別れ(二)


 兄の代理を名乗ったヤクザな格好の拝み屋は、一瞬で克樹を地に組み伏せて不敵に笑った。腕を背中に取られ、関節に錫杖を絡めて上から押さえつけられ、身動きの取れない克樹はぎりぎりと拝み屋を睨む。「イイ顔だな」と意地悪く口の端を上げた拝み屋は、膝で克樹の背中を押さえていた。一発目に急所を打たれた軸足が痛い。己の体の一部のように錫杖を操り、このチンピラは克樹をまさしく赤子の手を捻るように倒してみせた。


(くそっ、武術は得意だと思っていたのに……!)


 なす術もなく後ろ手に拘束されて引き倒されたので、もろに胸と顎を打った。衝撃で口の中を切ったらしく血の味と、じゃりじゃりとした土が舌に触る。至る所で制服越しに刺さる、小石や柴木が不快だ。


「ぐっ……はな、せ……!」


「大人しく俺と下山すんならな。ホラ言ってみやがれ、参りましたアナタに従います~ってよォ」


 けっけっけ、と嗤った拝み屋が人の上で煙草をふかす。こんな下品な男が兄の代理だなどと、克樹には信じられない。


「くそっ……! 誰がっ、貴様のような下品な人間にッ……!」


 なんとか逃れようともがくが、ただ足がジタバタと空を蹴るだけだ。だが、こんなどこの馬の骨とも知れないヤクザ紛いの男に組み敷かれて許しを乞うなど、克樹のプライドがどうしても許さない。小石で頬を削りながら歯ぎしりして睨み上げる克樹を、拝み屋は愉快そうに眺めていた。薄く色の入ったサングラス越しに、底意地悪げに吊り上がった目が眇められる。


「ほォ、さァすが鳴神家のお坊ちゃまだな。プライドだけは一丁前ってか」


 プライド「だけ」と強調する口調が、いちいち厭味ったらしい。誰が負けなど認めるか、と口を引き結んだところで、ばたばたと頭上で羽音が響いた。


「お? 係長の護法か?」


 拝み屋が鳩のような護法を捕える。護法はひらりと一枚の、鳥型に切られた和紙に戻った。つい先ほど、拝み屋も護法を飛ばしていたのでその返事かもしれない。なにやら伝書があったようで、克樹の上に乗ったまま拝み屋はそれを黙読する。否、「ふうん」だの「マジか」だのとぶつぶつ五月蝿いので、黙読とは言わないかもしれない。


「――美郷から伝令だ。今からこの山の鬼を始末しに行くってよ。俺ァ今度はソッチに呼ばれたから、オメーはここに転がして行くわ。全部終わったら回収してやる。大人しくしてろよ」


 伝書を読み終えたチンピラはそう言って、ヒップバッグから出した縄で克樹を拘束し始めた。冗談ではないと、じっとりと土の水分を吸って湿る体を捩り、克樹は脱出を試みる。


「無駄無駄ァ。てめー如きが俺の拘束術破れるかっつーの。お上品な組手か演武しかしたことねーんじゃねェのお前。まーだあの鈍臭そうな兄貴の方が使えるぜ」


 いちいち丁寧に克樹の神経を逆撫でしていく拝み屋に、腹の底から怒りが湧き上がって来る。克樹を侮辱し、兄を愚弄し、きりのを「始末する」とのたまう偉そうなチンピラが許せない。なにやら滔々と説教を垂れて来たが知ったことか、と克樹は内心で吐き捨てた。


 きりのを、この男の好きなようにはさせない。克樹は決意する。


 兄に来て欲しかった、それは事実だと克樹は認める。兄が変わってしまったのだと信じたくはない。


「じゃーなお坊ちゃま。一仕事終えたお兄ちゃんが迎えに来てくれるまでそこで泣いてな。まあ、来れるモンなら来てみやがれ。お兄ちゃんに歯向かって鬼を守るような根性がテメェにあンなら、ヒロインのとこまでひとっ飛びも可能だろうよ。なァ思春期?」


 言って、拝み屋が克樹から離れる。縛り転がされた克樹は芋虫のようにのたうって体勢を変えた。朽葉や小枝、雑草が体を擦る。


 克樹の睨む先で、錫杖を鳴らした拝み屋が木立に消えた。


「――ッ、このっ、貴様ァ!!」


 両手両足を縛られた状態で、どうにか体を起こす。後ろ手に縛られているが、ギリギリ、印が組める位置に両手があった。


「私を、舐めるなよ……! ノウマク サンマンダ バザラダン カン!」


 ぼっ、と克樹を戒める縄が燃える。縄を消し炭にして立ち上がり、克樹は怒りと勢いそのままに走り出す。大きく、肚の底から彼女の名を呼んだ。


「きりの!! どこだ! お前は私が守る!! 返事をしてくれ、きりの!!」


 走る。今、きりのを守れるのは、きりのの心を思ってやれるのは、克樹しかいないのだ。


(兄上が、もう顧みてくれないのなら。私が守るしかないんだっ……!)


 兄との邂逅のショックで忘れていた、大切なことを思い出す。


 確かに、克樹は兄の美郷に会いにここまで来た。だが、克樹は、克樹だけはきりのを見捨てたり、切り捨てたりはしたくない。彼女の寂しさや悲しさも、ただ無邪気で純真なところも、知っているのは克樹だけだ。


(絶対に! 止める!!)


「きりの!!」


 拝み屋の消えた木立の中に飛び込む。黒々と葉を繁らせる藪椿の間を抜ける。


 椿の葉に覆われた視界が晴れたその先に、見慣れて懐かしい、きりのの社が建っていた。

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