別れ(三)
小豆虫の大群が美郷を襲う。それを刀印で切り払って躱し、美郷はきりのと距離を取った。係長の治療を受けたとはいえ、あまり最初から大盤振る舞いはできない。加賀良神社の社の前で、美郷は鬼の少女――きりのと相対していた。
「どうして、私、なんにも悪いことしてないのに!! いっつも私ばかり母さんに怒られるの!? 村のみんなも私のこと嫌うの!? なんで、ねえ、おふさは!? おふさは、おふさだけは、私がっ!!」
肩を怒らせ、血を吐くように少女が叫ぶ。呼応するように小豆虫が舞う。
「おふさだけは、君を必要とした。――君達姉妹には、他に遊ぶ相手はいなかったから。それは間違いではないと思う」
淡々と美郷は返す。
何故、おふさが人柱に選ばれたのか。何故、この小豆虫が「人間の恐怖の塊」なのか。
『代を重ねた人間の恐怖いうことは、つまりあの小豆虫は長曽の村人の恐怖が作り出したモノいうことでしょう』
芳田は言った。まず、飢饉が起きた。そして「何者か」が飢饉鎮めのための藁人形から小豆を盗んで食べ、代わりが必要になった村人たちは、おふさを人柱に立てようとした。実際に人柱になってしまったのは姉のきりのであり、きりのは騙し討ちの形で山に置き去りにされたため、「鬼ごっこ」を始めず逃げてしまったおふさを呼び続けた。
きりのはおふさを呼び続け、山に入ってきた村の子供たちを引っ張った。本人にはその自覚はない。おふさは人柱を逃れてそのまま長曽から逃げ出し、母親と共にまもなく客死している。おそらく、山と同化してしまったきりのからは、長曽の村の子供は区別なくおふさに視えたのだろう。芳田と辻本はそう推察していた。
きりのに引っ張られた子供は次々と山に消える。飢饉の通り過ぎた長曽の村に、新たな恐怖が降りかかった。
「じゃあ、なんでおふさは居ないの!? かあさんは、かあさんはおふさだけ迎えに来たの!? 私が鬼になって、ずっと、ずっと……! ねえ、どうして!?」
怒り狂うきりのの細い腕が空を薙ぐ。痩せて、細い細い体だ。村は飢饉の最中にあった。誰しもそうだったかもしれない。そして粗末な着物はつぎはぎだらけで、丈も袖も足りていない。草履もくたくたで、彼女の家は村の中でもとびきり貧しかったと想像できる。
ぶわり、と宙を旋回した小豆虫の群れが再び美郷を襲う。結界術で跳ね除けて、美郷は横に躱す。
『祟りじゃと、そう思うたでしょうな』
芳田の言葉だ。
長曽の村人たちは、恐らくおふさときりのの入れ替わりを知らなかっただろう。それは、おふさと母親がすぐに村を出ているところと、檀那寺の記録に「おふさは観音様になったので経を上げて欲しい」という依頼が残っていることから想像できる。あまりにもスムーズに寺請書が発行されているところからすれば、おふさの母親には村の実力者が味方したのかもしれない。
「おふさは、とっくに亡くなっている。遠いところで、この山から下りてすぐにどこかへ出かけて、そこで流行り病に罹ったんだ」
小豆虫の攻撃を引き受けながら、美郷は怜路の合流を待つ。辻本には隠形して、後方でこれからの準備をしてもらっていた。
『神隠しの祟り、ですよね。じゃあ疫病の方はどこから……?』
昼前、治療を受けながら芳田、辻本と情報交換をしていた美郷は首を傾げた。
『それが、「恐怖」でしょう』
そう言った芳田は、八雲神社を見上げていた。
人柱の失敗に、長曽の人々は怯え、恐怖した。その恐怖が新たな「祟り」を生んでしまうほどに。何故なら――。
『八雲神社の由来には、「盗んで小豆を食うた者」おります。そして小豆研ぎの祟り伝承では、小豆研ぎへの供え物であった小豆をみなで食べてしもうたことで、疫病の祟りが起きております。つまり問題の飢饉の折に、長曽の村人は食い詰めて、人柱用の小豆を自分らで食うたんでしょう。そいで、村八分にされとった家の
だから村人たちは神隠しが始まって怯えた。自分たちの中に、罪の意識があったからだ。
――怨霊は、死んだその人物本人だけで出来上がるものではない。
生きている人々の恐怖、罪悪感、恨み、期待。そんな様々に渦巻く感情が「怨霊になるべき故人」を中心に混じりあって、「怨霊」と呼ばれる何かになる。広瀬の探した小豆研ぎなど、妖怪も同じだ。核となる「人々にその存在を感じさせる何か」はあらかじめ存在しても、そこへ「小豆研ぎ」と名を与え、姿を与え、役割を与えるのは「小豆研ぎは存在する」と信じる人間なのだ。
だから、その小川に小豆研ぎが「いる」と思う人間がこの世から一人もいなくなれば、そこにもう小豆研ぎは「いない」。同様に、きりの自身は長曽の村人になど何の関心も払っていなくとも、村人たちがその罪悪感と恐怖から「加賀良山には恨み、祟る人柱がいる」と信じれば、その「恐怖」はこうして形と機能を持って、実際に「祟り」を起こしてしまう。きりの自身すらも巻き込み、呑み込みながら。
不意に美郷の後方で梢が鳴った。
――来た!
嬉しそうに知らせて来るのは、体内の白蛇だ。どうもこの蛇、怜路に懐いている。
「怜路だけか!?」
美郷の問いに、白蛇が「否」と返した。すぐに美郷にも、燃えてはぜるような霊気が感じられた。記憶の中と変わらない、活力に溢れた気だ。美郷はふ、と口元を緩める。
「白太さん、予定通りに辻本さんの所へ行ってくれ」
言って、美郷は懐に出していた白蛇を地に放る。普段より小サイズの白蛇が朽葉の中に消えた。
「きりの!!」
少年の声が響く。
「はっはー、ちゃんと来れたかクソガキ!」
やけに楽しそうな、怜路の声も聞こえた。
美郷は小豆虫に集中する。コレは、きりのに憑いた村人たちの「恐怖」だ。
きりのの四肢にまとわりつき、きりのの心に巣喰い、きりのを「祟る鬼」たらしめている。
印を組んで気を練る。美郷の敵意に反応して、一際大きく小豆虫がうねりを上げた。
「おれは君の疑問には答えられない。もうこの世界に、答えられる人間はいない。君がこのままずっと『鬼』として、子供たちを呼び続けるならおれは――」
刀印を振り上げた。先程も美郷はきりのに傷を負わせている。きりのが怯えて身を竦ませ、小豆虫が全てきりのから剥がれて美郷を襲う。
「止めろっ! きりのは斬らせない!!」
小柄な体が、横合いから飛び出してきてきりのを庇う。意志の炎を爛々と燃やした克樹だ。その表情に、美郷は笑う。
「克樹! そのままきりのを守るんだ、絶対にこの虫を彼女に近付けるな!!」
弟が目を真ん丸にする。ぽかんとしている克樹に、美郷は改めて笑いかけた。甲虫の大群が目の前に迫る。
「さあ早く。彼女を守れるのは、お前だけだ」
視界が黒い靄に覆い尽くされる寸前。成長した弟が、力強く頷く様子が靄の隙間から見えた。
「――で、カッコつけたオメーはどうやってコイツ躱す気だったんだ?」
背後からは、心底呆れた偉そうな声が響く。目の前には怜路の張った結界の薄い皮膜が、小豆虫の侵入を防いでいた。
「それはまあ、大家様が何とかしてくれるかと……」
「頼れってそうじゃ無ェんだよこのアホ!!」
全力ツッコミにあははと笑って、美郷は頼りになる大家の隣まで後退した。
「辻本さんから袋貰った?」
「この土嚢だろ。中身何だコレ」
「藁人形。この蟲たちを、本来の依代に収めるんだ」
へえぇ。と怜路が首を傾げる。詳しい説明は作業をやりながら、と美郷は怜路から土嚢袋を預かった。
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