縁(中)



「係長、狩野君と宮澤君が合流したそうです。鳴神の家人も『持って』帰ってくると。克樹君はまだみたいですね。宮澤君が負傷しとるそうです」


 長曽集会所に待機して指揮を執る芳田の元へ報告に来たのは、二時間ほど前に杉原一家と共に下山していた辻本だった。長曽集会所は八雲神社のすぐ下にあり、芳田と辻本の他には朝賀が補佐として詰めている。大久保は八雲神社に開いた異界の入り口が閉じないように、宮澤の式も使いながら門を維持していた。


 辻本から差し出された、二つ折りの和紙を受け取る。怜路が好んで使う折り紙型の護法だ。中に文章を書いて、伝令として門に常駐している大久保へ飛ばしたようだ。


「ありがとうございます。鬼の少女の名前は『きりの』ですか……辻本君、調べて貰うてもエエですか」


 芳田の指示に辻本が頷く。長曽に関係する資料は、今のところ把握したものはあらかたまとめてこの場に持ち込んでいる。鬼の少女とは杉原親子も対面していたが、残念ながらそちらから情報は得られていなかった。宮澤が一緒に下山してくれていれば、という所ではあるが、それは今言っても仕方がない。


 集会所の中は二十畳程度の座敷がひとつに床の間と、簡素な土間の調理場がついている。間仕切りもなく建物も古い集会所の中では、三つの石油ストーブがあかあかと燃えて、上に薬缶の蒸気を立てていた。ストーブのひとつの傍らに折りたたみテーブルを出し、芳田はそれをデスクとして使っている。脇には隙間時間にこなしたい通常業務と、本件に関する資料をありったけコピーして綴じたチューブファイルが山を成していた。


「鳴神の――若竹さんでしたか、は、どうしてです? 狩野君が『持って』帰って来ていうことは、意識が無いんでしょうが……」


「そちらは持田君にもう一往復して貰いましょう。杉原さんは旦那さんが付いとってですし、中病に任せておけば間違いは無ァでしょうからな」


 巴市立中央病院は、巴市唯一の総合病院である。名の通り巴市が管理運営しており、特殊自然災害の専門知識を持つ医師と特別処置室も用意されていた。杉原親子は特自災害の職員がそちらに搬送し、診察を受けてもらっている。


 それと、と芳田は少し意地悪く笑う。向かいに膝をついた辻本が不思議そうに眉を上げた。


「宮澤君のほうは、申し訳無ァですがまだ戦線離脱されたら困りますけぇな。私のほうで『苦い薬』を用意しときましょう。そろそろ朝賀さんが昼を買うて帰ってきてですけえ、お弁当を食べたら辻本君は、本格的に調査の方に入ってください」


 意味を察した辻本が、こらえきれなかった様子で吹き出す。


「係長の霊符湯は苦いですからね。狩野君にも朝飲ましちゃったんでしょう、宮澤君のよりよう効く言うて渋い顔しとりましたよ」


 辻本にも過去何回か処方した記憶がある。かつて辻本と芳田でコンビを組んで仕事をしていた頃は、芳田のスパルタにぎりぎりまで黙って耐えた辻本が、精魂尽き果てて倒れることも何度かあった。否、決して無駄に厳しくしごいた記憶はない。組み初めの頃は加減が分からず、芳田基準で動くとどうしても辻本には過負荷がかかっていたのだ。おかげで芳田は、部下にかかっている「無理」がどの程度が察する能力が磨かれた。


「ああ、宮澤君にも処方して貰うた言いよっちゃったですなあ」


 微笑ましさに目を細め、芳田はあっという間に冷めた傍らの湯呑みに口を付ける。お湯を沸かしておきましょうか、と笑う辻本に首を振って座布団を勧め、胡座を組み直した芳田は外を眺めた。集会所の正面は掃き出しに濡れ縁が付いており、雨戸を開けている現在は結露に曇ったガラス越しに、真砂土の広場と八雲神社の足下が見える。天候は午後から崩れ、夜には雪の予報だった。確かに早朝の青空は既に消え、日差しは弱々しくなっている。


「……係長?」


「ん、ああいえ、護法は比較的早う飛んできますが、中の時間はざっと倍は外よりゆっくりですけえな。宮澤君の状態次第ですが、あまり手ぐすね引いて待っとっても、待ちくたびれるかもしれません」


 壁掛け時計は、あと二十分もすれば正午という時間を指している。辻本が帰ってきたのは入山してから約三時間後だったが、辻本の体感では二時間も経っていなかったそうだ。冬至も近いこの時期、午後になればすぐに山の日は暮れ始める。天候も悪化するのであれば、どこが引き際かの判断が、芳田の大きな仕事となるだろう。


「狩野君、優秀ですねえ」


 芳田の視線を追うように窓の外を眺めて辻本が言った。芳田は手元の書状に視線を落とす。和紙特有の滲みを見せているが、読みとりやすい文字で端的に必要な情報が記されていた。


「経験値でしょうなァ」


 芳田もしみじみと笑う。狩野と宮澤はほとんど歳は変わらない。だが、まるでかつての芳田と辻本を見ているようだ。そう思ったのは、どうやら芳田だけではないらしい。


「……同年代なだけ、宮澤君は複雑かもしれませんね」


 ぽつりと言った辻本は、今回に限らず美郷をかつての己に重ねているのだろう。辻本の能力も特殊だ。一人で不安を溜め込んでいた時期があったのは、芳田も良く知っている。ギリギリまで弱音を吐かずに、表情を変えず食らいつくところも似ていた。


「まあ、大丈夫でしょう」


 芳田は今朝早く、事務室で狩野に霊符湯を飲ませている。晴人が既に消えたと判明し、緊急対応で他の職員が出払った後だ。加賀良山の件を担当していない職員への伝達やこの集会所の借り受けなど、後方の体勢を整えるために芳田は一人、本庁に残った。その際狩野に件の霊符湯を飲ませながら少し話をしたのだ。


『俺が、ただ俺のためにやってるだけだ』


 改めて諸々の協力に礼を言った芳田に対し、まだ眉間に苦みを残した顔のまま、狩野は笑った。そして少し照れたように付け加えたのだ。


『ま、美郷の受け売りだけどな』


 聞けば、先日宮澤にも霊符湯を飲まされた際、そう言われたらしい。


『あんな風にさあ、自分が欲しいモンが欲しい、自分のやりたいことを自分のためにやってンだって堂々と言えんのが羨ましくてよ。普通もうちょいカッコつけるじゃん?』


 そう無性に照れ臭そうに頭を掻く姿は、年相応の若者に見えた。確かに狩野の方が実戦経験が豊富で、状況把握や優先順位をつけ方にも長けている。だが、一度は己の命を軽んじた彼にとって、その「狩野」を「自分のために守る」と言い切る宮澤は何より眩しい存在だろう。


 宮澤には狩野にない貪欲さと、例えという不屈の闘志がある。


『まあ、関係で言やァさ、大家と下宿人っつーか、せいぜいなに、ダチくらいなモンかもしんねーけど……』


 そう語尾を濁した彼もまた、宮澤と同じく私生活を支え合う身寄りを持たない。


 しゅんしゅんと、薬缶が蒸気を吹いている。日が高くなっているとは思えないほど、外は寒々しさを増していた。こうなれば異界の中の方が、外よりも過ごしやすいだろう。


「きりの、いうんが誰か記録に残っておりましたか」


 折角狩野が先に送ってくれた情報である。あまりのんびりしていては申し訳ない。現実に意識を引き戻して尋ねた芳田に、山を崩して資料をめくっていた辻本が頷いた。


「確かあったと思います。――ああ、やっぱり。おふさの姉ですね」


 歳は十二で、神隠しに遭ったことになっている。ファイルにまとめられた、檀那寺に残っていた記録のコピーには、現代語訳を書き込んだ付箋がいくつも貼ってある。昨日、皆で夜を徹して解読作業をしたのだ。中でも一番量をこなした辻本は、内容もよく把握している。


「家族構成は両親と姉のきりの、妹のおふさ。きりのが十二歳、おふさが七歳です。きりの、おふさ、それに母親が神隠しで、父親は病死になってますが、おふさ客死の書状にはその母親らしき人物も載ってます。……姉を山に置き去りにして、妹と母親が逃げたんでしょうかね……」


 推理する辻本の声音は重い。今更自分たちが何をどう言ったところで、二百年以上前の話だ。だがいつの時代も、どこかで誰かが他人の命を値踏みしている。他人であれ、身内であれ、誰も全ての命を平等に扱うことなどできない。この仕事をしていると、その中でワリを食ってしまった人間、理不尽に喰い殺された人間との邂逅を数限りなく経験する。


「きりのは十二歳、はァ人柱としては『とう』が立ち過ぎとって、山と同化しきらずおふさへの執着が残ってしもうたいうことでしょうな。鬼ごっこは……ほんまの人柱の予定じゃあなかったきりのを、山に残すための方便でしょう」


 姉妹に何の違いがあったのか、母親に何の思いがあったのか、芳田らが知ることは不可能だ。今までの経験則から推察するしかないし、全てを知る必要もないだろう。全ては遠い過去に終わってしまったことだ。


「それと、自分を生贄にした村人たちを恨んで疫病をばらまいたいうことでしょうか……しかしそれだと……うーん、どうもスッキリせんですよね」


 頭の中がもつれた、といった風情で短く整えた髪をかき回し、眼鏡を外した辻本が溜息を吐く。シャツの裾でレンズを拭き始めた辻本に芳田もひとつ息を吐き、それならばと提案した。


「大久保君の所が寒うないか、ちょっと行ってみましょうか」


 頭の中がもつれた時は、足を動かすと良い。テーブルに放っていた業務用の携帯電話を握って立ち上がった芳田に、辻本は「僕はちょっと冷えたんで、お茶沸かしよります」と笑った。芳田はそれに頷き、辻本と共に立ち上がって、出入り口のある土間の調理場へ降りる。給湯用の薬缶に水を入れ始めた辻本の背をすり抜け、外に出た芳田は八雲神社を目指した。


 神社の背後から吹き下ろす北風が、芳田の懐に残っていた暖気を奪っていく。見上げる冬枯れの山は静かで冷たく、山裾を崖崩れ防止のコンクリートに蝕まれながらも凛と立っていた。視線を落とし、八雲神社を見る。


「ふむ……とりあえず、直接話を聞いてみるのが早ァでしょうな」


 呟いて身軽に石段を上った先、開け放たれた八雲神社の内陣の奥で、入山中の仲間の「標」となる鈴の音が、りりん、りりんと鳴っていた。


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