それもまた、日常茶飯事のこと。

使用お題:

 春風

 嫁入り道具

 桃の花

 日常茶飯事




『それもまた、日常茶飯事のこと。』





 中国山地の只中にある広島県北部は寒冷で、春の訪れも遅い。狩野家の庭にようやく「春風」と呼べそうなものが吹いたのは、三月も末になってからだった。少し離れた休耕畑の脇に立つ桃の花もようやく蕾を膨らませ、世間とは半月以上ずれて梅の花が竹藪の手前で満開になっている。


「あー、やっと春が来たねえ」


 開け放たれた縁側に腰を下ろし、日向ぼっこを決め込んだ美郷はのんびりと西風を楽しんでいた。もう少しすれば今度は雑草の季節が始まって、悠長に季節を楽しむ暇もなくなる。まだ土を覆う草の丈が低く、青や白や黄色の可愛らしい小花をつけている間が一番平和だ。


「スギ花粉は二カ月も前にゃ飛んでるがな」


 少しくぐもった声が背後で唸った。チンピラ大家こと家の主、狩野怜路である。


「おまえ、子供の頃から山で鍛えられてるのに花粉症になんかなるんだね」


 怜路は花粉症持ちだった。まだマスクは手離せないが、幸いアレルゲンはスギ花粉だけらしく、ピークもそろそろ終わりのようだ。この花粉症患者には自殺行為のような家の風通しも、怜路自らの発案で行われている。


「腹に寄生虫飼うほど野蛮な生活はしてねェからな。街で山ほど化学合成添加物も浴びてるし。それより日向ぼっこキメてねーで手伝え、滞納下宿人」


 大家の号令に、へいへい、と美郷は立ち上がった。相変わらず、家賃をタテにいいように使われる日々である。まあ、ほぼ十割家賃を滞納する美郷が悪いのだが。


「箪笥の中身の虫干しだって? なんでまたそんな、マメなことをやろうと思ったんだ……」


 狩野家母屋の奥、この地域で奥納戸や寝間と呼ばれる家の主の部屋には、立派な婚礼箪笥が据えられている。おそらくは怜路の祖母の嫁入り道具と思われるその中には、二年前怜路がこの家に帰ってきた時には何も入ってなかったそうだ。


 怜路は幼い頃、両親・姉と共に川の水難事故に遭っている。両親と姉はその時他界し、怜路は一命を取り留めたものの記憶を喪い、天狗を名乗る養父に拾われ東京で育てられた。どうやらこの家は、怜路の祖父母が亡くなって空家になり、一度狩野家の縁者によって売りに出されたようだ。それを怜路の養父が買い取る形で怜路の元へ戻ってきたという。それゆえ、元の住人の私物は可能な限り処分されていた。


「マメなっつーか、やらねーとマズいモン入れてるだけだ」


「一体何が入ってるんだ……寒干しにはちょっと遅いけど、まだしばらく天気良さそうだもんねえ」


 縁側に面した客間の障子を全て外し、更に奥納戸へ繋がる襖も外す。裏庭に面したサッシも開ければ、春の風が家の中を吹き抜けた。普通ならばそろそろ菜種梅雨の季節だが、今年はその気配もなく好天が続いている。春霞のかかる空には雲ひとつ見当たらない。


「仕事で引き取って、処分先を見つけらンなかったモンが色々とな……欲しいモンあったらやるぜ」


 怜路の仕事は「拝み屋」だ。当然、曰くのある品の祓いも多くやっている。


「えっ、仕事で処分出来なかったって……例えば?」


 いやな予感しかしない。引き攣り気味の声で問うた美郷に、怜路がへっへ、と昏い笑いを返した。


「……蚕の入った壺とか」


「いらんわ!!」


 金蚕蟲きんさんこ。超有名な超最強の蠱毒こどく――呪いのために、人の手で作られた魔物だ。美郷は、かつて身内に喰わされた蛇蟲だけでお腹いっぱいである。その時の蛇蟲は美郷が取り込んでしまった。今も体内に棲んでいる白蛇、白太さんである。


「というか狗神以外にも蟲毒持ってたのかよお前……どうするんだ、あんなもん」


 このチンピラ大家には、肩代わりした他人の狗神と心中を図った前科がある。憑き物は一度宿せば、なかなか血筋から落とせない厄介な代物だ。なぜそう幾つも抱えているのか、と美郷は呆れの視線を大家に投げた。


 奥納戸は家の中でも北西の、冬場は暗く寒い部屋だ。冬の間にたっぷり陰の気を吸ってしまった呪物を、一旦風に当ててやるのが今回の目的らしい。


「いやー、どうにもできねェから置いてあンだよなァ……あっ、そうだ。お前アレ、白太さん貸してよ。白太さんのオヤツにどうだ? 他にも色々あんぜ。人形とか」


 名案を思い付いたように、怜路が手を打った。以前怜路が引き受けた狗神は、結局白太さんの腹に収まっている。


「おれの白太さんは生ごみ処理機じゃないよ。……けど、なんか白太さんがあの辺に行きたがってた理由はそれか……」


 美郷は深々とため息を吐いて納得した。美郷の白蛇は物の怪、妖魔の類を「おやつ」にする。特に食べずとも飢えはしないが、美郷の就寝中に勝手に抜け出して狩野家を散歩するついでに、辺りの物の怪を食べていた。最近は美郷が起きている間も自己主張をするのだが、どうにもあの辺りへ行きたがる理由はコレだったのだ。


「いいじゃねーか、減るもんじゃなし」


「減らないけど増えたらどうするんだよ、白太さんの体重が」


「えっ、あの蛇って肥えンの」


「太るっていうか、これ以上巨大化されたらさすがに……宿主のおれに入り切らなくなったり、おれまで人外要素が強くなるのは嫌だし」


 今ですら、胴が大人の太ももくらいはある大蛇だ。白蛇はどうやら自在に大きさを変えられるようだが、何とはなし最大サイズが以前より大きい気がする。このまま順調に巨大化されれば、美郷まで人間を捨てる羽目になりそうで怖い。


「今更誤差の範囲な……いや、まあそれならしゃーねえな、うん」


 呆れたように言い差した怜路を、美郷はギッとひと睨みして黙らせる。


 曰くありげな打掛やら、あからさまに札を貼られた人形やら、盛大に封じをされた軸の木箱やらを春風の吹き抜ける客間に並べながら、よくもまあこんなに集めたものだと美郷は感心した。


「おまえ、よくこんな珍品ばっかり集めたね……これはコレで、買い取り手があったんじゃないの?」


 思わず美郷は、冗談めかして大家に尋ねた。問題の壷も含めて、マニア垂涎といった風情のものが揃っている。世に放つのが褒められたことではないモノばかりだが、何も全て背負って歩かずとも良いだろう。このまま順調に行けば骨董屋ができそうな勢いだ。


「まあ、ないワケでもねェが……これでも売れそうなモンは全部手放したんだぜ」


「じゃあココに残ってるのは」


「世に出しちゃマズそうなやつだけ」


「おまえ、今までどんだけ修羅場踏んできたんだよ」


 怜路は九歳で養父に拾われて以後、一切学校には通わずその業界で生きて来たという。十代半ばには養父とすら別れ、その腕一本で魑魅魍魎の間を渡り歩いている男だ。踏んだ場数は、大卒一年目の美郷とは比較にならない。


「いやぁ、始末できる寺すら見つけらんなくてよォ。お前、何かしらね? 特自災害御用達の寺とかねーの?」


「東京で見つからなかったものが巴にあると思ってるのか」


 美郷の大家は、個人営業としては国内トップクラスの腕前なのだろう。供養できる寺すら見つからない特級の代物が大量に集まるということは、それだけ仲間内で評価されて難しい依頼を回され、実際それをこなしてきたということだ。


「つーても、所詮は個人の『拝み屋』に来る程度のモンだし、俺の伝手もその程度だぜ? 神様相手してるお宅ならなんかもうちょいあるんじゃねーのか」


 特自災害は、巴市の霊的な護りを維持する部署である。市内の寺社や祠堂を管理し、特殊自然災害を防止するのが役割だ。市内様々な場所の「神様」を鎮めたり祀ったり慰めたりも重要な仕事である。


 言われて「うーん」と美郷は陰干しされている品々を検分した。よくよく見れば、存外雑な封じがされているものが多い。


「供養できる寺はよく知らないけど、死者の念が焼き付いてるタイプは辻本さんなら……いやそれより、封じをもうちょいカッチリさせれそうなやつもあるね」


 市松人形の額に無造作に貼られた御札がそよ風にひらりと端を浮かす。これも、随分乱暴に封じられているなと美郷は眺めた。


「あの人形、中身居るよね?」


「おうよ、しかも中に居る奴、生身の本体がまだどっかの病院で生きてるんだぜ」


 うわ、ほんとに? と美郷は素直に感嘆する。一体どんななりゆきで、どんな事件が起きて、どう怜路まで依頼がやってきたのか。その顛末までひとつひとつ聞けば当分退屈しないだろう。


「あの軸は?」


「あー、何だったかな……どっかお大尽の別宅に飾られてた軸で、中に死んだ妾が入ってて、来た人間を引きずり込むんだったか……詳しく覚えてねーや」


「凄いね、ひとつ一本ホラー小説書けそう」


「はっはっは! まあ実際にゃプライバシーがパネェから絶対無理だが」


「そういう辺りしっかりしてるよねぇ」


 この見た目チンピラな大家殿は、金銭、契約、権利周りとプライバシー管理の意識が相当しっかりしている。それもまた、信頼され重用される要素のひとつだろう。


(そのわりに、おれの家賃は結構どんぶりというか何というか……意外とお目こぼし貰えるよな……対価労働とか言われて、こうやって手伝いもさせられるけど)


 それだけ、美郷を下宿させていることは怜路にとって、ただの気まぐれか道楽、趣味の範囲の慈善活動程度なのだろう。美郷の納める家賃程度は誤差の範囲内ということか。


「うーん、それも何か……」


「んあ? 何だ?」


「あ、いや別に」


 ケーン、クェッ。と遠く、キジが恋を鳴いた。けきょっ。とホトトギスがまだ下手くそに歌う。これからの時期は、鳥の歌声が喧しい。ふわりと流れ込んだ少し粉っぽい風が、ふくよかに甘い優雅な香りを連れてくる。目の前に広がる多種多彩な因果怨念などまるで他人事のように、狩野家を囲む春はのどかだ。


「こっちに来て、やっぱりこういうヤバい依頼ってあった?」


「んー。まあそれなりに」


「例えば? 向こうと何か違うところってある?」


「違ぇのは……野良仕事が増えたな」


 野良仕事、と美郷は復唱する。何とはなし、分からなくもない。美郷も外勤と言えば山野を分け入っていることが多い。人間がひしめきあって怨み呪いを紡ぐ都会と違い、田舎は山野の精霊を相手にすることが多いせいだろう。


「野良仕事といえば、畑今度は何植えるの? 水菜が菜の花咲いちゃってるけどアレ食べれる?」


 縁側越しに向ける視線の先には、怜路の取り仕切る家庭菜園がある。去年の夏野菜から始まり、冬野菜も色々と植えられて鍋の具材になった。


「春キャベツが間に合うかだよなー。あとはレタス系と、まだエンドウの苗がいければだが、もう厳しいよなァ。ジャガイモやら人参もいいが、夏野菜植えるスペース確保できねーと困るしなァ」


 狩野家の所有する田畑は広い。しかし人間よりも多い数の害獣が辺りを闊歩する昨今、獣たちに食い荒らされないよう、兼業で守りきれる畑の面積は限られていた。


「ジャガイモいいよねぇ、なんかほら、ホームセンター行ったら凄いいっぱい種類があってさ。黄色いのとか紫のとか、普段スーパーには売ってないやつ」


 二人して畳に座りこけてボンヤリと喋る。大抵、このまま昼になって、適当なところで昼食の準備を始める大家のご相伴に預かって、昼からきっと畑を耕して、この呪物を片づけて洗濯物を取り込んで一日が終わる。


「野球、開幕いつだっけか」


「明日だよ」


 ここは広島県。猫も杓子もカープカープのお土地柄である。美郷と怜路も自然、黄金期真っ只中の球団を応援していた。


「CS放送入ったから全試合観れるぜ」


「凄い、マジで。金持ちだなぁ」


 お前、その時間帯大抵仕事じゃん。ばかやろ、スポーツ専門チャネルなら再放送があンだよ。おれも観ていい? おー、いいぞ。


 目の前に広がる因業の世界を置いてけぼりに、美郷の日常も平穏に過ぎる。


「平和だねえ」


 たとえ目の前に最凶クラスの蟲毒があっても、


「だなァ」


 それすら喰ってしまえるような大蛇が身の内に棲んでいても。


「で。白太さん貸してくれンの?」


 最初の話題を覚えていた大家に内心舌打ちする。


「……もうちょいカッチリ、おれが封じ直すじゃダメ?」


 白蛇の巨大化は避けたいので、妥協案を提示する。封印や結界など、複雑な術式を組んで呪力を長期間維持させる技法は、実戦叩き上げの怜路よりも色々座学で習ってきた美郷の方が得意だ。


「白太さん貸してくれたら、今なら三ヶ月お家賃無料!!」


「今ならって何、というか、贅沢覚えたら厄介だからダメ!」


 強力な妖魔物の怪は、多分白蛇にとっても美味いのだろう。白蛇は妖気を察知すると、美郷の内側で「おやつー!」と主張する。


「飼い猫か何かかその蛇は」


「じゃあおまえ、『おやつちょうだい!』って真夜中に大蛇が布団の上に乗っかっても、自分であしらってくれよ?」


 それは嫌だ、と怜路が唸った。


 田畑を挟んで数十メートル向こうの県道を、日に五往復しか便のない路線バスが走る。そろそろ昼だ。


「じゃあ家賃ひと月分で」


 だいぶ足下を見られた。おそらく真面目に計算すれば、封じ一件でその十倍はする。タダも同然の条件だ。


「せめてふた月」


 交渉のイロハなど、美郷は習得できていない。相場を考えれば論外の値段と分かっていても、そう言うので精一杯だ。


「いいぜ、じゃあふた月な」


 けっけっけ、と機嫌良く頷いて、大家がぴょいと跳ねるように立ち上がる。ポケットに手を突っ込んだまま片足で畳を蹴る動きは、軽業師か猿のような身軽さだ。とん、とん、と軽い足音で大家が台所に消えてから、「あー」と声を上げて美郷は畳の上に大の字になった。搾取されている。


「やられたー」


 だが、そもそもの家賃が破格を通り越して赤字レベルなのも分かっている。そして、こうしてご相伴に預かる分の食費も合計すればなかなか侮れない。


「まあいいか」


 諦めて脱力する美郷の上を、庭から迷い込んだ紋白蝶がひらひらと舞っていた。





2代目ワンライ様参加作に加筆。

誰得レベルのゆるゆるな日常。

なんやかんやで大家と下宿人の関係がグダグダに崩れて「同居」になっていく二人。というか怜路さんあなた下宿人に甘過ぎでは。

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