無駄にした。さっさと次行って終わろう、ほら早く」

「途中からはお前が話してたんだろうが……」



 早足で歩き出した柊を追って、通路の奥にあるエレベーターの方へと向かう。近くの壁に階の表示はなく、此処が何階なのかは未だに分からなかった。

 エレベーターは見た限り一つきりで、それもかなり年季が入っていそうな代物だ。まともに動くだろうかと一瞬不安を感じたが、こういった機械を利用する機会はこれまであまりなかったので、少しだけ新鮮な気持ちもある。柊が下りのボタンを無意味に連打していると、程なくしてエレベーターが到着しドアが開いた。

 先程まで広々とした空間に居たからか、乗り込んだエレベーターの箱の中は二人だと少し窮屈に感じた。柊はといえば、腕を前で組んで壁に凭れかかりながら「本当、何でお前みたいな奴が……」と未だにぶつぶつと文句を言っている。……仕方ないだろう、『身体的な適性』で選ばれただけなんだから。

 一瞬身体がふわりと宙に浮く感覚があって、夏生はエレベーターが下降を始めたことを悟った。自分達を乗せた箱が、僅かな音を立てながら地下深くへと下りて行くイメージが頭に浮かぶ。

 内臓が浮き上がるような錯覚に少し酔いそうになりながら、夏生はふと、自分がこの案内の目的地を聞いていなかったことに気が付いた。

「そういえば、これは何処に向かってるんだ?」

「え?」

 夏生が何気なく尋ねてみると、柊は呆れた顔で、此方に目線も寄越さずに返事をしてきた。


「何処って、普通に……今日からお前が住まわされる所だけど」

 当たり前のことを訊くなという表情で放たれた言葉を、すぐには理解することができなかった。



「住む? ……俺が?」

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