【同居初期の頃SS】奇妙な下宿人

 山奥の古民家に暮らすチンピラ山伏、狩野怜路が招き入れた下宿人は、髪の長い美青年だった。

 古民家暮らしと言って、心豊かなスローライフを求めて手に入れたものではない。その場の成り行きや、怜路自身の思惑や周囲のそれ、その他諸々が重なり合って、ただ「軒を借りている」程度の住まいのつもりであった。――ゆえに鄙には稀な長い黒髪を束ねた麗人が、公園で途方に暮れているの見掛けた時、怜路は多分な同情心や親切心と、何割かの打算を以て彼に声を掛けたのだ。「俺の家の離れに下宿する気はないか」と。

 公園に落ちていた長い黒髪の美青年は、宮澤美郷と名乗った。なんでも、市役所に就職するため怜路の暮らす田舎町「巴市」に越してきたらしい。彼は何故か、管理が行き届かず荒れ気味の屋敷を気に入ったらしく、本当に怜路の家の離れにて下宿生活を始めた。

 自分から声を掛けておいて言うことでもないが、それはなかなか驚くべきことである。

 理由は第一に、怜路の身なりだ。頭はガッツリ脱色した金髪をハードワックスでつんつんに逆立て、耳にはいくつものシルバーピアスを装着している。服装は一般にチンピラファッションやらヤカラ系やらと呼ばれる類いのものが好きな上、小物も人外相手に切った張ったをする職業柄、頑丈でゴツいサバイバルモデルが多い。

 そして何より怜路は、持って生まれた異能の眼「天狗眼」を覆うためのサングラスを昼夜屋内外問わず着用している。現代日本の片田舎で、あまり色の濃くないものとはいえサングラスを常時着用している男を見れば、大概の者は「怖い」と思うはずだ。

 にも拘わらず、一見頼りなさそうなほど線の細い、きっと良家で大切に育てられたに違いないと思わせる、立ち居振る舞いの品もよい麗人は、最初こそ驚いて怯えた様子を見せたもののアッサリ怜路を「大家」として受け入れた。悪く言えば軟弱そうな見た目に反し、随分と胆の据わった下宿人であるらしい。

 ――といったワケで現在、怜路の家には赤の他人が居る。

 アルバイトをしている居酒屋のシフトが入っていなかった水曜日、怜路は本業で丸一日家を空けていた。先週末から離れに下宿している美貌の公務員殿とは生活時間帯が違い過ぎて、日曜日に幽霊と勘違いして以降、顔も合わせずに三日が経っている。

 夜の九時前、出先のファミレスで夕飯を済ませた怜路はコンビニで缶ビールとつまみを買込み、カエルの恋歌も聞こえ始める仲春の我が家へ帰ってきた。家の周囲は家主である怜路が耕作していないため荒れ地なのだが、近隣の水田はそろそろ田起しが始まっている。

 アルミ製引戸の玄関に鍵を突っ込み、ガチャガチャと回り渋るそれをどうにか開ける。迎える土間はひんやりと湿って闇に沈んでおり、奥の座敷にも人の気配はない。怜路の暮らす古民家は、元は庄屋屋敷だけあって大変に広く、下宿人の暮らす離れはかなり奥まっている。よってこの三日間、下宿人の存在を感じる機会はあまりなかった。

 玄関を入ってすぐの柱にある白熱灯のスイッチを探る。パチンと小気味よい音がして、天井を張られていない土間の梁から吊された白熱灯が、辺りを薄暗い橙の光に照らした。玄関を入って引戸を閉め、施錠した怜路は、コンビニのレジ袋をガサガサと鳴らしながら、靴を脱いで玄関脇の板張り廊下に上がり込んだ。そのまま、土間のすぐ奥にある居室――怜路が生活に使用している元・茶の間へ繋がる引戸を開けようとして、動きを止める。

 これまでの常であれば闇と静寂に沈んでいるはずの、母屋の裏側を延びる奥の廊下から気配がする。気配や小さな物音がするだけならば、これまでも裏山から下りてきたもののけが怜路をからかいに来ることはちょくちょくあった。しかし、怜路が点けたのは土間の灯りだけにも拘わらず――廊下の奥がうっすらと、何かの光源に照らされていた。

 怜路は薄明かりだけを頼りに、ひょこりとそちらへ頭を覗かせる。光源は予想通り、廊下の中程にある、浴室へ繋がる引戸から洩れていた。

 なんとなく足を忍ばせて、怜路は引戸へと近付く。引戸の先は脱衣場で、その先にはユニットバスの浴室がある。脱衣場と浴室は隣にある水洗トイレとともに、元々そこに「湯殿」としてあった別棟を改装して設えられたものだ。それらや土間の一部を改築された台所の水回りは、この家が、単に古い時代からある文化財のような古民家ではなく、連綿と人が中で暮らし、暮らし心地のために改築を重ねてきた「家」であったことを感じさせる場所でもあった。

 廊下には土間同様、白熱灯が吊してあるのだが、そのスイッチは切られている。土間の明かりが遠のくと、光源は脱衣場へ続く木製引戸の、紅葉模様をした型板ガラス越しに溢れた蛍光灯の白い光のみだ。その光へ近付くと、引戸を挟んだすぐ向こうで身動きの気配がする。風呂に入る前か、上がった後かは分からないが、下宿人が使っている様子だ。

(――声は……掛ける必要も無ェか)

 タイミング次第で、相手は真っ裸だ。普段ロクに気配もしない大家から突然声を掛けられたくはないだろう――と、そっと引き返そうとした、その時だった。

 がららっ! という、木製引戸の戸車が勢いよく回る音と共に、視界がにわかに明るくなった。同時に、「うわっ!」という驚きの悲鳴と、シャンプーや石鹸の香料を含んだ柔らかい湯気が怜路の背中にぶつかる。

「――っと、あ、狩野さん……びっくりした。お帰りなさい。お風呂お先に頂きました」

 ばつの悪い気持ちで振り返った怜路に、どうにか驚きを鎮めた、という表情の下宿人がニコリと笑いかけた。その体に纏うのは相変わらず真っ白い和装の寝巻で、まだ湿った長い髪は降ろされている。肩に掛けられた薄いタオルが辛うじて、寝巻を髪の含んだ水分から守っていた。

「おう、お疲れさん」

 覗きのつもりは無かった等の言い訳は、ありもしない墓穴を掘るだけだ。さりとて、咄嗟に「ただいま」と返すことも、「髪乾かさないと風邪引くぞ」とやたら距離を詰めたお節介を言うこともできず、怜路は簡素にそれだけ返した。

「あ……お風呂、入られますか? いつもの癖でもう抜き始めちゃったんですが……」

 ふと気付いた、という様子で、少し眉尻を下げて下宿人が小首を傾げた。アルバイトのシフトが入っている日は、美郷の使った風呂の湯が冷める前に怜路が帰宅することはできない。そのため、風呂の湯は抜いておいて良いと言ってあったのだ。

 ――それにしてもこの麗人は、全くその際立った容姿の恩恵も弊害も受けたことがないのであろうか。そう不思議になるくらい、警戒心が薄い。よほどの箱入りで世間知らずなのだろうか。だがそれでは、公園で路頭に迷っていた説明がつかない。

(なんつーか、思った以上に謎な奴だな)

 内心そう苦笑しながら、「いや、一杯飲むからしばらく入らねえ。そのまま抜いといてくれ」と返す。わかりました、と頷く宮澤を、それ以上引き留める話題も思いつかない。よって怜路は「そいじゃ、」と軽く片手を上げてその場を立ち去ろうとした。宮澤の手前を誤魔化すため、脱衣場の前を横切ってトイレのドアに手を伸ばす。

「あっ、はい」

 そう返事したものの、宮澤は戸の前から動かず、怜路の動きを目で追っている。視線が気になり、怜路は仕方なく動きを止めた。

「何だ」

「えっ、あ、買い物袋……持ってトイレ入るのかなって……」

 渋々尋ねると、至極まっとうな疑問が相手から発せられた。たしかに、怜路の右手ではビールの入ったレジ袋がガサガサと音を立てている。

「あ~……いや、まあ」

 妙な真似をするのではなかった。内心そう悔いながら、怜路は己の右手へ視線を彷徨わせた。

「持っときましょうか、それ」

 そう、まだ湯気を立てていそうな瑞々しく白い腕が差し出される。全く他意のなさそうな表情と声音だ。

(……ホント、なんでこんな警戒心薄いんだ、コイツ)

 彼自身の容姿云々は、今までの環境によって考慮の範疇外な可能性もある。だが、怜路の身なりに警戒心を示さないのは、いささか常識がない、あるいは不用心過ぎるのではないか。怜路は心からこのファッションが好きでこの恰好をしているが、「ナメられない・無用に立ち入らせない」という実利もたしかにあるのだ。

 目の前の湯上がり美青年は、しばし固まった怜路を不思議そうに見ている。

「や、アンタも早く髪乾かさねえと冷えンだろ。時間食うんじゃねえの、それ」

 結局遠慮の口実に、こちらもお節介を言う羽目になった。下宿人がぱちぱちと目を瞬く。脱衣場からは、甘く華やかな香りを含んだ湿気が絶えず流れ出ている。長い髪を維持するには、女性をターゲットにしたシャンプーを使う必要があるのだろう。

(ボトルはホムセンで売ってそうな、無地の詰め替え用だったけどな)

「あっ、いえ……まあ。お気遣い、ありがとうございます」

 顔には「そんな手間なわけでもないんだけど……」と書いてあったが、怜路のやんわりとした拒絶を察してくれたらしい。鈍いわけではないのだ。

「んじゃあな」

 改めてそう言い置いて、怜路はトイレへと滑り込んだ。無論、コンビニ袋も一緒である。几帳面に閉められていた便座の蓋を開けて、そのまま座る。特に催してはいない。

(鈍いンじゃなけりゃ~……、自信があんのかもな)

 怜路ごときに良いようにはされないという、自負が。相手も己も呪術者だ。腕っ節だけでない「力量」というものは、お互いある程度察することができる。たしかに、宮澤の力は強いであろう。当人も、その身に抱えている「何か」も含めて。

(つくづく、変なの拾っちまったなァ)

 下宿人が、自室である離れへ撤収する足音を聞きながら、怜路はしみじみとそう噛みしめた。




-----------

一次創作長髪男子登場作品オンリーイベント「#長髪に魅せられて」に合わせて書こうと思っていたネタの供養SSです。

開催前の一週間に急遽長旅を入れてしまったゆえ、結局書き切れず…もうイベントはすっかり終わってしまいましたが、供養のためにUPしておきます。

まだだいぶお互いの距離がある頃の美郷と怜路でした。久々にこの距離感を書いた…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る