山茶初開(つばきはじめてひらく)
『今日は立冬。暦の上では冬と成ります』
滅多に見ない朝のニュースが、秋も深まる各地の早朝の様子を映す。寝ぼけまなこを擦って大あくびし、怜路はカップ麺の残りスープを飲み干した。放射冷却で冷え込んだ朝は腹の中から体を温めるのが一番だ。
着替えて、車のキーを手に庭へ出る。すっかり菜園になった前庭では、冬野菜たちが真っ白な霜を淡く纏っていた。
「やっべー、春菊枯れっかもなコレ」
キャベツ白菜辺りは霜に当てても問題ないが、たしかキク科はまずいのではなかったか。
今晩、鍋にして食べてしまおう。そう頭を掻きながら、怜路は愛車に乗り込みエンジンをかける。先に暖房を入れておこうという肚だ。
寒さから逃げ出すように大急ぎで着替え、ジャンパーを羽織った怜路はドカドカと床板を鳴らして離れへと廊下を歩く。下宿人の居室である離れの和室の引き戸の前で、怜路は部屋の主を呼ばわった。
「美ィ郷ぉー、支度済んだかー?」
言いながら、遠慮なく戸を開ける。中ではちょうど着替え終わったらしい美郷が、掃き出しを開けて中庭に向けて何か言っていた。朝のひんやりとした空気が和室を抜けてくる。まだ綿シャツ一枚で上着を着ていないまま、中庭に頭を出している下宿人は、相変わらず暑さに弱く寒さに強いようだ。
「何やってんだオメー」
「怜路。おはよう、白太さんが帰って来なくてさ」
なんだまた脱走か。そう美郷の視線の先に目を向けると、繁り放題の庭木の中にぽつりぽつりと白いものがある。常緑の黒々と艶やかな葉の中に、いくつも八重の白い花が咲いていた。ふんわりと幾重にも重なる純白の花びらの中央に、黄色い花芯が淡く見える。何年も剪定されていないため樹形は野趣溢れる有様だが、小ぶりな花が多くついた様子は可愛らしい。
「椿か?」
「山茶花だよ」
生憎と怜路には、その二者の区別はつかない。
「白太さん、出掛けるんだから帰って来いよ」
どうやらその白花の山茶花でお休み中の白蛇が、美郷の中に帰って来ないらしい。ここに暮らし始めて一年半の間に、随分と自由になったものである。
「置いて出てもいんじゃね?」
今の気候ならば、熱中症で干乾びることもあるまい。
「イヤでも、基本白太さんはおれの霊力握ってるから……出先で何かあったらおれ、役立たずだよ?」
「あ!? そうなの!?」
初耳である。
「そう。だから、白太さん不在だった大学入りたての頃は、おれほとんど呪術使えなかったからね」
「そらオメー、今まで脱走された時、よくまあ大事にならずに済んだな」
若干呆れてそう言うと、「あはは」と美郷は誤魔化し笑いをした。
「ンじゃとりあえず、無理矢理でも回収しろや。淵から龍が出たり、紅葉狩りで鬼に出会ったらコトだかンな」
今日は休みが揃ったので、二人で帝釈峡まで紅葉狩りに行くのだ。帰りにどこか道の駅で安い白菜を買って、夜は鍋の予定である。
「流石にそれはないと思いたいけど……そうか、綺麗な湖だもんね。白太さん、お前も冷たくて綺麗な水好きだろ、早く行こう」
はたと思い至ったように頷いた美郷が、濃緑の葉陰からこちらを見ている白蛇に手招きする。どうやら通じたらしく、白い花をつけた山茶花に同化していた白蛇が幹を伝っておりて来た。――ここから、白蛇を収納して上着を着るまで、美郷にはまだ多少時間がかかるだろう。
「やれやれ、そんじゃ、俺ァ先に出てるぜ」
言って、怜路は和室を後にした。
2年目の11月。
二十四節気「立冬」
七十二候「山茶始開(つばきはじめてひらく)」
美郷の呪力と白太さんの関係をこんなところで暴露してしまった。
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