イミテーションその2
白太さんのことをはぐらかした兄に、克樹の疑念は確信に変わった。
あの白蛇は、兄の半身だ。素直で可愛らしい気性の、兄の気配を纏った真白い蛇を克樹は歓迎して受け入れた。何をどうしたところで、どれだけ美郷本人が「気にするな」と言ったところで、克樹の我儘が、最愛の兄に取り返しのつかない傷を負わせてしまったことは変わらない。だがせめても、その結果が醜く邪悪なものではなく、可愛らしい姿をしていることは克樹にとって救いだ。
そうして白蛇を触りたがる克樹を、兄は戸惑った様子ながらも嬉しそうに見ていた。
(白太さんに何かあった……いや、今あそこに、白太さんはいないんだ。なぜなら、アレは兄上ではないから……!)
狩野との約束の日、克樹は勢い込んで巴市の狩野家に乗り込んだ。車の免許はこの夏に取った。車も早々に買い与えられている。車を出て、勢い良くドアを閉めた音が庭に響き渡った。チンピラな黄色い頭が玄関から顔を出す。
「よう、克樹。美郷は――」
「兄上はどこだ」
いつも通りのだらしない服装で、姿勢悪くへろりと立ったチンピラを問い詰める。サングラス越しの目が瞬いて、「あれ?」とチンピラが頭を掻いた。
「気づいちまった?」
「最初から知っていたのか!」
美郷に会わせろ、と言いながら、狩野は克樹の元に居る『美郷』が本物でないことを知っていたのだ。
「何故すぐに言わなかった!?」
「俺が言ってオメー信じたかよ。まあよく気付いたな、なんで分かった」
「白太さんの話題をはぐらかした」
それから、狩野のことを軽んじた。それは言わなくても良いだろう。
ははあ、なるほど白太さんか、愛だねェ。などとノンビリ感心しているチンピラ山伏は、先日よりも明らかに危機感がない。
「それで、何がどうなっている。貴様が知っていることを全て吐け」
胸倉を掴もうとした克樹から二、三歩退き、「おお、こわ」と狩野が肩を竦める。
「だってよ、白太さん。つかオメーの弟ホントこえーんだけど、ちょっと育て方間違ってね、美郷」
少し後ろを向いてそう愚痴った狩野に対し、狩野のパーカーからひょっこり顔を出した小さな白蛇が、ぴるる、と舌を出した。
何者かによる邪魔と足止めを散々受けて、どうにか狩野が家に帰って来た時既に美郷の姿はなかったという。克樹はこのやかましい男に連絡先を渡していなかった。どういう経路かは知らないが、狩野がようやく克樹の番号を掴んで電話をしてきたのが先日ということらしい。それまでの間に狩野は、どうしようもない嫌な予感に駆られて単身美郷を探したそうだ。
「とりあえず美郷が気絶したっつー場所に行ってな。異変がねーか探し回ったんだが、なんとビックリ美郷が落ちててな」
「なっ……! 落ちっ!?」
山の中にあった小さな岩窟に、封じられて眠っていたらしい。急いで岩窟から美郷を引きずり出した狩野は、その身を家まで背負って帰ったという。そして、封じた美郷になり替わっている何者かにそのことを気取られないよう、一人でこの家に隠していたのだ。
案内された狩野家母屋の奥の間には、布団が延べられて誰か横たわっている。それは間違いなく、克樹の敬愛する兄だった。
「兄上っ!」
――みさと、うごけない。でも白太さん一緒。白太さん見える、みさと見える。白太さん聞こえる、みさと聞こえる。
えっ、と克樹は、肩にのっかっているひどく小ぶりな白蛇を見る。
「何者かに、魂を封じられていると?」
――みさと、閉じ込められた。でもみさと、白太さん逃がした。白太さん、みさと、一緒。みさと、白太さんといっしょ。かつき、しんぱい。ニセモノ、かつき一緒。しんぱい。
次第にエキサイトしてきたのか、鎌首を上げて頭をぶんぶん振りながら白蛇が「心配」と繰り返す。そこは、他人の心配をしている場合では流石にないと思うのだが。
――ニセモノ、わるい! わるいの、かつき一緒! しんぱい!!
「おーおー、激おこプンプンしてるな。しかしオメーはほんと他人の心配してる場合じゃねぇだろ」
美郷本体からは霊力が引き抜かれて、魂は体の中に封印されてしまった。だがその前に美郷が切り離して逃がしたこの白蛇は、美郷と霊魂を共有する存在――美郷の意識の別チャネルのようなものらしい。
「と、いうことは……どうにか兄上の封じを解ければ良いのか?」
「そういうこった。このちんまりした白太さんが自力でウチに帰って来たのが、オメーに電話したすぐ次の日でな。まあ、そんなこんなでとりあえず状況は把握したんで、多少落ち着いてるワケよ」
へっへ、と笑う怜路とは裏腹に、白蛇のほうは「心配、心配、早く、早く」と騒いでいる。
「んで、これからなんだが……引っ張り込んだ美郷の霊力を動力源にして、偽物野郎は好き勝手やってる風情だ。ほっときゃ野郎に美郷の霊力が使い潰されて、美郷の本体が死んじまう。お前の言う通り、その前にコッチの美郷の封印を解けりゃいいんだが、俺じゃあできなくてな」
それで、美郷同様に呪術のレパートリーが広く、偽物を倒すためにも協力が必要な克樹と直接会うことが、本来の目的だったらしい。
「ふん、術者としての底は浅いと見えるな」
「うっせぇ、一芸特化と言え。経験値がちげえんだよテメェとは」
――けんか、めっ!!
思わず叩いた憎まれ口に狩野が応戦したところで、小さな白蛇が狩野に飛び掛かった。
「うおっ!? なんかいつもの白太さんじゃねえよな!?」
既に白蛇が克樹から離れてしまったため、白蛇が狩野に何と返したのかは分からない。ただ、その細い体がしゅるりと素早く狩野の首に巻き付き、きゅっ、と一度引き絞られた。
狭くぼやけて、水槽の向こう側に霞むようだった景色が一度途切れる。
闇の中。弟の声が美郷を呼んだ。
――兄上、と。
いつかも同じように、弟が迎えに来る夢を見た。その時の夢はまやかしで、美郷の心を踏み荒らして行った。だが、今回は違う。
『兄上、目を覚ましてください! 兄上!!』
本物の弟の声と、温かい手のひらが、美郷を闇から引きずり出した。
ぱちりと目を覚ました兄は、ゆっくり首を左右に動かして辺りを確認すると、そのまま跳ね起きようとして無残に再び布団に沈んだ。
「バッカお前、一か月以上固まってた体がそうそう簡単に動くかよ」
「~~~っ、るさい、ちくしょうナメた真似しやがってあいつ……!」
蹲ってシーツを握りしめ、搾り出すように口汚く唸る兄は、やっぱり克樹の想像とは少し違っている。きっとチンピラの汚い言葉遣いが移りつつあるのだ。由々しき事態である。
だが、克樹はほっと安堵した。これが本物の兄、『宮澤美郷』なのだ。
「――克樹、お前もなにか理由をつけて、このまま鳴神の別荘からは離れるんだ。あいつはおれが始末する。全く、とんだ大失態だ……こんな人生最大の恥晒し、一分一秒でも早く消してやる……!」
低く唸るような、正しく呪詛の声音に克樹は固まる。ざんばらに乱れた長い黒髪が怖い。
「まーまー落ち着けって。言うてお前、霊力はあのミニマム白太さん分しか取り置きがねえんだろうが。向こうがお前の霊力のほとんどを握ってんだろ? 一人で突っ走ろうとすんじゃねーよ」
はーやれやれ、と右耳に小指を突っ込んで掻きながら、呆れた様子の狩野がそれを宥めた。どうにか体を起こした兄が、俯き加減に狩野を見遣る。その寝乱れた髪に隠れた口元が、にやりと弧を描いた。
「まさか。おれの白太さんがそんなにショボいわけないだろう……? こいつは、妖魔だよ」
低く艶やかに、兄が――『蛇喰らい』の青年が嗤った。
――鬼さん、こちら。手の鳴る方へ。
呼ばれる『鬼』とは、人の心にある「未練」であった。
もしもあの時、もしもそれを選んでいたら。あんなことが起きなければ。
様々な未練が作り上げた、その人間が得られなかった理想の姿を映す呪具の鏡。それが、この神隠しの正体だった。
誰かの『理想の姿』を映すために作られ、しかし迷い山中に埋もれた鏡は主を呼ぶ。
呼ばれ、己の姿を鏡に映した者はその霊魂を鏡に吸われ、肉体は抜け殻となり朽ち果てる。鏡に映された理想の姿は肉体から吸った力と己の呪力で実体化する――はずだが、長い年月放置されていた鏡には、一般人の霊力で実体化できるほどの呪力が残っていなかった。そして、鏡に呼ばれ、鏡を覗いてしまった人間はただ抜け殻となり帰って来なかった。というのが、今までの顛末らしい。
今回、うっかりその鏡を覗いてしまった美郷は強い霊力の持ち主だった。よって鏡は念願叶い、美郷の『未練』を実体化するに至ったのである。
「つまりあの姿はそのままおれの黒歴史そのものなんだよ、羞恥プレイの極みなんだよ、これが冷静でいられるか……!」
怜路のセダンの助手席、拳を握って心情を吐露する美郷に、隣の運転席で怜路が「アーハイハイ」と適当な相槌を返す。後部座席では弟の克樹が、ルームミラー越しに心配そうに美郷を見ていた。あまり醜態を晒すわけにもいかない、と美郷は姿勢を正す。今更遅い気もするが。
正直、穴があったら入りたい。だが穴に埋まるにしてもあの偽物は道連れだ。野放しは許されない。
美郷が目覚めてから一週間後。「絶対に自分が同伴する方が物事がスムーズに運ぶ」と主張を曲げない克樹に折れて、美郷らは三人で鳴神の別荘に向かっている。これまでの間に、自分で想像するのもおぞましかった己の『未練の鬼』について克樹から聞かされたのだが、それはそれはもう、聞けば聞くだけ一秒でも早く消したくなる、目を覆うようなモノだった。
(拳で殴って叩き割ってやる……!)
白蛇に入れて逃がせた霊力は、確かに美郷の力の総量からはほんの一部だ。
だが、美郷の霊力を奪っていった鏡も相当古く傷んでいた。そう効率良く美郷の霊力を内側に留めてはおけないはずだ。既にひと月以上美郷に化け続けているのであれば、かなり霊力は目減りしているだろう。最悪、美郷自身で倒せずとも怜路がどうにかしてくれる。――さすがに、自分を慕ってくれる実の弟に、全く同じ顔の相手を倒させるのは躊躇われた。
(できれば、可能な限り、何とかして自分で始末したい)
美郷は両手を固く握り合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます