相棒(下)
空を横に薙いだ錫杖が、のろりと立ち上がった泥人形を打ち崩す。美郷の放った切幣の散弾が、怜路の足下に取り付こうとしていた一体を弾き飛ばした。ぐしゃり、べしゃり、と湿った音をたてて泥人形は潰れ、暗赤紫色の粘液に変わる。
「くっそ、マジでキショい! グロい!!」
ぎゃあぎゃあと喚きながら怜路が錫杖を揮う。泥人形は次から次へと、藁でできた腹からわき出していた。
「怜路、左のやつ斬るぞ!」
怜路が了解と片手を挙げた。美郷は縦に刀印を振り下ろす。美郷の放った霊気の刃で、まとめて二体が真っ二つに裂けた。畳みかけるように、今度は怜路が幻炎を呼ぶ。炎を盾に一旦後退し、美郷と並んだ怜路が歯噛みした。
「くっそ、コイツらどんだけ出て来やがンだ!」
「詰めた小豆の粒の数だけ……とかだったらヤバいよねえ」
たしか三合くらいは入れたはずだ。粒の数は、考えたくない。ははは、と乾いた笑いを漏らす美郷に、怜路がぐえぇ、と呻く。
「コイツらに目的はあんのかね。どうもやっぱ、俺らを標的にしてるみてーだが」
わき出してくる小豆色の泥人形は、まるで歩くことを覚えたての幼児のように、よたり、よたりと美郷らの方へやってくる。動きはたどたどしく鈍重で、こちらが自由に動けていれば襲いかかられる心配はない。ただ淡々と潰して行けばいいだけだが、こちらの気力体力にも限りがある。
「さあ……『恐怖』に目的なんてないんじゃない? マトモな、生身の人間が感じる『恐怖』は逃げるため、安全確保のためだろうけど……。けどこの感じ、取り憑く相手を求めてる雰囲気かな」
「たしかに、生身の人間に入り込みゃ、『実体』を得られるもんな。若竹ン時みてーによ」
若竹は具体的な「恐怖の対象」を持っていた。そこへ憑いて同化することで、この「恐怖」はより明瞭な「蛇」という実体を成すことができたのだろう。
「しっかし、どうするよ宮澤主事。あんま続けてっとコッチの弾が尽きるぜ。向こうもカタが付いたみてーじゃん?」
言って、怜路が視線を向けた先では、辻本が社の入り口を覗いている。辻本は社の周囲に結界を用意し、読経できりのを浄化する手筈だった。
「ホントだ。もう終わった雰囲気だね。……こっちもかなり削ったはずだし、もう一度本体を叩いてみようか」
言って構えた美郷に、小休憩、といった姿勢で怜路が頷く。
「おー、今度はお前の氷刃でぶった斬ってみ」
ああ、と美郷は刀印を組んだ。九字を切って場を整え、意識と霊気を研ぐ。
「清く陽なるものは、かりそめにも穢るること無し。祓え給い、清め給え。天火清明、天水清明、天風清明! 急々如律令!!」
霊気の白刃が藁人形を襲い、とめどなく泥をこぼす腹を刃が斬り裂く。ごぽり、とひときわ大きく、藁人形が暗赤紫色の泥を吐いた。泥塊が上下に割れて散る――かに思われた。
にたり。と小豆色の泥が笑った。
白刃に割られた裂け目を口にして、藁人形の腹で巨大な顔が笑う。
醜悪な顔に、響く奇っ怪な笑い声。思わず、美郷も怯んだ。
「うっわ……」
思わず漏れた言葉に、ざわりと地面が粟立つ。
地に溢れこぼれる泥が、潰された泥人形の残骸が、いっせいに人の頭の形に持ち上がりケタケタと笑い始めた。幾重にも幾重にも、気色の悪い笑い声が響き渡る。
「ヤバいな……これ、おれたちの『恐怖』を取り込んで学習してるんじゃないか?」
あまり悠長にしていると、憑かれてしまう。背筋を這い上がる嫌悪感と恐怖感をこらえて、美郷は唸った。なるほど、と隣で怜路が思案げに顎をつまむ。
「……よし、美郷。お前『饅頭怖い』つってみ?」
真剣そのものな表情の提案に、美郷は思わずずっこけた。
「なんだそれ! 嫌だよ、おれホントに怖いもん!!」
「イヤイヤ、もしそれでホントに饅頭になったら俺が全部始末してやっから」
始末といって、まさか食うわけにも行くまい。怜路渾身のボケ(だと思いたい)に一気に脱力して、がりりとこめかみを掻いた美郷は「ともかく、」と仕切り直す。しかしおかげで、肩の力は抜けた。
「その案は却下だけど、怜路。どうすれば良いと思う? おれじゃ実戦経験不足だ」
「どう……ってなァ……。俺ァ、こんなデカブツ倒そうと思ったことなんてねーし」
うーん、と本気で困ったように怜路は腕を組む。
「そうなの?」
意外だ、と美郷は目を丸くして、参った様子の怜路を見た。
「ああ。ンなヤベーのなんざ、もし出くわしちまった時は逃げるが勝ちだからな。こちとらしがない個人営業だぜ? 生きる『たつき』でやってる稼業だ、命あっての物種ってな」
個人の「拝み屋」ならではのプロフェッショナルな割り切りに、なるほどと美郷はいたく納得した。鳴神も、特自災害も、組織として大きなものを相手にすることが多い。「自分だけで出来る範囲」の見極めを重視する戦略は新鮮だ。
「じゃあ、どうするかな……」
ゲタゲタと醜い笑いを響かせ、泥人形の動きが変わる。少しずつ機敏に、奇声を上げながら蠢く。藁人形が大量の泥を腹から吐き出し始め、一気に広がった泥溜まりから多数の木偶が起きあがる。
「おれも万全じゃないし、これ以上長引くとキツい。勝負、出てみる?」
美郷の言葉に「勝負?」と怜路が眉を上げた。
「たしか怜路も、雷神招来系の術持ってただろ。帝釈天のやつ」
雷帝招請の術を見たことがある。怜路が「ああ、そうなァ」と頷いた。独鈷杵を本体に打ち込んで放てば、結構な出力が期待できるだろうと怜路は続ける。
「おれもひとつ持ってるんだ、雷光系の術。強力なぶんだけ呪が長くて滅多に使わないんだけど、『
言って美郷は口元だけで笑う。意味を察した怜路が、ニヤリと口の端を上げた。
「そいつァいいじゃねえの。二人分、一気にぶち込んでみるか」
言って錫杖を担いだ怜路に、美郷もよし、と気合いを入れた。
「時間稼ぎは俺がやる。
「うん。頼む」
視線を合わせて確認し、頷き合う。
「おう――任せろ、『相棒』」
ニヤッ、と最後に笑って怜路が駆け出した。思わず美郷は硬直する。なるほどこれは気恥ずかしい。緩む口元をぺちりと叩いて集中しなおし、美郷は呪を唱え始める。
「臨兵闘者皆陣烈在前。天火清明、天水清明、天風清明、天心清明」
藁人形に向けて飛び込んだ怜路を、四方から泥塊が襲う。
錫杖を自在に操る怜路が、石突でひとつを突き砕き、返す杖頭でふたつ目を叩き潰す。くるりと柄を背中で回して、背後から襲う二体を一気に吹っ飛ばした。
ぱん! と高らかにひとつ、美郷が柏手を鳴らす。
「
辺りの空気が変わり始める。ぴりぴりと空間全体が緊張しはじめ、遠く上空に細い稲妻が迸る。美郷の長い髪と作業ズボンの裾がふわり、と浮いた。
怜路が泥を吐き続ける本体に迫る。前後から同時に飛びかかった泥人形を、錫杖を支点に垂直跳びして避けた。掴んだままの錫杖を宙で一閃し、一瞬で二体同時に吹っ飛ばす。着地と同時に独鈷杵を構え、至近距離から藁人形の顔に打ち込んだ。
「ナウマク サンマンダボダナン インダラヤ ソワカ ナウマク サンマンダボダナン――」
帝釈天印を組み、真言を読誦しながら怜路が後退する。美郷も数歩前に出て二人並んで藁人形を――八雲神社に蓄積した「恐怖」の塊を睨んだ。
「天の八重雲をほろに踏みとどろに神鳴るを、
右手に鳴神秘呪の印を組み、天にかざす。横目で合図を送り、二人同時に小さく頷いた。呼吸を合わせる。場の緊張感が更に増し、ぱしん、ぱしんと中空に放電が迸る。
「諸々の禍事、罪穢有らむをば祓え給い清め給えと
「天魔外道皆仏性 四魔三障成道来 魔界仏界同如理 一相平等無差別」
「「――雷光、招来!!」」
一瞬、空全体が発光した。
それを全て束ねたように、巨大な雷の柱が目の前に立つ。
目を焼かれ、ホワイトアウトする視界の中でそれは、絡まり合う一対の龍に見えた。ほんの刹那の時差で、世界を砕くような轟音が全身を叩く。びりびりと骨の髄まで震わすそれらから耳を塞ぐ暇も、目を閉じる暇もない。
衝撃波に煽られ庇い合いながら、美郷と怜路は、想像の遙か上を行ったとんでもない雷撃に耐える。ようやくエネルギーの奔流が去って、美郷はふらりとよろめいた。閃光の反動のように、視界が薄暗い。何事かと周囲を見回すと、上空には宵空の藍色が広がり、星が瞬いている。
「おい、大丈夫か」
「鼓膜破れたかと思った……」
「同じくだ、目も耳も無事でビビってらァ」
おどける怜路に思わず吹き出す。上、と軽く指差して美郷は言った。
「空。縄目が破れてる」
「ゲッ。マジかよ。つかもう夜なんかい」
山の縄目の中と、外の世界は時間の進み具合が違う。お互い乾いた笑いを漏らしながら、焼け焦げた爆心地を確かめた。全てが真っ黒な消し炭だ。空の穴は徐々に白い闇が塞ぎ、元通りに蓋をされてゆく。
「さすがに燃え尽きたか。つーか、さすが龍神の末裔だなオイ。なんだありゃ」
「いや、おれもあんなん初めて見たんだけど……普段あの十分の一くらいなんだけど」
単純な足し算でなく、乗数的に威力が増したらしい。そろりそろりと近寄って、美郷は怜路と共に爆心地をのぞき込んだ。周囲半径三メートルは、全て地面ごと炭化している。だが驚いたことに、まだ焼け焦げた藁の断片が残っていた。さすがは、まがりなりにも時経た「神」である。
怜路が錫杖の石突で、ちょこんと焼け残りの藁をつついた。何かが出てきそうな気配はない。次いで、サングラスをずらして周囲を確かめる。
「どう?」
尋ねた美郷に、怜路は「うーん」と頭を掻いた。
「もう『本体』っつー感じのモンはねえな。けど、だいぶ全体に染み着いてやがるな……綺麗になるまで掃除すんのはコトだぜ」
渋い顔で怜路が腕を組む。ああ、それについては、と美郷が言う前に、横合いから「大丈夫よ、僕がやるけ」と声がかかった。辻本だ。
「本体を潰してくれたんなら、残り屑は全部僕でどうにかなると思うよ。二人ともお疲れさま。――いやぁ、凄かったねえ今の。二人ともこの距離で大丈夫だったん?」
さすがに驚いた、といった表情で辻本が眉を寄せる。それにおのおの頷くと、それじゃあ、と辻本が微苦笑した。
「ごめんけど宮澤君、ここは僕が代わるけえ、社の方に、克樹君のところに行ってあげてくれんかね? ちょっと僕じゃあ声かけれんかったんよ」
珍しく本当に困った雰囲気の辻本に首を傾げながら、了解した美郷は怜路と別れ、小さな社へと向かった。
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