イミテーションその3(終)

「ご苦労様です」

 帰り着いた屋敷の前。恭しく後部座席のドアを開けた運転手に、『美郷』はにこりと笑って声をかけた。鳴神に帰って一か月、いまだ出雲の本宅へは挨拶に行っていないものの、どこからともなく美郷の噂を聞きつけた連中からは引きも切らさず声がかかる。――だれもまだ『鳴神美郷』の存在を忘れてなどいない。

(早いうちに当主へも直接挨拶をして、市役所はこのまま退職してしまうべきか……巴市とのパイプも惜しくはあるが、まずは鳴神内部での足場を固めなければ)

 ようやく、帰って来れたのだ。五年以上の年月を棒に振ってしまった。これ以上時間を無駄にすることは許されない。克樹は既に大学生、彼が卒業し、次期当主として鳴神に戻るまでに地盤固めをしなければならないのだから。

 あの日、病院で美郷は『目覚めた』。

 単に眠っていた意識が覚醒しただけでなく、本来あるべき姿を思い出した。

 蠱毒の蛇を喰わされ、一度は無様に逃げ出してしまった。妥協し、堕落し、ぬるま湯のような生活の中で満足しきっていた。

(私は、克樹を守らなければならないのに。純真で正義感の強いあの子が鳴神家を一人で背負えば、必ず苦しむことになる。あの子が余計なことに思い煩わされないように、くだらぬ権力争いやあの子を利用しようとする権謀術数は私のところで止める。――克樹のために、私は存在するのだから)

 それを忘れ、鳴神を離れてのうのうの生きるなどどうかしていた。

(そういえば、午後から克樹が来るのだったか。――この間は、何のことを言ったのだろうな……シロタとか呼んでいたが)

 そんな存在に覚えがあるようで、しかし思い出せない。

(ペットなど飼った記憶はないけれど、何かあの子の記憶違いだろう)

 別荘の使用人が美郷を出迎える。彼らに克樹を迎える準備を指示し、美郷は一旦自室へと帰った。




 まずは克樹が単身、鳴神の別荘に入る。そして裏から兄とチンピラを手引きする計画だ。最初、兄は難色を示していたが、「任務ミスった間抜けは黙ってろ」とチンピラに黙らされていた。相変わらず無礼な男である。

 家に入り、いつものように応接室に通される。優雅な所作で、正面にもう一人の『兄』が座った。品の良い玉露の芳香とともに、繊細で美しい和菓子が小皿に乗せて克樹と兄の前に置かれる。

(小豆餡が食べられないと……)

 知った時、酷くショックだった話のひとつだ。

 好物だったものに、それゆえ毒を、呪を盛られた。

「松江で立ち寄った店のものだ。美味しいんだよ、食べてごらん?」

 にこにこと笑うコレは、兄ではない。その――未練。ありたかった姿なのだ。

「――克樹!? どうしたんだ、何かあったのか?」

 慌てた様子で立ち上がり、偽物の兄が座卓を回り込む。克樹の両眼から溢れ、ぽたぽたと零れ落ちる雫を和装の袖が拭った。いやいやするようにそれを振り払い、後ろにさがって距離を置く。驚き、心配そうにこちらを見つめる『兄』はきっと、邪悪なものでも、克樹に悪意を持つものでもないのだろう。

「申し訳ありません、兄上……」

 それでも。例えどれだけ克樹にとって、優しく美しい理想の『兄上』であっても、美郷自身にとっての『ありたかった姿』であっても、コレは偽物なのだ。存在を許せば遠からず、美郷という人間そのものを殺してしまう。

(それにやっぱり、本物の方が魅力的だ)

 もう克樹のものではなくても。克樹の知らない場所で、克樹の知らない相手と楽しそうにしていても。いつ何時もとり乱さず微笑んでいる人よりは、声を上げて笑ったり、頭を抱えて唸ったりする人の方が、克樹の知っている『兄上』だ。

「貴方を認めるわけには、いかないんです……!」

 言って、障子戸を引いて縁側へ飛び出す。庭に面したアルミサッシの掃き出しを勢いよく開けた。

「兄上! 狩野!! こちらです!!!」




「おぉい、予定と違うんだけどォ」

 ユルい口調でこぼしながら、怜路が門扉を蹴り開けた。

「コッチですっつわれて、馬鹿正直に行ったんじゃ不利になる。俺ァ反対側に回って陽動かけっから、お前は一旦気配を消して庭に潜り込め。裏側が騒ぎ始めてから出るんだ、慌ててトチんじゃねーぞ」

 大変頼もしい大家殿の指示に頷き、美郷は隠形の呪を唱える。

「ありがとう怜路、頼んだ」

「あんま無理すんなよ、ヤバそうなら渡しといた護法を使え。目くらましにゃなるし、俺の方にも分かる。あと――右目だ。いいな」

 怜路の護法は、美郷の操る式神ほど多機能でも強力でもないが、陽動や伝令には十分だ。

「わかった」

 言って、美郷は懐を叩く。

 美郷と怜路は、別方向に駆け出した。




 思ったよりも早く――もっと言えば、美郷がようやく庭の端の植え込みに辿り着いてすぐに、派手な破壊音が屋敷の裏手から響いた。一応、そこそこ高価なものが多いはずだが大丈夫だろうか。

 慌てた使用人が、怒号を上げながら向かう様子がちらりと見える。そっと首を伸ばして見た屋敷の縁側には、上等そうな和装に身を包んだ己が立って、克樹の背中と対峙していた。

(――っ、分かっちゃいたけど見たくないな!!)

 目を背けたくなるのを我慢する。一瞬、裏手の騒ぎに気を取られた様子だった偽物の己――『鳴神美郷』とでも呼ぶべき男は、しかしすぐに克樹へと視線を戻した。

「克樹、どうしたんだ? 何を泣いているんだい?」

 その声音は心底心配しているようで、しかし美郷の背筋をぞわりと逆撫でする。

(いいことを教えてやろうか、鳴神美郷。お前の目の前にいる弟は、お前が思うほど幼くもなければ馬鹿でもない。『おれ』は、そのことを知ってるはずだ。そうだろ?)

 いつまでも子供扱いして、醜い物を遠ざけてその視界から隠し、覆って閉じ込めて守ろうとするのはただのエゴだ。

「一体何を――」

「もうここまでだ。それ以上、その薄ら寒い気取った口調は聞きたくないぞ、偽物」

 というか自分は、そんな喋り方をするのだろうか。自分の声やら喋りは聞きたくないものである。

 植込みの陰から出た美郷に、己の『未練』が目を見開いた。




「克樹、こいつの始末は自分でつけさせてくれ。できれば怜路の方へ行って、あいつが犯罪者にならないように場を収めて欲しい」

 えぇ、と少し不満そうな声を漏らした弟は、仕方なさそうに頷いて言った。

「分かりました、早めに収拾をつけて奴を連れてきます」

 ご無理なさらず、とは目顔だけで。兄貴を立ててくれる良い子である。それに少し笑って頷き返し、美郷は偽物を睨んだ。相手も憎々しげに形相を変えて美郷を睨んでいる。

 きっちりと着こなした和装は藤納戸と紺鼠の上品なアンサンブルで、半襟や角帯の色合わせにも隙がない。流石は理想、と美郷は内心溜息を吐く。

「全く、人の霊力で好き放題してくれたな。始末、つけさせてもらうぞ」

 ポケットから取り出した鉄扇を構える。先日ようやく分割払いが終わったところだ。

「お前こそ、抜け殻の残滓が何を言っているんだい?――『本物』は私だ、消えろ」

 偽物が刀印を組む。九字を切られる前にと美郷は正面から襲いかかった。

 懐から出した怜路の護法で敵の顔を狙う。美郷を狙っていた刀印が、咄嗟に護法を打ち払った。チャンスは一度きりだ。『宮澤美郷』に残せた力は少ないが、本物の肉体があるゆえ立っているだけで目減りもしないし、きちんと休めば回復する。それを利用し、一撃必殺の呪具をこしらえてずっと呪力を込めて来た。今の美郷のパワーが偽物に及ばずとも、溜めこんだ呪力ならば打ち勝てるはずだ。

「おれが死ねばすぐにでもオンボロ鏡に戻るまやかしの分際で、偉そうなこと言うんじゃないよ!」

「黙れ。なすべきことも投げ捨てて逃げ出した卑怯者が! 私は、私として『本来なすべきこと』をするために生まれ変わったんだ、まやかしは、お前の方だろう!!」

 霊気を込めた刀印と鉄扇がぶつかりあう。衝撃波が互いの髪と『鳴神美郷』の袖を舞わせる。

(未練が作る、理想の自分か……)

 理想だけあって強い。動きに無駄も隙も見えない。

(おれは、こんな風に在りたかったのか……?)

 きっとそれは、違う。未練は所詮、未練でしかない。

「お前の言うなすべきことなんて、本当は大したモンじゃないんだよ――」

 ひと一人消えたところで、世界が止まったりはしない。

 美郷一人が鳴神家を投げ出したところで、そんなことは知ったことでなく世界は回っていく。

 美郷が鳴神に居たらありえた可能性が潰える代わりに、居ないからこその可能性が芽を出す。

 だが美郷が美郷自身を見捨てれば、確実に『美郷の世界』は終焉するのだ。これだけは、自分以外に守れる者はいない。だから美郷は、自分を守ることを最優先にして鳴神を捨てた。その選択を間違っていたとは思わない。

 だから今、目の前にあるのは、ほんの未練と、うしろめたさでしかないのだ。

 あったかもしれない可能性の夢想であり、理想だ。よしんばもし本当に鳴神に残った美郷がどこかの世界に居たとして、こんな風にはきっとならない。

(きっとそいつは、おれを知ったら羨んだりするんだ。隣の芝生が青いのと同じで、夢想の中の自分はどれだけだって完璧だ)

 刀印を鉄扇でどうにかはじき返す。力負けしなかったのは、それだけ本体であるこちらが回復しているのか、鏡の方が消耗しているのかだ。

(いけるか?)

 左手に隠し持った、呪力を溜め込んだ独鈷杵を握りなおす。――狙うのは、右目。

 怜路が偵察して、掴んでおいてくれた、本体の鏡が宿る場所だ。

「――返せ。その未練も後ろめたさも、全て『おれ』のものだ!」

 素早く鉄扇を翻して開き、扇面で相手の視界を遮る。

 そして、狙い違わずその左目に、独鈷杵を打ち込んだ。




 耳を覆いたくなる悲鳴を上げて、『鳴神美郷』が崩れ去る。

 その正面では、狩野怜路が良く知る『美郷』が肩で息をしていた。

「おー、なんとか自分で片付けたか」

 よしよしえらいぞー、と頷く怜路の傍らから、兄の名を呼びながら克樹が駆け出す。

 振り返った美郷が、へらりと少し抜けた笑顔でその頭を撫でた。




終!


ツッコミどころは多々あれど、そこはまあ即興クオリティってことでご勘弁くださいw 悪乗りにお付き合いありがとうございました!

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