在りし日(狗神編過去場面)
※コミカライズ用に書き下ろしたシナリオを、自分でも形にしてみたくなって書きました。漫画版よろしくです! シナリオのみ提出したので細部が全く異なります。その辺もお楽しみ頂ければ幸いです。なお、ツイッタ上でのアナウンスはしない予定です。
***
(1部8話・狗神の哭く夜 怜路が廃ホテルの駐車場で車中泊している場面)
――浅い眠りの中、怜路はうつらうつらと過去の夢を見る。
見える景色はかつて暮らしていた、大都会の片隅。人通りの絶えぬ駅前の猥雑な繁華街から、細い路地を奥へ入り込んだ、薄汚く薄暗い場所だ。
その、狭くて暗い裏通りにひっそりと、看板を出すカフェバーがあった。今時のお洒落なものではなく、昭和レトロな内装が常連客の煙草に燻された狭い店だ。場所の雰囲気も店構えも、通りがかりの一見客が入れそうな開放感とは無縁なその店は、怜路の仲間たち――東京の底辺近くで日銭を稼ぐ「拝み屋」たちの溜まり場であった。
その、カウンター席のみしかない狭い店内。古臭い内装が、たむろする常連客の煙草のヤニで全体に茶色くくすんで見える薄暗い壁際では、小さなテレビが民放の騒がしいバラエティ番組を流している。お笑い芸人たちのやかましい掛け合いを、サングラスで覆われた視界の端に収めながら、怜路は先ほど目の前に供された本日の日替わり定食――刻みキャベツの上に載せられた豚の生姜焼きと味噌汁、そして漬物の小鉢を、白飯を盛られた茶碗片手につついていた。
まだ民放がバラエティを流し続ける時間帯とはいえ、常時店内に酒精の香りと煙草の副流煙が漂っているような場所に、当時の怜路はおそらく不似合いだっただろう。怜路は当時己の正確な年齢すら知らなかったが、同年代はみな制服を着て学校に通い、この時間ならば塾で勉強をしているような年頃だった。
店内には他にもうひと組、中年の男女二人連れがいるが、怜路と言葉を交わしたことはない。この店に集まるのは同業者――いわば、同じ穴の狢であるが、その中でも流派や出身、仕事の方針は様々にある。得体の知れぬ男が連れていた、身元不詳の子供に関わりたくなどない様子の者も多い。
その「得体の知れぬ男」こと、怜路の養い親である
しかしこのたびは、綜玄が家を空けてひと月が経っても何の音沙汰もなく、当初はいつものように顔を出していた者たちも、綜玄が不在にしてふた月を過ぎる頃から誰一人怜路の元へ顔を出さない。
――恐らく自分は、捨てられたのだ。
ボンヤリとそう認識し、ならば己の腕一本で生きて行かねばと思いながら、怜路は少々無気力な日々を過ごしていた。
自炊のために冷蔵庫の中身を管理する気力もなく、仕事も紹介してくれるこの店に毎日のように通って早ひと月ほど。モソモソと三度目の生姜焼きを食べていた怜路の背後で、店のドアが開いた。カウンターに立つ店主は、来店者を一瞥するだけだ。店の特性上、「客商売」として愛想良くする必要もないのだろう。
「なんだ怜路。今日も居やがるのか、お前」
来店者は怜路に向かって、そう呆れた声を掛けた。聞き慣れた声に、怜路も箸を止めて振り向く。
「悪いかよ。アンタは相変わらず顔色が悪いな」
憎まれ口を叩いた怜路を「うるせえ」と鼻で笑い飛ばし、頬のこけた、目元の隈も濃く顔色も悪い、痩せた男が怜路の隣に座った。いつ見ても代わり映えしない草臥れた服装と、手入れの行き届かない髪や髭も含め、どこまでも不健康そうな中年の男である。
「狗神使いなんざこんなもんだ。それより、ガキが毎日毎日、外食なんて贅沢すんじゃ無ェ。ちったァ自炊しろ」
見た目の取っつきの悪さに反して、その狗神使いの男はよく怜路を気に掛けてくれる一人だった。男の使う「狗神」は、人の手で作られ、使役される魔物の一種だ。惨い方法で作る魔物ゆえに使役者を憎み、使役されながらもその主の身命を削り取ってゆく。詳しい成り行きなど知らないが、男は何か理由あって己で呪法を修し、自ら造り出した狗神を使役しているらしい。
男のもっともな言葉に、怜路は視線を逸らして沈黙した。綜玄の置いて行った金はまだ十分にあるが、収入と支出が全く見合っていないのは事実である。
「……親父さん、まだ帰って来ないか」
自身も日替わり定食を注文した狗神使いの男が、カウンターの奥を眺めながら言った。
「――もう、帰って来ねえよ。多分。どっかで野垂れ死んだんだろ」
今までも、怜路に関心があるのか怪しいほどによく家を空ける養父ではあった。しかし、このたびはとうとう、もう戻らないであろう。家に置かれていた現金が尽きて、悪態を吐きながら捜し出した生活費口座の通帳とカードの名義人が、養父ではなく己の名に――それも、養父と共に名乗っていた「上岡」の姓ではなく、馴染みの無い「狩野」になっていた時、そうどこかで諦めた。
面白くない思いを喉に押し込めるように、飯を飲み下す怜路を横目で眺めて何を思ったか。隣から狗神使いの溜息が聞こえた。
「そうか……じゃあやっぱり、真面目に自炊しろ。それと、家は大丈夫か。追い出される心配はないんだろうな?」
「多分大丈夫。よく分かんねえけど、いつの間にかオヤジの口座の名義が全部俺ンなってたから」
「……仕事は」
真剣な声音の問いに怜路は男を見遣り、次いで目顔でカウンター向こうの店主を指した。
「ここで紹介して貰ったヤツを、ボチボチ……」
こんな風に怜路を構ってくる相手は、この三ヶ月でとみに減った。養父やその友人たちの不在もあったし、他に構ってくれていた相手と、煩わしくて距離を置いてしまったせいもある。ともあれ、あれやこれやと気に掛けてもらうのは、少しうざったくもあり、くすぐったくもある。
「お前一人で請けて、ナメられたりしてねえか」
その懸念は図星を突いていたため、怜路は思わず箸を止めて黙り込んだ。店主が怜路の能力に見合う案件を紹介してくれたにも拘わらず、行った先で依頼人に子供扱いで侮られたり、時には「こんな子供に任せられるか」と、怜路を見るなり怒った依頼人に追い返される場合もあった。
どんな恰好をしたところで、まだ怜路の体の細さ、未熟さは誤魔化せない。依頼は遂行したものの、対価をきちんと払ってもらえなかったことすらある。サングラスを外して異能の眼を見せつけてやれば納得する者も中にはあったが、それよりも不気味がられて結局断られたり、不快な思いをすることの方が多い。
沈黙の理由を正しく汲み取ったらしき狗神使いが、胸ポケットから煙草の紙箱を取り出して一本口に銜えながら言った。
「――しばらく俺が組んでやる。その間に、自分の客筋を作れ」
思いもしなかった申し出に、怜路は驚いて目を瞬いた。男はカウンターの端から灰皿を引き寄せ、カウンターに両肘を突いて天井を眺めている。
「なんで、ンなこと」
「悲しいかな、俺には他に養ってやる家族も居ないからな」
思わず洩れた問いに、天井を眺めたままの男が肩を揺らす。
「まあ、狗神なんか飼ってりゃ、そんなもん作れやしないが。――俺の寿命もそんなに長くはない。お前の腕が確かなら、俺の客をお前に任せてやろう」
狗神は血筋に憑くという。男が自ら造り出した魔物は、男が子供をもうけた場合、男が死ねば子供へ憑くことになるのだ。だから男は生涯未婚を貫くと言っていた。
「どうだ。やるか?」
怜路を見遣って訊ねた男のところへ、丁度日替わり定食がカウンターから出される。それを受け取ってなお怜路へ向けられた視線に、怜路はしっかりと頷いた。
***
この場面の他にもう一箇所、次の回に漫画オリジナルシーンが入りますが…そっちは気力が尽きて文章化していませんw
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