潮騒の呼び声 8
8.
宮澤を伴って、八重香は勝手知ったる神来白髭神社の本殿に、裏側から忍び込む。最初は普通に拝殿から入ろうと思っていたが、境内と拝殿には神社の氏子である大人たちが集まっていた。そういえばオジのお告げに従い、明日の未明には新しい斎木神を迎える儀式が執り行われるのだ。急な斎木神の代替わりを不思議そうにしながらも、大人たちはオジのお告げを疑っていない。八重香の「ちーちゃん」を海に還し、次の斎木神を迎える気で準備をしている。
(ちーちゃんの、弟だって……)
宮澤が追ってきた、波に拐われた友人は彼女の実の弟だという。「ちーちゃん」に生身の肉親がいたことに、八重香は少なからず動揺した。ひどく、後ろめたい。本当の肉親である彼から、八重香は姉を奪ってしまったような心地がする。
オジは、止める。弟の方まで神来島の犠牲にはできない。
だが、その後はどうするのだろうか。八重香が「ちーちゃん」を独占したままで良いのか。それとも、実の弟に返すべきか。
「八重香さん」
ぐるぐると考えながら、本殿の裏手へと草に覆われた斜面を進んでいた八重香に、後ろをついて歩く宮澤が声をかけた。物思いに沈んでいた八重香は、ぎくりと足を止める。
「な、何?」
暁海坊から預かった提灯ごと振り返った八重香を、宮澤が気遣わしげに見ている。緊張して言葉を待つ八重香に、宮澤が少し困ったようにへらりと笑った。
「大丈夫です。後々のことは今は置いといて、やるべきことに集中しましょう」
――なんて、偉そうですみません。と小さく付け加えて、宮澤が誤魔化すように頭を掻いた。そうやっていると、先程の頼もしさが嘘のようだ。異形の面をつけた男に臆さず真っ直ぐ相対していた、冷たく整った横顔と同じ造作とは思えない。
「あんた、変な奴よね」
正直な感想がぽろりと漏れた。暗い中でも分かるくらい、ショックを受けた表情で宮澤が固まる。それに八重香は笑いをこぼした。肩の力が抜ける。
「あんだけキメといて今更なんでそんな弱腰なん。せっかく格好良かったのに台無しじゃん」
言うと、固まったままの宮澤が更に赤面した。
「そっ、そんなキメてましたか……」
しょぼしょぼと宮澤は右手で顔を隠すが、その左手はしっかりと一振の日本刀を握っている。そのちぐはぐさがおかしくて、八重香は更に笑った。
慌てた様子で宮澤が「しーっ」と唇に人差し指を当てる。暁海坊の提灯の効果で、八重香と宮澤には他人に気付かれづらいよう術がかかっているという。おかげで、かなり提灯が明るくても誰にも気付かれていないが、あまり騒いでしまえば効果が消えるそうだ。できるだけ静かに、目立たない場所を進もうと宮澤に言われていた。
ごめんなさい、と笑いを収めて八重香は改めて宮澤を見る。
幼い頃から訓練を受けた、本物の「陰陽師」――呪術者だという。陰陽師という表現は適切ではないし、イメージが大仰すぎると本人はむにゃむにゃ言っていたが、暁海坊に「お主を表して大仰すぎる表現もそうない」と笑い飛ばされていた。八重香にはよくわからないが、凄い人物らしい。一見そうは見えないので、呪術に用いるという特徴的な長い髪も趣味の珍ファッションだと思い込んだ。
「――そうよね、とりあえず、ちーちゃんとちーちゃんの弟を助ける方が先じゃ」
自分に言い聞かせるように呟いて、八重香は前を向き直る。神来白髭神社の拝殿は平坦な砂地の上にあり、そこから一段上の岩場に建てられた本殿の間を、斜めに幣殿が繋いでいる。岩場を一部抉って建てられ、手前に張り出している本殿の正面に上がり込むのは難しいが、本殿の裏手は高くなっているため侵入しやすい。本殿にかけられた鍵の保管場所も知っていた。
草の斜面を登りきり、岩場に足を掛ける。
身軽に本殿の廻縁に着地した八重香に続き、宮澤も本殿に上がり込んだ。暁海坊は「幾重にも障壁がある」などと大仰なことを言ったが、本殿はほんの六畳程度の小さなものだ。
八重香は本殿の扉に取り付けられた南京錠に鍵を差し込む。回し開けようとして、静電気のようなものにバチリと弾かれた。
「なっ……!?」
これが障壁というやつか。思わず鍵を取り落として引っ込めた手を握り、八重香は唇を噛む。
(今まで習ってきた作法……)
本殿に入る時や、斎木島に渡る時に唱える祝詞がある。
「あやにあやにすくしくとうとおおみさきにますかみのみさきをおろがみまつる。かみきしらひげしほつちのおじとほかみえみため祓い給い清め給え」
ロクに意味も気にせず覚えた祝詞を奏上し、ぱん、ぱん、と二回柏手を打つ。ついで、
「おほかみおほかみみいつかがやくとうとしや」
と唱えながら深々と座礼するのだ。これを二回繰り返す。
(急いどる時に、こんな悠長な真似っ……!)
じりじりと焦りながら唱えていたら二度目の祝詞を噛んだ。やり直しだ。更に気持ちが焦る。
(だいたい、今わるさしとるのコイツなのに、なんで頭下げにゃいけんのん……!?)
焦りと苛立ちで荒い息を吐いた八重香の肩を、ぽん、と宮澤が叩いた。
「落ち着いて。呼吸から整えて。大丈夫、向こうは暁海坊が行ってくれたから。おれ達は
落ち着いた声音が、八重香の苛立ちを鎮めていく。読み上げられる数に合わせて、軽くぽん、ぽんと叩かれる肩が心地良い。心のささくれをひんやりとした水が覆い、痛みを鎮めていくようだ。
「もう大丈夫かな。もう一回、お願いします」
少し笑んだような声とともに、八重香の肩から宮澤の手が離れる。振り返らないまま、目を伏せて頷いた八重香は再び祝詞を唱えた。今度は上手く行く。ほ、と肩の力を抜いて、八重香はもう一度南京錠に鍵を挿し込んだ。今度は弾かれることなく鍵が回る。なんとなく、荒く音を立てて動くのは気が引けて、そっと静かに鍵を外して床に置いた。静かに扉を開けて中に入る。借りていた提灯の明かりが消えた。
「もう、暁海坊の力は届かないみたいだ。電気は点く?」
尋ねる宮澤にうん、と返し、八重香は蛍光灯のスイッチを探る。神聖な場所に蛍光灯もなんとなし間抜けだが、夜の神事も多いのでないと不便なのだ。パチリとスイッチが入り、蛍光灯の白くまばゆい明かりが八重香の目を射た。いつも暗いと思っていた蛍光灯が信じられないくらい明るく感じる。それだけ、闇に目が慣れていた。
ほんの六畳ほどの小さな本殿の中央には祭壇があり、その更に中央に一抱えほどの木箱が鎮座している。その手前には
「よし。次は――あれが、御神体だね。木箱か……多分あの蓋もそのままじゃ弾かれると思う。八重香さん、お願いします」
穏やかに指示を出す宮澤を、あえて八重香は振り返らないようにしていた。
(ホントに、ウチよりこういうのに慣れとるんじゃ……)
そう実感させられると、最初の思い込みと態度が思い出されて非常にバツが悪いのだ。宮澤が全くそれを気にした様子がないのが、八重香にとっては逆に落ち着かない。さっさとひとつイジられて整理をつけてしまいたいのだが、宮澤はそういうタイプではないらしい。
(ああもう! 後、後!)
ひとつ首を振って己に言い聞かせる。今はそんな場合ではない。立ち上がった八重香は祭壇に近寄り、木箱を床に下ろしてもう一度祝詞を奏上した。木箱の蓋を開ける。中に入っていたのは――。
「
ばっ、と宮澤を振り向く。宮澤は驚いた様子もなく「そうですか」と頷いた。
「そうか、って……石なんて刀で斬れるん!?」
「普通の刀なら無理だと思うけど、これは神来山の霊力が凝った神刀だからね。そして御神体は、神来山の一部だったものだ。山の力なら斬れると思う。木箱から出せますか?」
問われて、八重香は恐る恐る木箱に両手を差し入れた。石を掴み、木箱から持ち上げようとする。山の石というには角が取れて丸い。波に洗われたもののようだった。石に巻いてあった注連縄が八重香の二の腕に触れて、ばちん、と弾かれる。もう一枚あったのか、と八重香は内心舌打ちした。
宮澤が何か言う前に手早く祝詞を上げて、八重香は注連縄を外した。今度こそ石を取り出す。相対する八重香と宮澤の正面に石を置き、八重香は宮澤を見上げた。その秀麗な面に、押し殺された緊張が見えて八重香は目を眇める。
「そう言えばあんた、刀なんて扱えるん?」
陰陽師だから、と言われてしまえば何ができると言われても納得するしかないが、目の前の青年はどう贔屓目に見ても武闘派とは思えない。意地悪半分に聞いた八重香に、あはは、と宮澤が笑った。
「……一応、高校まで
すみません、とにっこり微笑まれて、八重香は呆れと諦めの溜息を吐いた。大人しく指示通り脇に避ける。
己に敵う相手ではなさそうだと、ようやく八重香は認める気になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます