タイムカプセル


 卒業式、入学式と言えば桜舞い散る中というイメージが強いだろう。しかし実際には、卒業式のある三月前半に桜の咲く所はあまりない。美郷の通った高校は中国山地の只中、標高が高く寒い地域にあったため、その時期は桜どころか梅の花すら拝めない季節だった。


 美郷の記憶の中の卒業式は固く冬枯れた木々と、校庭の端に寄せられた根雪に囲まれて行われるものだった。


 その年、卒業式を終えた美郷らのクラスは、いまだ雪の吹き溜まる校庭の隅に集まっていた。頭上には、一本の桜。校門辺りに並木を作っているソメイヨシノではなく、辺りに自生しているものと同じ山桜だ。


『桜の木の根元にタイムカプセルを埋めよう』


 そんなベタベタ過ぎて、高校三年生にはいささか気恥ずかしい企画を持ち出したのは誰だったか。


 高校三年の三学期などというものは殆ど有って無きが如きもの。進学を決めた私立の者や、さっさと推薦で国立を決めた者など「上がった」者から順に登校しなくなる。改めてクラス全員が顔を合わせる機会は、殆ど卒業式だけだった。一体誰が何処に進学を決めたのか、あるいは別の道を選んだのか。全員が把握しきることも難しい。


「『未来の自分へのプレゼント』なんてさぁ、小学生じゃあるまいし何入れればいいんだか……。宮澤、お前は何にしたんだ?」


 それなりに付き合いのあったクラスメート――おそらくは広瀬辺りに問われ、美郷はその時何と答えたのだったか。ひとつ断言出来るのは、本当の中身は言わなかったということだ。寮に転がっていた小さなクッキー缶に中身を入れ、缶にはガムテープで幾重にも厳重に封印をした。他の連中は何を入れたと言っていたか。はっきりと覚えていないが、皆ガラクタだと言って笑いあっていた。一人だけ大真面目に……かどうかは知らないが、未来の自分への手紙を書いている奴がいて随分冷やかされていた気がする。






 あの日から、五年以上の月日が経った。


 ソメイヨシノよりも更に開花の遅い山桜が満開に咲き誇る中、約一時間の距離を運転して美郷はタイムカプセルの眠る山桜のもとへやって来た。部活をする現役高校生の声は響けど、かつてのクラスメートたちは傍にいない。いるのは美郷一人だ。


 タイムカプセルを埋めた時、「何年後に開けるのか」という話をした記憶がない。単に覚えていないだけかもしれないが、もし決めていたならば、恐らく広瀬辺りは覚えていただろう。しかし彼も何も覚えがないと言っていた。十年後のつもりだったのか、二十年後なのか。……否、きっとその日は来ないのだろう。


「だからって、一人で勝手に掘り出すのは申し訳無いんだけどね……」


 溜息半分にそう呟いて、シャベルを幹に立てかけた美郷は桜の根元に手を合わせ、美郷はクラスメートたちに謝った。決してあんたらの物は見ないから、と。


 薄い記憶を辿って場所の見当をつけ、桜の根を傷つけないよう注意深く掘り返す。決して深く埋めた覚えのないその「タイムカプセル」は、そう時間をかけずに掘り当てることができた。土を取り払って慎重に取り出し、蓋を開ける。


 美郷の入れたクッキー缶はすぐに見つかった。それはクラスメートたちが用意した「プレゼント」の中では大きな方で、何より異彩を放っていたのだ。


 何かの怨念すら感じさせるほど、念入りに念入りにガムテープを巻き付けられたクッキー缶は、ほとんどその表面が見えない。当時、己に「努めて冷静に、平静に」と言い聞かせていた記憶のある美郷は、その異様さに苦笑いを零す。


 タイムカプセルを再び元のように埋め戻し、美郷は車に戻って缶の封印を剥がし始めた。剥がしながら、まるで包帯のようだと思う。


 巻いて、巻いて、手当てしたかったのか、それとも封じて無かったことにしたかったのか。――両方だったのかもしれない。どうしようもない失望を吐き出す相手も、深く抉れた心の傷を手当して貰う相手も見つけられず、ただ必死で自分の中に押し込めた。当時の美郷にそんな自覚はなかったが、結局そういうことなのだろう。






 蛇蟲との喰い合いに勝った美郷は、取り込んだ蛇を蟲術を行った相手に送り返した。自分に向けられた敵意、悪意、呪いの塊だった蛇に、更に己の分の怒りと敵意をありったけ上乗せした蛇蟲は、どす黒く凶悪な見た目をしていたように思う。


 自分の中が空になるまで吐き出した世界への怒りと絶望は、全て呪詛の主に押し付けてしまった。相手がどうなったのか、詳細は知らない。呪詛を返してのちも学生寮に居続けて家に連絡はしなかったし、相手の生死に興味などなかった。伝え聞いた話を総合すれば、生きてはいるのだろう。


 そうして、美郷の中は空っぽになった。


 空っぽになったのだからもう良いのだ、と当時の美郷は思うことに決めた。


『起きてしまったことはどうにもならない。己が鳴神にとって不要で邪魔な存在だという事実も、恨んだところで消えはしない。ならば、鳴神を捨てよう。どれだけ理不尽でも事実として受け止めて、別の場所へ行こう』


 いつか必ず、自分の居場所を見つける。そう決めて、鳴神への未練も断ち切ったつもりだった。


「――でもやっぱり、悔しかったんだな」


 固く封じられた「プレゼント」を見て、改めて思う。


 ただ、あの時は必死に「自分は平気だ」と己に言い聞かせていた。居場所を見つけたその時にもう一度、この「プレゼント」の電源を入れよう。そう決めて。






 手のひらに乗った、古い型の携帯電話。


 電話帳もメール・着信履歴も、撮った写真も何一つ抜かず、美郷は当時使っていた携帯をクッキー缶の中に置いて行った。電話番号もメールアドレスも変えた。広瀬と偶然再会しなければ、当時のクラスメートの顔を見る機会もなかったかもしれない。――巴市から美郷の母校へ通う学生はそこそこいたので、もしかしたら他の級友と顔を合わせることも今後あるかもしれないが。


「電池も……データももう駄目になってるだろうけど」


 昨今のものとは随分趣の違う二つ折りの携帯「電話」を玩び、フロントガラス越しに先程の山桜を見遣る。電子機器とオカルトは、存外相性が良い。所々塗装の剥げた古い携帯を、助手席に投げ散らかされたクッキー缶とガムテープの残骸の横に置き、美郷は今使っているスマートフォンを手に取った。表示させるのはSMS画面だ。そこに、電話帳にない番号から素っ気ないメッセージが入っていた。


 090-○○〇〇‐××△△


 『受け取りにおいで』


 一体なんの話なのか、最初は全く分からなかった。覚えのない番号のようで、どこか引っかかる。気になって番号に電話をかけてみたが、答えたのは耳に馴染んだ女性の電子音声だった。おかけになった電話番号は、現在使われておりません――。


 その後数日、どうしても頭から離れずウンウン唸っていたのだが、ある日職場の門前にて、スマホの画面にはらりと一枚舞い降りた薄紅の花弁で、ここに思い当たった。


 プレゼントを、受け取りにおいで。そう言って寄越したのは――。


「どうして貴方に、おれがこのプレゼントを受け取る資格があると分かったのか……なんて尋ねるのもまあ、無粋か。貴方がそう言ってくれるなら……」


 全国に植えられたソメイヨシノは全て、元は一つの樹から枝をとられたクローンだという。ソメイヨシノの樹精というモノがあるとして、それはもしかしたら全て繋がっているのかもしれない。無論、あの山桜はその範疇ではないだろうが、噂話くらいはするのだろうか。






 今の美郷には、居場所と呼べるものがちゃんとある。


 自分の能力を必要としてもらえる職場には、公私に渡って心配をしてくれる同僚や上司がいる。


 プライベートの時間を分かち合える、気の置けない友人もいる。


「あと、お前もね。白太さん」


 ――うん。白太さん、美郷いっしょ。


 送り返したどす黒い呪詛の蛇は、そのまま帰って来なかった。なので当時の美郷は、白太さんの存在など思ってもみなかったのだ。美郷が白太さんと初めて会ったのは、大学生活に入ってしばらくしてからのことだ。美郷がありったけ乗せた黒い感情を全て加害者に押し付けた蛇蟲が、真っ白に漂白されて帰って来たのだろうと勝手に解釈しているのだが、本当のところはよく分からない。


 山桜からのメッセージを閉じる。上下に連なるSMSのログは、父親や弟とのやりとりだった。弟とはSNSアプリのアカウントを交換した。父親とのメッセージログは、相変わらず二行で止まったままだ。結局、美郷から連絡はしなかったし、向こうからの連絡も入っていない。


 アレだけ大騒ぎを巻き起こしてコチラに迷惑をかけておいて謝罪のひとつも無しか、とこぼしたのは怜路である。だが父親が美郷に連絡を入れないのも無理からぬことだ。何故なら、恐らく父親は――鳴神家は、克樹と美郷のやり取りを知らない。


 克樹と加賀良山の件は、怜路と「巴市」が処理をしたと鳴神家に報告されている。巴市に美郷が就職していることを鳴神家は知らず、加賀良山の一件で美郷と顔を合わせたのは、若竹と克樹だけだった。そのうち若竹は美郷と対峙した時既に錯乱状態であり、巴市の病院で目を覚ました時にはかなり記憶が混乱していた。


 そして克樹は、美郷のことを絶対に口外しないと誓って出雲へ帰って行った。


 記憶の混乱している若竹に対しても、美郷は幻覚だったと押し切ったようだ。曰く、もう二度と絶対に、鳴神家が美郷の邪魔になるような真似はしない。とのことで、進学先や一人暮らしについての説得も自分ひとりでやりきると克樹は断言した。助力を頼んで貰えないのは寂しくもあるが、それ以上に、小さかった弟の頼もしい姿が眩しかった。その弟もめでたく第一志望校へ合格し、時々引越し騒動の報告がやってくる。


 スマホの画面をオフにし、懐へしまう。車に差し込んでいたイグニッションキーを回せば、軽く安っぽいエンジン音が響いた。


「だけど白太さん、桜の木がどうやって携帯ポチポチするんだろうね」


 桜の木が、根っこの先で携帯をプッシュする姿を思い描き、しょうもない想像に一つ笑って車を発進させる。家に帰ってから古い携帯電話を確認すると、抜いていなかったバッテリーが液漏れを起こして内部は見るも無残な有様だった。これではデータの取り出しようもないだろう。





 あの後、その番号からの着信はない。






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