雷獣退治

(こちらはskebにて、「いい兄さんの日」にちなんで鳴神兄弟を、と頂いたリクエスト作品です)

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『お前に、会わせたい人が居る』

 若きあるじが築城にそう告げたのは、今を遡ること数日前の夕刻だった。何の気負いもなくその言葉に頷いた築城は、相手を聞いて瞠目することとなる。

『え――、克樹様の兄ということは…………』

 鳴神美郷。身内から喰らった呪詛を返したのち姿を消した、鳴神家の長男だ。その行方は誰も知らない、――否、父親である当主だけが彼の所在を把握しており、鳴神家の人間が彼と接触することを固く禁じている。そう噂される人物である。

(あの時は、まさかと思ったが……間違いないな)

 今は宮澤を名乗るという青年の、かつての姿を築城は知らない。それでも、丁寧に括られた長い黒髪が、築城の運転する車に気付いて振り向いた面差しが。彼は、間違いなく鳴神家の血縁であると示している。

 その美麗に整った白い面が、築城の背後、後部座席から乗り出して手を振る克樹を見留めて相好を崩した。


 ***


 築城つきしろかなめの主、鳴神克樹は現役大学生である。――あるじ、などと随分古くさい言い方になるが、二十ばかり下の、職位のない現役学生を「上司」では据わりが悪いし、さりとて他に言い表しようがない。その、鳴神家次期当主である十九歳は学業に励む傍ら、鳴神家が請けた依頼のうちで概ね広島県内の仕事をこなしていた。これは単に克樹自身の腕を鈍らせないためと経験値を積むためだ。

 彼の付き人、ないし連絡係などと呼ばれる立場の築城もまた、克樹に同伴して彼を護り、怪異に対処することを主業務のひとつとしている。

 昨年末、それまで克樹の「教育係」とされていた若竹がその任を降ろされ、克樹の進学を機に、若竹とは同級生である(特に親しかったわけではない)築城にお鉢が回ってきてから、そろそろ八ヶ月が経った。大学生活のサポートをする傍ら、若き主の修行に付き合ってもののけ退治をする日々は悪くない。前評判では「気難しい」とされていた鳴神の跡取りは、まだ完全に心を開いてくれた様子ではないが、多感な時期の青少年相手にあまり焦っても逆効果だろう。

 これは、そんな風に築城がノンビリと構えていた、十月初めの頃の話である。

『築城、次の案件は――たしか巴市だったな』

 数日前、そう確認してきた若き主は、少々思案げな顔をしていた。夕刻、学校から帰宅していた克樹の元へ、夕食作りと打ち合わせを兼ねて出向いた時のことだ。――と言って、築城に大した料理技能はないし、克樹本人が「自炊」を希望しているため毎日そうしているわけではない。その日作った料理も、焼き肉のタレで味付けをした肉野菜炒め一品というていたらくで、全てにおいて要領の良い克樹には、そろそろ料理の腕で抜かれそうだと、築城は内心で危機感を抱いている。

『はい。こちらとの市境いに近い、元ゴルフ場のソーラー発電施設ですね』

 タブレット端末に呼び出した、依頼内容を纏めた文書ファイルを克樹に見せる。目的地までは車で一時間弱といったところ、内容も土日の運動に丁度良い程度であろうと、案件を回してきた出雲の事務所からはコメントが付いていた。

『巴市には……一報入れるべきだろうか……』

 巴には克樹の「恩人」がいるようで、克樹はこの夏期休暇に車の免許を取る以前から、熱心に巴に顔を出していた。その際、築城は同伴を拒まれていたので、相手がどんな人物なのかを築城は全く知らない。

 一応、築城は克樹を守る立場である。彼の周囲の人間は把握するに越したことはない。しかし築城は、前任者の降格・左遷でこの任を得た時、鳴神家当主より頼まれていることがあった。

 それは、「何事も克樹が自ら切り出して来るまでは問わず、サポートに徹して欲しい」というものだ。前任者の若竹伸一とは同級生で、その性分をよく知っている築城は、納得の気持ちと共に「承知いたしました」と頷いた。

 立身出世に興味がなく、鳴神内の派閥争いにも疎く、次期当主の一番近くという立ち位置にも全く興味の無い己に白羽の矢が立ったのは、結局その無関心さを買われたのだと納得したのである。築城家三兄弟のうち、はみ出し者の真ん中っ子には、主家の若様に下心を抱くほどの出世欲がない。それを鳴神当主は見抜いていたのだろう。

『広島県の担当課には、毎回鳴神から報告を出しています。このたびも事後報告で問題ない内容かとは思いますが……気が咎めるようでしたら、一報入れておいて差し上げる方が、親切であろうとは』

 そう答えた築城に、克樹はひとつ頷いてからジッと視線を合わせてきた。

 そして、何事か訝しんだ築城に向けて、真剣な声音でこう訊ねた。

『いままでよく、何も訊かず私の我が儘に付き合ってくれた。改めて訊いておきたい。お前は、誰の味方だ? ……そうだな……というよりも、お前は、「誰」の「何」としてここにいる?』

 その問いに、築城は逡巡なく答えた。

『克樹様の連絡係です、それ以上でも以外でもありません』

 派閥や己の家を背負わぬ築城要だからこそ、気負わず本気で言える言葉だった。鳴神当主はこの答えを望んで築城を抜擢したのであろうし、築城は任に赴いてから約八ヶ月の間、この問いを待っていたとも言える。

『そうか――では、これから見るもの、知ることも、どうか私のために秘密にしておいてくれ』

 築城の答えに頷き、克樹が覚悟を決めるようにひとつ深く息を吸った。

『お前に、会わせたい人が居る』


 ***


「兄上!」

 ソーラー発電施設の中、広大なパネル群を下界と隔てる金網の前で、克樹が「彼」を呼ぶ。中天をわずかに過ぎた太陽の光を、一面のソーラーパネルがまばゆく反射していた。

 車の後部座席からまろび出るように、走り寄った克樹の方へ顔を向けるのは、すらりと細身の青年だ。

「克樹」

 振り向いた顔が、柔らかく微笑む。その背には、丁寧に梳られひとつに纏められた、艶やかな黒髪が優美に流れていた。

(まさか、この目で美郷様を拝める日が来るとは……)

 ――というのが、築城の感想である。鳴神内の政争に興味がなく、当主やその子息にお近付きになりたいと思ったこともなかった築城にとって、美郷の存在は噂の上、むしろ伝説上の生き物程度の認識だった。

「宮澤とお呼び下さい」

 巴市役所危機管理課、特殊自然災害係・主事、宮澤美郷。白い巴市公用車の前でそう名乗った、真っ赤なジャンパー姿の青年の目元は、驚くほど鳴神家当主と似ていた。華奢な骨格は母親譲りであろうが、髪質や顔のパーツは克樹よりもよほど父親の形質をよく受け継いで見える。

 互いに名乗り合い、挨拶を交わした後、一行は築城が発電業者から預かっていた鍵を使い、金網の門扉を開けてパネル群の中へ入った。元はゴルフクラブの建物と、その前のロータリーであったという広大な敷地は、アスファルトやコンクリートを打たれ無機質なパネルの群れとなっている。

「巴市は、ここ二ヶ月で四件も起きた、周辺の山火事の立ち入り調査を計画していました。火元が全てこの施設ですから……管理不十分で行政処分の流れですが、山火事の消火活動に当たった地元の消防団員の話から、どうもコレ、雷獣の仕業じゃないかという話になって。ウチも近々に見に来る予定だったんです」

 美郷の説明に頷き、築城は辺りを見回す。乾燥気味の時期とはいえ、山火事が二ヶ月で四件はあまりにも多い。言われてみればたしかに、地面や周囲の木々に黒っぽいものが見える。

「鳴神への依頼はまさにその、雷獣の『駆除』ですね。いやあ、それにしても……いっぱい居るなあ、ピカチ〇ウ」

「ピ〇チュウ!? 雷獣ですよ!!?」

 築城の目の前に広がるのは、広大なソーラーパネルの群れと――その上を楽しげに跳ね回る、黄色い獣の群れだった。そのあまりの多さを見て、たまらず虚ろな声でボケた築城に、美郷は渾身のツッコミをくれた。存外ノリがいい。

 雷獣、それは、ネズミとイタチを足して二で割ったような面構えの、イタチよりも一回り大きく、鋭いかぎ爪と牙、長い尾を持った異獣である。大抵が、雷雨・嵐の日に雷雲の中から落ちてきたと報告され、時に口から火焔を吐いて人に害を与えるという。

 報告される大きさや姿は不定形だが、目の前の雷獣たちはイタチのように黄色い毛皮をした、いささか凶暴なナリのネズミの親戚だった。

「ピカ〇ュウほど可愛くないだろう、あれは」

 淡々と、ツッコミなのかボケに乗ったのか分らない返答をしてきたのは、築城の若き主である。「克樹、ピカチュ〇分るの!?」と兄に驚かれて憤慨していた。ゲームを嗜まない克樹でも、流石にあの国民的マスコットのフォルムは知っているそうだ。

「――それで、そちらは『駆除』の方法はお考えですか?」

 軽い咳払いの後、『宮澤主事』がそう訊ねる。築城はお伺いを立てるように克樹を見遣り、築城と視線を交わした克樹は、正直に首を横に振った。

「いえ。まさかこんなに大発生しているとは想定していませんでしたから……」

「まあ、そうだよねえ」

 普段雷獣は、雷雲の中に棲んでいる。連中は、常時通電・帯電している力場で生じ、そこで暮らす幻獣だ。

 その幻獣が、海鳥の集団営巣地か何かのように群れているのを眺めながら、築城は何が土日の運動に最適だ、と内心出雲へ向けて悪態を吐いた。その後、克樹へ向き直って頭を下げる。

「申し訳ありません、克樹様。山火事が頻発するような状況が、レクリエーションレベルとは重大な思い違いでした」

「……そ、そうだな。だいぶ間違いだな……?」

 若き主の声が戸惑っている。申し訳ありません、と、築城は重ねて謝罪した。

「正直おれも、せいぜい十匹くらい走り回ってるのかなって思ってましたけど……どうしちゃったんでしょうね、これ」

 戸惑い気味ながら、取りなす言葉を美郷が口に乗せる。

 昔の世であれば、雷雲の中以外に雷獣が群れるような場所はなかった。世の中が電力で動くようになってからは、高圧電線や変電所等、雷獣が好む場所が地上に増えたが、古くからその存在を認知してきた人々は、きちんと雷獣避けの術を施設にも施していたのだ。まさか今更、ここまで野放図になった場所にお目に掛かるとは、案件を回してきた担当者も想像していなかったのだろう。

「補助金政策によるソーラー発電ラッシュで出来た発電所で、運営会社も見慣れない企業ですからね。電力事業新規参入で、この手のことは知らなかったのでしょう」

 築城の言葉に美郷も頷く。

「うーん、行政処分ですね、やっぱり……」

 どんな名目になるのか興味深い。安全設備不十分などであろうか。

 何にせよ、ゴルフ場辺り一面を雷獣の巣にされたのではたまらない。山火事も頻発するであろうし、周辺地域での電気的トラブルも考えられる。厳しい処置が下るであろう。

「一旦、撤収することを提案いたします。いくら鳴神のご兄弟が揃っていらしても、二、三人の術者でどうこうできる状況ではありません」

 数十人規模の部隊を引っ張ってきて、掃討作戦をするしかあるまい。電流を切断できる他の施設と違い、晴れていればパネルが発電してしまうここはだいぶ厄介だ。状況は切迫している。出雲の本宅に丸投げして、一刻も早く部隊を出させるべきだ。

 秋晴れの晴天を仰いでそんなことを考えた築城の傍らで、克樹はチラリと兄の方を見遣った。その、上目遣いのような甘える仕草を築城は不思議に思う。

(まさか、美郷様には方法が……?)

 才のある少年だとは聞いたことがあった。しかしその「才」というのは、座学の成績や立ち居振る舞いのことであって、呪術の才覚や持って生まれた力の大きさにおいては、克樹の方が秀でているという話だったと記憶している。

「そう、ですね――普通、なら」

 そう歯切れ悪く答えた美郷もまた、克樹に応えるように、あるいは克樹に問いかけるように意味深な視線を流す。それを受けた克樹が、小さく頷いた。

「築城は、大丈夫だと思います。私は信じると決めました」

 何やら気恥ずかしい主の宣言に、その兄が「そうか」と目を細める。

「なら、おれも信じるよ」

 ふわりと微笑む、白い面。その肌よりもなお真白い蛇が、するすると青年の首元から這い出した。


***


「白太さーん!! 大丈夫かっ!? お腹バチバチしないか!!?」

 克樹が、巨大な白蛇を気遣っている。アレは人間に気遣われるようなレベルの存在ではないだろう……と、築城などは思うのだが、どうやら克樹にとっては「可愛らしい」存在のようだ。

「数が減ってくると逃げられますね」

 うーん、と、思案しているのは大蛇の飼い主である。思えばこの人物の二つ名は「蛇喰い」であった。

(蛇喰いであって、蛇遣いではなかった気もするが……喰った蛇なんだろうか、アレは)

 器用にパネルの上や下を這い巡り、白い大蛇は片っ端から雷獣を捕食している。

 克樹曰く「おやつ食べ放題」だそうで、美郷の体から這い出した白蛇は、着地した途端に巨大化し、猛然と雷獣を平らげ始めた。――しかし確かに、当初よりもその速度は鈍っている。

「金網はある程度、雷獣にも『柵』として機能していそうです。あの、金網がコーナーを作っている場所に追い込みましょう」

 敷地の一角を指差し、築城はそう提案した。雷は五行のうち木気のもの。「金剋木」の理が作用し、本来人間を阻むための金網が、幸運にも雷獣が人里へ出ないよう留めている。「ほんとうだ」と頷いた美郷が、白蛇VS雷獣の応援上映をしている弟に声を掛けた。

「克樹! 築城さんとおれと手分けして、敷地の雷獣をあのコーナーに集めよう」

「追い込み漁ですね! 了解いたしました!」

 振り向いて、そう答える克樹の声は、活き活きと弾んでいる。

 ――落ち着きがなくて、気難しい。

 噂の中ではそう評される築城の若き主は、付き合ってみればそこまで難しい人間ではなかった。どちらかと言えば、素直・率直過ぎて不器用な人種だ。おおかた、直情過ぎる部分が若竹と合わなかったのだろうが、己もだいぶ直情な部類と自覚のある築城にとっては、考えていることが比較的分かりやすく、やりやすい相手だった。

 だが、こんなにも無邪気にはしゃぐ姿は今まで、見たことがない。まさしくキラキラと輝くような笑顔を兄に向ける姿に、築城は眩しく目を細めた。

 完全に気を許した家族にだけ見せる、最も無防備な表情だ。おそらく、両親にすらこんな顔は見せないのではないかと思うほどの。

(まだ十九歳だもんなあ)

 今のご時世ではもう「成年」と見做されるようだが、その毎月数センチずつ縦にばかり伸びる体も、まだ少し丸い頬のラインも、「少年」と呼ぶ方がしっくりと来る。

(しかし……そこまでの全幅の信頼を、預けてもよい相手なんだろうか、な)

 克樹の無防備な姿を見て、築城がそう思ってしまうのは、噂の上の鳴神美郷が、非常に強力で、恐ろしい存在だからだ。築城が守るべきは克樹である。「お前は誰の何であるか」と問われれば、築城は迷いなく「克樹の側近」と答えるが、ゆえに、たとえ克樹自身が心酔した相手であろうとも、克樹を害する相手は築城が排さねばならない。

 克樹よりも腹芸が上手く、鳴神のような、人の形をした魑魅魍魎の跋扈する場所でも上手に立ち回る「才能」を持った少年。追い詰められれば呪詛の蛇すら喰らう人物。

(それほどの人物が、五歳も下の弟相手に「妾腹」という理由だけで納得するだろうか)

 守るフリをして、支配しようとしたのではないか。庇うフリをして、孤立させたのではないか。築城自身はそういった「技術」が大嫌いであるが、存在を解さないわけではない。

 ――若竹などは、一等下手くそな部類なのだ。この技術に長けている人間は、支配している相手にそれと気付かせない。

 主が唯一無二に心を許している相手を疑うのは心苦しいが、疑うことは築城の責務だった。

 打ち合わせの結果、克樹が真ん中で大雑把に雷獣たちを追い立てて、脇から別方向へ逃げようとするものを、両翼背後に控えた築城と美郷で押し戻す。それでも取りこぼしたものは、殿に控える白蛇が拾って食べるという布陣となった。散開しておのおの追い立てれば徐々に包囲網は狭まり、帯電ネズミの密度が増し始める。

 割り振られた場所で帯電ネズミを追いながら、築城は美郷を観察する。流れるように撃ち出される、鳴神直系の操る式神。その数も操る精度も、克樹より上手だ。五歳の年の差、そして踏んだ場数の違いであろう。

「白太さん、まだメッ! あとちょっと待って!!」

 右翼を抑えていた美郷が、不意に振り返って声を荒げた。築城もチラリと白蛇の方を見れば、なるほどパネルの上にとぐろを巻いた大蛇が、うずうずと尻尾を震わせている。密度の上がった群れの中に突っ込みたいのだろう。

「――しかし、どの程度まで寄せますか」

 築城は兄弟に指示を仰ぐ。既にだいぶ端まで来た。三者の距離も、多少声を張れば問題なく会話できる程度だ。

「折角ならば、逃げ場がないよう結界を張ってから白太さんに入って貰う方が良いのではありませんか?」

 克樹の提案に、美郷が頷いた。

「そうだね、いや、このまま圧縮すればもしかしてと思ってたんだけど――あっ!」

 続けて何か言いかけていた美郷が、前方を見て声を上げる。同時に前方がまばゆく光った。

「――ッ! 合体だと!?」

 克樹の悲鳴が上がった。築城が視線を戻した先では、まさしく雷獣の群がひとつに融合しつつあった。

「なるほど、雷獣は報告される大きさが随分まちまちですが、こういうことが……」

 妙に納得した気分の築城の横で、美郷が勢いよく声を張った。

「白太さん、今だ!!」

 白蛇は、待ちかねた様子でそれに応え、雷獣へと突進する。

 辺りの雷獣は余さず一体に融合してしまった。その姿は大きく、立ち上がったヒグマのようだ。さしもの大蛇にも呑み込めるとは思えない。しかし白蛇は、細い稲妻を纏う巨大雷獣にも怯むことなく飛び掛かる。器用に首に巻き付き、巨大雷獣を引き倒した。

 ――ヂイィィィ――!!!

 雷獣の悲鳴が轟く。実体を持たぬもののけ同士の戦いだ、パネルがなぎ倒されることはない。しかし回路には負荷がかかったようで、雷獣の暴れる辺りから、パネルや配線を放電が這い始めた。

(壊れるのは自業自得だが、大丈夫か……?)

 爆発などされては堪らないし、感電も遠慮したいところだ。そう一歩退いた築城の視線の先で、一際大きな紫電が、大きな龍のように立ち上がった。

「克樹様!」

 その正面には、驚いた顔の克樹がいる。

 咄嗟に庇おうと走るが、腰の高さに設置されたパネルの間隔は密で、思い切り走るには通路が狭すぎた。

「おさがり下さい!」

 何度か向う脛をパネルの端に擦りながら、築城は叫んだ。

「しかし、止めなければ被害が――!」

 印を結び、のたうつ雷の龍を止めようとしていた克樹が返す。

「命に比べりゃ安いモンです!!」

 パネル一台がいくらするかなど知ったことではないが、人ひとりの命には代えられない。築城はそれを疑う人間ではなかった。

 ――そして、築城よりも更に躊躇いのない人物が、この場にはもう一人いたのだ。

「克樹、伏せて!」

 声が響いたのは、目線の高さよりもだいぶ上からだった。容赦なく太陽光パネルを踏みつけて、美郷が克樹の前に躍り出る。

「神火清明! 吹っ切って断つ!!」

 高々と掲げられた刀印から放たれた力が、縦に紫電を両断する。斬られた稲妻は宙に散った。

「大丈夫か、怪我はない!?」

 斜めのパネルから飛び降りて、地面に着地した美郷が克樹に駆け寄る。素直に兄の指示を聞いて、頭を庇ってしゃがんでいた克樹がそろそろと立ち上がった。

「だ、大丈夫です! 兄上は? お怪我などありませんか」

 さしもの克樹も、兄のアクロバットにだいぶ驚いた様子である。

(というか、だいぶ噂と実物に齟齬がありそうだな、兄の方も……)

 それが元からの性質なのか、あるいは鳴神を出てから得たものなのかは知らないが。克樹の傍へ駆け寄り、護身符を発動させていた築城は、そう考えを改める。

「おれは大丈夫だよ」

 ニコリとそう微笑む秀麗な顔に、太陽光パネルの損害額を気にする翳りなどひと欠片もない。

「克樹様。みさとさ――いえ、宮澤さんもご無事で何よりです」

 損害は全て、安全管理不備による事故のものとして計算されるべきだ。築城もそう心中で頷き、怪獣大戦争をやっていたはずの前方を見遣る。どうやらそちらも決着したようで、もったりと重たそうな腹をした大蛇だけが、パネルの上からこちらの様子を窺っていた。

「白太さんもお疲れ。お腹いっぱいになった?」

 飼い主からの問いかけに、白蛇がゆるゆると戻って来る。美郷の足元に辿り着く頃には、すっかり普通の大きさに戻った白蛇を克樹が抱え上げた。

「やっぱり凄いな、白太さんは!」

 己がことのように誇らしげに笑う克樹に、白蛇の飼い主ががりがりと項を掻く。

「あんまりおだてないでやってよ、調子に乗るから……」

 決まり悪そうにそう言って白蛇を回収し、美郷は築城に向き直って頭を下げた。

「すみません、暴れさせ過ぎました。克樹に危険が及んでしまって……もう少し配慮すべきでした」

「いやまあ、こういう作業は危険があって当然でしょうし。当たり前に準備をしてたらどれくらい掛かったか分からないですからね。お見事です」

 克樹が負傷した場合、責任を問われるのはたしかに築城であるが。前線に出して経験値を上げるのに、絶対安全地帯に置いておくことはどうせできないのだ。美郷が、何を置いても克樹を守ろうとする人物ならばそれでいい。

「ただ、まあ……そちらの報告書のお手伝いはできませんがね」

 美郷は鳴神ではなく、巴市役所の人間である。彼の立場で顛末を報告するに際して、無茶を叱られるならばそれは致し方ないだろう。辺りにいくつもたなびく細い黒煙を見遣って、築城は軽く首を傾げておどけた。それに美郷が引き攣った笑いを返す。

「ですね……ガンバリマス」

「兄上、……ウチからはどう報告すれば良いでしょう?」

 そういえば、と克樹が首を傾げる。馬鹿正直に報告してしまえば、克樹が今まで苦心して隠して来た美郷の存在が、鳴神にバレてしまう。

「お前が全部どうにかしたってことに……」

「それは流石に無理です」

「じゃあ、野良の蛇が……」

「どんな野良蛇ですか」

 うーん、と、兄弟が向かい合って腕を組む。その仕草は、驚くほどよく似ていた。

(本当に、仲の良い兄弟なんだな)

 そう、しみじみ納得してしまう光景である。

「――雷龍が現れて、雷獣を平らげ天に帰った……程度にしておきましょう。野良蛇よりかは幾分マシです」

 雷龍は雷獣の別名ともされる。共食いをして去って行ったというのはいささか強引だが、その場に呼びようがないもののけに、全て押し付けてしまうのが確かに一番早いだろう。

「じゃあ、それでお願いします」

 ぺこり、と美郷が律儀に頭を下げる。

「いえ。この度はありがとうございました。最初はかなり大がかりになるのを覚悟しましたから」

 築城も頭を下げ、礼を述べた。そしてこう続ける。

「ご迷惑でなければ、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。貴方が居てくだされば心強い」

 今の美郷は、鳴神家内部のしがらみとは縁が切れている。鳴神の外側から、純粋に克樹自身の心配ができる立場だ。口出しできないことも多いであろうが、克樹にとって、何より心強い「緊急避難先」となれる。

「ええ、喜んで」

 築城の言葉に、美郷が微笑む。横で嬉しそうにはにかんでいる克樹の額をちょんとつつき、美郷が築城に改めて頭を下げた。

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

 ――克樹のことを、どうか。

 深々と下げられた頭には、そんな思いが乗っているように見え、築城も改めて礼をした。


おわり


リクエストありがとうございました。

こちらのお話は、「いい兄さんの日(11月23日)」にちなんで鳴神兄弟を、と頂いたリクエストに、歌峰がかねてより脳内で妄想していた諸々が出口を見いだし殺到したおかげで、とんでもない分量になった小話(?)です。

ずっと構想だけはあった築城さんを書く機会を頂き、ありがとうございます。

今回はだいぶ気楽に書いて設定の脇が甘い話になったので、本編上で取り上げる機会があればそのときは大幅に改変するかと思います。あるいは、ずっとIFの世界のままかもしれません。



2022.11.25 歌峰由子

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