縁(上)


  12.



 美郷と克樹が遭遇した。そう怜路に一報を入れてきたのは辻本だった。怜路は単身、特自災害とは別行動で自分の仕事を終わらせるために入山している。仕事とは勿論、若竹が持ち込んだ克樹捜索の依頼であり、依頼主の若竹が先に山に入った以上、その若竹との合流も目指していた。そのことは、美郷も知っている。


(なのにコノヤロ、克樹を追う時どころか、若竹と遭遇しても俺に何も報せて来ねェとは……)


 怜路を振り向いて固まっている貧乏下宿人は、一応叱られる心当たりくらいはあるのだろう。だいぶ気まずそうにしている。銜えていた煙草に殊更ゆっくりと火を点け、錫杖を担いだ怜路は、片頬を上げて煙草を噛んでいる歯を見せた。びくりと怯えて背中を丸める公務員殿はよく見れば、派手な色のジャケットをボロボロにしており、利き腕を押さえる左手は血で汚れている。


(そのジャケットの赤は血の色を隠すためとかじゃねーだろうが!)


 美郷らしからぬその姿に、さらに眉間の皺を深めて怜路は煙を吹いた。


「ごっ、ごめん……。その、ちょっと頭わーってなってて、報告忘れました……すみません」


 しょぼしょぼと限界まで小さくなって頭を下げる、小動物のような滞納下宿人にひとつ溜め息を吐いて、一口しか喫っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ怜路は美郷に歩み寄る。


「まあ、思い出しただけヨシとしてやらあ。あの伸びてンのはおめーがやったのか」


「う、うん。生きてる……よね? 動かして大丈夫かな、おれ一人じゃちょっと怖くて」


 自分で吹っ飛ばしておいてビビっている。実力はあるが実戦経験は足りない――というより、生身の人間相手など恐らく初めてだったのだろう。おっかなびっくりといった風情の美郷を引き連れ、怜路は若竹の傍らにしゃがみ込んだ。呼吸や脈、出血や関節の状態を確認する。ただの失神と判断し、怜路は若竹を仰向けに寝かせた。眉間の真ん中が派手に内出血している。


(……ビビるわりにやってることに容赦無ェ辺り、迂闊に怒らせらんねータイプなんだよなぁ)


 踏んだ場数は少ないわりに、その中身は本気の殺し合いという偏りっぷりだ。今回も力加減を考える余裕などなかったのだろう。うーん、と内心唸りながら、怜路は今後に思案を巡らせた。このまま起きないなら少々まずい。保険に、多少の術を施しておくべきか。


「臨兵闘者皆陣烈在前。オン ナチマカチ ソワカ!」


 若竹の丹田に両の拳を当て、延命法の呪を唱えて気を送り込む。びくり、と一度若竹の体が痙攣して、呼吸が先程までより深くゆっくりしたものに変わった。その様子を確かめて、怜路は頷く。


「とりあえず、コレで担いで帰って大丈夫だろうよ。お前、担げる――」


 か、と言いう前に、怜路は素早く右手を顔の前に出した。二本指を立てた、その指の間に白刃が挟まっている。虚空から飛来した短刀を片手で白刃取りした怜路に、美郷が感嘆の声を上げた。短刀はぞろりと揺らいで黒い毒蛇に変わる。迷わずその頭を傍らの石に叩きつけて潰し、怜路は舌打ちして立ち上がった。


「まだ残ってやがったか」


 蛇の死骸は一瞬で輪郭を崩し、小さな甲虫になって宙へ散る。


「これ、八雲神社にも居たヤツだと思うんだけど……、『何』だと思う?」


 怜路と並んで周囲を警戒した美郷が、ぽつりと問うた。


「何、っつーと?」


 問い返した怜路に、うん、と顎をつまんで美郷が視線を落とした。


「今まで分かってることから考えれば、この山の鬼の妖気だろ? でも、何で若竹さんに憑いたんだろう。この山の鬼はおれもさっき見たけど、十歳そこそこの女の子だった。彼女が操ってたやつと、コレはちょっと気配や形状が違う。彼女が送り込んで若竹さんを操ったんだろうか……だとしたら、なんで若竹さんが気絶してからも、蛇型で襲ってくるんだろう」


 八雲神社から美郷に憑いてきた妖気は、小豆虫の群の形をしていた。八雲神社で御神体からわき出したものも、先ほど遭遇した鬼の少女が操っていたものも同様だったと美郷は言う。鬼の少女が妖気を若竹に送り込み、操っていたのなら若竹から祓われた時点で散るか、残っても小豆虫の形に戻るのではないか。そう美郷は違和感を語る。


「蛇型ンなったのは、憑いてる間に若竹の中のイメージを吸ったんだろ。妖気なんざ元々は形のねーモンだ。操る奴によって形を変えても不思議じゃねーが……蛇型で残ってる理由なァ」


 確かに、この場に残る妖気は美郷の部屋を覆っていたものとは違う。昨晩感じた小豆虫の妖気は、もっと捉え所のない空虚なものだった。ここに凝る毒蛇の気配は、それよりももっと明確に悪意と恨みの形を持っている。妙な言い方になるが、「充実している」のだ。


「どれ、一発視てみりゃ何か分かるかね」


 そう言って怜路はサングラスを外した。この天狗眼は、敵を見抜きたい時には便利だ。だが、そうホイホイと使いたいものでもない。ダイレクトに気持ち悪いモノを視る羽目になって、怜路の負担が大きいからだ。悪意やら怨念やらを「直視」など、誰もしたくないだろう。


 天狗眼で、妖気の潜む暗がりを睨む。すると細く貧相な杉が密に生えた荒廃林の奥に、何かがたぐまっている。それは、無数の人間の顔をしていた。


「げっ。なんだこりゃ!」


 薄闇に揺らぐ杉の枝の影に、絶え間なく様々な人間の顔が浮かび上がっては消えてゆく。その顔は老若男女、あらゆる人間のものだが一様に蒼白で、恐怖と苦悶に歪んでおうおうと悲鳴を上げていた。


「やっぱ視るんじゃなかった」


「……何が視えたんだ……?」


 素早くサングラスをかけ直して眉間を押さえた怜路に、恐る恐る美郷が尋ねてくる。うーん、と唸って怜路は視たモノの正体を言葉にした。


「恐怖、だな」


「恐怖?」


 恨みではないのか、と美郷が不思議そうにする。


「しかも、ありゃあどうも山のモンでも人柱のモンでもねーぞ。もっと大勢の、相当な数の『人間』のモンだ」


 いかにも人間のモノらしいグロテスクさを呈していた、その姿を思い出して怜路は顔をしかめる。


「恨みやら害意やらじゃねーが、あそこまで集まりゃいっそ呪詛みてーなモンだな。相当古いし、年代を重ねて増殖してやがる。厄介なはずだぜ」


「ちょっと、頭の中が纏まらないんだけど……、これは一旦、下に持ち帰えらないとマズそうだな。どうしよう、おれは克樹を追わないといけないし」


 ズタボロな下宿人の世迷い言に、怜路はピシリと固まった。ぎぎぎ、と固い動作で美郷を向いて、低く尋ねる。


「てめぇ……その満身創痍で今なんつった……?」


 え、と間抜け面の下宿人が目を瞬かせる。その形のよろしい頭を空いた手で掴み、頭皮を揉みながら怜路は続ける。ちなみに頭皮はだいぶ凝っていた。ストレスだろう。


「君の今日のお仕事は何ですか、宮澤主事しゅじ


「……っ、でも、克樹はおれが迎えに行った方がってお前も……いたたたたた!」


「臨機応変とか状況判断って言葉知ってる宮澤君!?」


 こンのお馬鹿! と怜路はそのまま片腕で美郷の首をホールドする。ぎゃあと悲鳴を上げて、抵抗のために怜路の腕を掴んだ美郷の両手は、赤黒く血で汚れていた。腕の傷が結構大きいのだろう。この才能も頭脳も胆力も申し分ない秀才殿は、どうやらとんでもないお馬鹿な面があるらしい。


「で、でも……!」


「でももヘチマもあるか! お前もうヘロッヘロじゃねーか。テメェは利き腕やられた状態で、まだ敵の御大は無傷なんだろ!? ついでに言やァ、今日、今、克樹の回収が『仕事』なのはお前じゃなくて俺なんだよ! 何もかんも自分一人でしようとすんじゃ無ェ!!」


 怜路の腕の中でばたばたと暴れる陰陽師殿の力は弱い。元より筋力には差があるが、それ以上にもう体力が限界なのだ。というか、どうせもう気力だけで立っている状態のはずである。昨日から精神攻撃やら睡眠不足やら、山ほど条件が重なっているのだ。そこに命の奪い合いをして、消耗していないはずがない。


「だけど、克樹に何か誤解させたみたいなんだ! おれが行って自分で話をしないと……!」


 ホールドしていた首をようやく解放してやると、元より色白の顔を紙のように蒼白くした美郷が、悲壮な表情で訴えてくる。克樹の方が突然激高して、美郷の制止を無視して山の奥へ逃げ込んだという話は、怜路も辻本から聞いていた。折角、一度は再会した弟を逃がした美郷が焦るのも分かる。だが、頷くわけには行かない。


「ダメなもんはダメだ、ちっと頭冷やせ。らしくねーぞ美郷ォ。辻本さんやら係長に言って、ンなこと許して貰えると思うか? 克樹の回収は俺がやる。必ず引きずってでも下ろすから、お前は腕の治療と、あとは係長にクソ苦い霊符湯でも作って貰って待ってろ」


 元々は物わかりの良いタイプだ。努めて冷静に、賢く賢く立ち回ろうとする人種で、無茶な駄々をこねて醜態を晒すことなど嫌いなはずである。少し宥めるように優しく言ったつもりだったが、美郷は首を縦に振ろうとはしなかった。


 怜路自身も、美郷の熱意と努力に救ってもらった人間だ。克樹に対するそれを、否定するつもりはない。だが今、克樹のために動いているのは美郷一人ではないのだ。「後のことは任せろ」と言っても聞く耳を持たない美郷に、怜路は戸惑い眉根を寄せた。


(弟の話になると、どーも無駄に頑固になるなコイツは)


 元々、他人に頼らず一人で抱え込みやすい人種だ。どうしたものかと頭を掻いた怜路に、思い詰めた顔の美郷が言った。


「頼む怜路。


 へらり、と無理矢理誤魔化すように美郷が笑う。怜路の中で、戸惑いが怒りに変わった。


「――ンの、頑固野郎! そんなに他人が信用できねェかよ!」


 じゃりん、と苛立ちのまま突いた錫杖が鳴る。


「ちがっ、そうじゃなくて……」


 声を荒げた怜路に、驚いたように美郷が竦む。無自覚なのだ。


「違わねえだろ。無理矢理自分で行きたがるってなァ、裏を返せば俺に任せたんじゃ上手く行かねえと思ってるってこった」


 低く唸るように、押し殺した声で怜路は続ける。ちがう、と美郷が首を振った。


「じゃなくて、おれが問題起こしてややこしくなってるから、お前に迷惑かけるわけには――」


「そうやって全部『俺が悪い』で背負い込んで、全部テメェ一人で片づけようとするのが気に入らねえつってんだよ」


 たまらず、怜路は美郷の胸ぐらを掴み上げる。


(テメェはテメェの好きなように、他人の人生に首を突っ込んでくるくせによ)


『おれがお前を失いたくないから、お前を助けるんだ』


 そう言った同じ口で、何度も怜路の手を拒絶する。


(無自覚なんだろうよ。クソッタレが!!)


 それは結局、だ。宮澤美郷という人間は、根深い部分で誰も信用していない。怜路も含めて世界全てが「他人」で、潜在的な「敵」なのだ。


 ――用心深く。他人に弱みを見せないように、借りを作らないように。誰の手を借りずとも生きられるように、強く、賢く。


 その姿は一見、強く揺るがないもののように思えても、根幹となっているのは「臆病さ」だ。美郷が心の底に握った最後の武器は、臆病さと用心深さでできている。どこに居ても常に美郷は「独りぼっち」で、同じ薄闇の中で隣にいると思っていたのは怜路だけだったのだ。


 そのことを怜路は、どうしようもなく悲しく思う。孤独な美郷と、隣に誰も居なかった自分の両方のために。


『狩野君、僕が言うのも変なんじゃけど、宮澤君をよろしくね』


 加賀良山の入り口で一旦合流し、情報交換をした別れ際の辻本の言葉が甦る。職場仲間という「おおやけ」の関係である辻本や芳田には踏み込めない域がどうしてもある、負担にならない範囲で良いから見てやって欲しい。そう言われたのだ。美郷は怜路を置いて他に「プライベート」で関わる相手が居ない。私を公に持ち込むことも、他人に自分のことを語ることも嫌う美郷が、私的な事情で無理を抱え込んだ時に、辻本らでは手出しが難しいと。


「あのな、美郷。ヒトは一人じゃ生きれねぇとか、綺麗事かマンガの台詞だと思うだろ? けどよ、『神サマはその人に乗り越えられる試練しか与えねェ』って方が夢物語だ。お前だって嫌っつーくらい知ってンだろ、この世には因果応報すらねェんだよ。自分が与えるモンと他人から貰えるモンだって釣り合ったりしねえ。人間が、テメェ一人で乗り越えられる程度の『試練』しかそいつの人生に起こらねェほど、この世界は優しくねーんだ」


 切なく笑って、怜路は至近距離から美郷の両目をのぞき込んだ。見目良い整った顔が、呆然とびっくりまなこで怜路を見上げている。こうして、一時的にでも隙を見せて貰える程度には、怜路と美郷の距離は近いのだ。


「だから、頼ることを恐れンな。いつか別れが来ることも、裏切られる日が来ることもひっくるめて、それでも『今』生きるために誰かの手を頼ることにビビんな。そんな『今じゃねえこと』は、またそん時になって考えろ」


 たとえ手を繋いだところで、いつか必ず離す時が来る。それが、どんな形の別れになるかは誰にも分からない。だが、例え人生の全てだと思った相手と別れたとしても、そうやって別れた先の人生すら永遠ではないのだ。怜路の養父はそう教えてくれた。


「――それに、お前が俺を助けてくれたのがお前のためなのと一緒で、俺がお前の力になりたいのも俺自身の思いだ。ソイツを否定する権利はお前にも無ェ」


 美郷に抵抗の気配がなくなったことを確認して、怜路はそっと掴んでいた胸ぐらを離した。身長差で爪先を浮かせていた美郷が着地する。びっくりまなこのまま地面に視線を落とし、震えた声で美郷が言った。


「ごめん……」


「いーさ、これでオメーが納得して、克樹のことを俺に任せてくれンならな」


 そういえば美郷の方が年下だったか、と、先ほどは掴んだ頭を今度はわしわしと撫でてみる。うん、と小さく頷いた美郷はされるがままだ。


「で、返事は」


「ごめんなさい、よろしくお願いします……」


 ちがう、と怜路は再び美郷の頭皮を掴む。ひえぇ、と美郷が情けない声を上げて、怜路に救けを乞う視線を寄越した。


「『ゴメンナサイ』は何か自分の責任を果たせねェ時の言葉だ。任せる時の言葉は別にあんだろーが」


 右肩に錫杖を担ぎ、左手で美郷の頭皮を揉みながら、怜路はふんぞり返って上から目線で「指導」する。答えを探して数秒さまよった視線が、再び力を戻して怜路の所へ戻ってきた。少し頬を上気させて、拳を握った美郷が言う。


「ありがとう。よろしくお願いします!」


 よくできました、ともう一度頭を撫でて、怜路は美郷の元を離れる。どうせ若竹を引っ張って下山させねばならない。頃合い良く意識が戻ったのか、小さく呻いている若竹を再び落として怜路は荷物のように担ぎ上げた。


「いっ、いいのか? 歩かせた方が良かったんじゃ……」


 揉まれた頭を気にするように、両手で頭を押さえた美郷が首を傾げる。


「いいんだよ、俺ァお前と違って、先に係長のにっっがい霊符湯飲んで来て、まだ働いてねーからな」


 杉原家が緊急事態に陥ったため美郷はそのまま現場へ飛び出したが、全体の指揮を執る芳田と、「任務」が異なる怜路はバックアップ体勢が整うまで本庁にいた。その時、怜路と美郷を慮ってくれた芳田から有り難く頂いたのだ。


 ホントに用意されてるのか、と怯える美郷と担いだ若竹を麓に送り届けるために、怜路は錫杖を鳴らして歩き始めた。






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