相棒(上)


14.



 土嚢袋の口を封じていた符を剥がし、美郷は折り畳んであった「依代」を引きずり出す。全長一メートル程度、子供と同じくらいの大きさの藁人形に、結界を組んだままの怜路が「げっ」と嫌そうな声を上げた。藁人形は、それだけで不気味な存在だ。大きさがあれば更に迫力は増す。


 藁人形を地面に置いて、美郷は怜路を促し人形から距離を取った。


「怜路、結界を解いてくれ。アレに、吸い込まれるはずだ」


 了解、と怜路が印を解く。小豆虫の大群は、待ち望んでいたかのように藁人形に吸い込まれた。


「あの藁人形、新しく作ったのか」


「うん。怜路の話を係長たちに伝えて、小豆虫が長曽の人々の人柱への『恐怖』なら、その本体はきりの……加賀良神社の人柱じゃなくて、八雲神社の御神体だろうって話になって」


 八雲神社の御神体は、厄を移した小豆を詰めた藁人形だった。


 神社を創建した者――おそらく、寺を経由して長曽に招かれた行者の意図は、長曽の人々に降りかかる、人柱の怨念という「厄」を小豆に移させて集めて祀り、慰め鎮めることだっただろう。だが、実際には「人柱の怨念」は存在せず、長曽の人々を苦しめていたのは彼ら自身の罪悪感と恐怖だ。


 黒い靄のような小豆虫の大群を全て飲み込んで、藁人形は不気味な沈黙を保っている。その出方を窺い、美郷と怜路は身構える。


 八雲神社には長曽の人々の、罪悪感と恐怖が集められた。「神社」「御神体」というカタチを得た罪悪感と恐怖は、山裾から集落を睥睨して、神社を見上げる人々にその存在を思い出させる。


 八雲神社の創建と同時に、長曽では小豆食を禁じている。これはある種の願掛けに似たまじないで、その誓いを以って加賀良山と長曽の人々を断絶させていた。小豆を食べない限り山からは呼ばれない。小豆を食べない限り、祟りの病は起こらない。それもまた、長曽に生きる人々の思念を使った呪術である。だが小豆食という禁忌を定めて守り、鎮めているからという安心感は、裏に「禁忌を犯せば祟る」という恐怖を残し続けた。


『ここに、祟る山がある』


『ここに自分たちの罪がある』


 目に映るカタチがあることで、恐怖は世代を越えて引き継がれた。代々の恐怖を集めた小豆は「人柱のはらわた」として八雲神社に祀られ、凝った「恐怖」は神社から山に入り込んで、実際の人柱であったきりのをじりじりと浸食したのだろう。


「八雲神社の御神体は、七歳以下の子供を象った藁人形だった。そして、七年毎に作り替えられ、その時に厄を移した小豆を詰められた。儀式を始めた人間の意図はともかく、何代も何代も集められた『恐怖』は、祀られてる間に浄化されるわけでもなく蓄積し続けたんだ。それがこの、小豆虫の正体だよ」


 ならば、と、美郷を休ませている間に辻本を中心として、職員たちや近隣の住民で新しく藁人形をこしらえ、残されていた作法に則って「御神体」の代をかえた。ただし中の小豆には何もしていない。「空」の御神体に小豆虫を、この山に蓄積した邪気を全て吸わせて集め、まとめて始末する作戦である。


「なるほどねェ……で、そのカタチは小豆を喰う虫になったってか。藁人形の中に詰められて朽ちた小豆で増えた虫ってカンジね。どうりでなんつーか、空虚な気配してたワケよ。怨んでる『本体』はどこにも存在しねェんだからな」


「そう。だから、若竹さんに憑いた状態だと姿を変えたんだろう。小豆虫から、蛇……たぶん、おれを象徴するモノに」


 村人にとってのきりのと、若竹にとっての美郷はとてもよく似た、罪悪感と恐怖の対象だったのだろう。そう言ったのは芳田だ。加賀良山に入った若竹の精神状態は、とても小豆虫と相性が良かったのだろうと。美郷としては、何とも言えない気持ちになる。渋い顔で付け加えた美郷に、けっけ、と怜路が笑った。


「まあとりあえず、アレを始末すりゃあ疫病の祟りは終わるワケだ」


「そういうこと。神隠しは……克樹と、辻本さんが何とかしてくれる」


 克樹はきりのと、一週間あまり共に過ごしている。美郷からきりのを庇って飛び出してきた克樹の表情ときりのの反応から、ある程度心を通じ合わせているのは分かった。


「この『兄上』も弟に甘ェんだか、厳しいんだかなァ……」


 錫杖を担いだ怜路がにやにやと美郷を流し見る。どういう意味だ、と美郷は片眉を上げた。


「別に、どっちでもないだろ。あいつも訓練を受けた呪術者なんだし、変に引き離してこっちで勝手に処理するより、任せる方がたぶん上手くいくと思ったんだ。バックアップは辻本さんで、克樹がもし来なくてもどうにかなるよう作戦は考えてた」


 美郷と怜路できりのと小豆虫を隔離し、きりのの説得と浄化は辻本に任せる。もしも克樹を計算に入れられない場合はそうする予定だった。


「ったく、『克樹をその気にして連れてこい、もうきりのを助ける気がないようなら置いて来い』とか無茶ぶり言いやがってよォ。おかげでだいぶ嫌われたぜ俺」


「かなり楽しそうだったじゃんさっき。どうせノリノリで苛めて来たんだろ。なんで克樹の顔に傷ができてたんだ、さっき見たときはなかったのに」


 文句を言いながらも上機嫌な大家を、横目でギロリと睨む。着ているブレザーもドロドロに汚れていたのは見逃していない。「おっと藪蛇」と肩を竦めたチンピラ大家に溜息を吐いて、美郷は前方の藁人形に集中した。


「どうする、一発叩いてみるか?」


 言って怜路が錫杖を構えた。美郷はそれに「そうだな」と頷く。


 じゃりん、と錫杖が鳴って、不動明王の幻炎が藁人形を襲った。白い炎が藁人形を包む。


「やった――ワケじゃあ無ェな、さすがに」


 相手はまがりなりにも、神社に祀られていたモノだ。それも、二百余年の「念」を溜め込んでいる。


「辻本さんでも、多分一息で片づけるのは無理だろうって」


「そういや、白太さんの『ごっくん』は通じねえのか」


「それも考えたけど、白太さんは人間食べないからアレも駄目らしい。不味そう、嫌、って……まあ、人間の味を覚えられるのも危険かなって」


 そりゃまあそうだ、と怜路が頷いた。


 さすがの辻本も「神」を浄化するのは難しいという。


 格からいえば、加賀良山そのものの霊力を宿したきりのの方が強力だ。しかしきりのは、説得が通じる。説法の得意な辻本ならば、もし克樹の強力が得られずともどうにかなっただろう。――勿論、克樹の協力はありがたい。克樹ときりのが移動したはずの社をちらりと美郷は見やる。


(多分。まあこれは、おれの希望か欲目かもしれないけど。克樹なら、きりのに届く言葉を持ってるんじゃないかと思うから……)


 炎が消えた焼け跡の中心に、無傷の藁人形が横たわっている。その腕が動き、のそり、と藁人形が体を起こした。


「おう、お目覚めだぜ」


 おもしろい、と怜路が再び錫杖を構える。美郷はヒップバッグから、切り幣を一掴み取り出した。


「――怜路。おれは接近戦は厳しい。お前が前に出てくれないか」


「いいぜ、任せな。……けどお前、鉄扇買ってなかったか?」


「今日初めて使って、もう折れた」


「ぐっは、マジかよ。安物買いのナントヤラだな」


「ホントにね……。次は分割でも、まともなやつを買うよ」


「おう、そうしろそうしろ。家賃は多少くらい待ってやらァ」


 やっと俺の出番だ暴れるぜ、とばかりにご機嫌で準備運動しながら怜路が笑う。


 美郷は、誰かと並んで呪術を繰り出す経験を今までほとんどしていない。連係ミスは恐ろしいが、怜路ならばどうにかしてくれるだろうと、その余裕っぷりに気持ちが軽くなる。


「うん。じゃあ――よろしく、『相棒』」


 ぼこり、と藁人形の腹が大きく膨らみ、中から何かが突き出した。子供の手だ。美郷は呼吸を整える。


 ……と、何故か怜路が、間抜けな顔で美郷の方を見ていた。


「何見てるの、お前?」


 敵はあっちだぞ、と美郷は眉根を寄せる。


「イヤ、ああ、エート。……美郷君さあ、ホント、よくそんなサラッと決めれるよね」


 相棒って、お前。とやたら恥ずかしそうに照れる怜路に、気恥ずかしさが伝染して美郷まで慌てた。


「なっ。えっ、変? イヤなら……」


「嫌じゃない! 嫌じゃないけど!!」


 数メートル向こうでは、藁人形の腹から子供のような「何か」がいくつも這い出している。呻き声とも泣き声ともつかぬ、甲高い怨嗟の叫びと共に地に落ちる。それはきりのではなく、誰か他の、今までの「人柱」でもない。人々の恐怖が生み出した「祟る人柱」の具現化だ。


 グロテスクな地獄絵図を前に、野郎二人で見つめ合って照れ合う様は寒々しい。


「……じゃあ、まあとりあえず!」


「お、おう!!」


 何とも締まらない。お互い、妙に裏返った声で気合を入れ直して敵を向く。


(まあ、その方がらしいかな)


 口元だけで、美郷はふふっと笑った。


 相棒、それは共に同じ籠の棒を担ぐ相手、転じて共に仕事を行う者。だがその単語の本質は、「二人一緒でなければできない何かを成す相手」だろうと美郷は勝手に解釈した。それはひとつの仕事かもしれないし、「今の生活」かもしれない。そして今この瞬間は、あの化物を倒すことだ。


「ただの確認なんだけど、アレは子供でも人間でもないよね?」


 どろりと小豆色をした、蠢く泥人形を指して問う。


「安心しろ、間違いなくどっちでもねェ。何かグロいぐちょぐちょだ。白太さんでも腹壊すだろうよ」


 ほんの少しサングラスをずらし、鼻の頭にしわを寄せた怜路が頷いた。よし、と美郷は軸足に体重を乗せる。


「それじゃあ、行きますか」


 遠慮は無用。容赦も無用。全身全霊で叩っ斬れば良いだけだ。


 応、と吼えて、美郷の『相棒』が地を蹴った。

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