夜明け前(二)



 午前六時。市役所の始業時間よりも二時間以上早く、特自災害の緊急会議が行われていた。顔ぶれは係長の芳田と加賀良山の件を担当している大久保、辻本、朝賀、そして協力者として狩野怜路である。この一件の主担当である宮澤には、コンディション不良の報告を受けて芳田が自宅待機の指示を出した。


「皆さんおはようございます。朝早うに出ていただいてありがとうございます。連絡しました通り、加賀良山の件が大きく動きました。まず全体の情報共有をして、対応に当たりたいと思います。狩野君、君の方の話を先に詳しゅう聞かせてくれてですか」


 約一時間前、宮澤の携帯番号から連絡を受けた芳田は即、職員の召集をかけた。大久保と辻本は巴市街地に住んでおり市役所まで車で十分もかからないが、朝賀は合併した旧町の職員であるため、通勤に四十分はかかる。よくこの時間に間に合わせてくれたものだと芳田は感心していた。おそらく本人に訊けば、「朝の田舎道は車も信号も少ない」と笑い飛ばすだろう。事故にだけは気をつけて欲しいものだ。


「了解。どうも、今更だけど宮澤クンの大家の狩野怜路でぇっす。今回の加賀良山の件についちゃ、昨日の夕方時点までのことなら大体把握してる。それとは別件で俺が受けてた人探しの依頼があったんだが、その探し人がどうも加賀良山に迷い込んでるらしいと判明した。行方不明になってんのは鳴神克樹、宮澤クンの弟だ。俺は鳴神家の人間から『内々に』って話で捜索依頼を受けてたが、割とヤバい話になってきたんで俺の判断で情報共有することにした」


 いつもと似たようなやんちゃな服装で現れた狩野はしかし、よく見れば既に戦闘服である。頑丈そうで丈の合ったカーゴパンツに山中でも目立つオレンジ色のダウンジャケットを着込み、靴は登山用のトレッキングだ。


 他に明かりのない市役所庁舎の本館三階、まだ外は曙光も差さぬ薄闇の中だ。活動を始めた人々の物音が遠く響く中で、事務室の中央にある島の席を五人が埋めて向かい合っている。


 宮澤の席に座った狩野が、昨夜の顛末と今朝の話を一通り報告した。八雲神社の御神体から湧き立った小豆虫の魔物、それに憑かれた宮澤の悪夢、そこから宮澤が感じ取った、加賀良山の「鬼」の気配。更に、宮澤の飼う蛇が感知したという鳴神克樹の気配と、それを報告した際の鳴神家の依頼主、若竹の対応についてだ。芳田はあらかじめ、第一報の電話で宮澤自身からもある程度話を聞いている。


 宮澤が加賀良山に式神を置いて「鬼」の相手をしており、直接やりとりをした杉原家の信頼も得ている以上、彼を今日完全に休ませてはやれない。だが、狩野の引き受けた件も含めれば宮澤自身が当事者の一人だ。昨夜のことも含め、できる限り心身の状態を整える時間を用意したいと芳田は考えていた。


「若竹はもう携帯の電源切ってやがるらしくて、どれだけかけても繋がらねェ。鳴神克樹の件はアンタらには伏せろと言われたが、そりゃあ野郎がここに、『鳴神美郷』が居るとは露とも知らねーからだろうよ。俺も美郷の友人として、美郷の存在を若竹に教えるつもりは無ェ。アイツは美郷が克樹を唆して誘い出したとか思ってやがる。美郷がここに居ンのを知られて、ロクなことになんねーのは目に見えてるからな。」


 トントンと宮澤の机を指で叩きながら、怒気を抑えきれていない声で狩野が言う。若竹という男は狩野の言葉を聞かず、一方的に指示をして電話を切ったようだ。向こうは現在、加賀良山で起きているトラブルの内容を全く知らない、何をしでかすか分からないということで、一、二時間前にようやく寝入った辺りの宮澤を叩き起こして芳田へ繋いだという。


 狩野の手前で辻本が、軽くため息を吐いて眼鏡を外し、眉間を揉んだ。宮澤を後輩として可愛がっている辻本にしてみれば、宮澤が「鳴神家」に引っかき回されるのが気の毒で仕方ないのだろう。


 昨日の昼間に狩野からうっすらと事情を聞いた状態で宮澤の顔色を見た芳田は、彼だけ早めに帰らせて(と言っても十九時は回っていたが)休んでもらうことにした。その時、既に宮澤が八雲神社の邪気に憑かれていたのに誰も気付かなかったことは、本人だけの油断ではない。芳田ら、周囲の職員の落ち度でもある。


「分かりました。ありがとうございます。それじゃあ今度は、昨日宮澤君が帰ってからこっちで整理できたことを中心にお話ししましょう」


 狩野に礼を込めて頷き、芳田は姿勢を正した。


「狩野君も知っとっての通り、結局藁人形の代わりの人柱が誰で、その人柱に何の不都合があって祟る鬼になってしもうたんかが問題なわけですが。人柱が立てられたと推定される年の記録を整理して、その人柱になったと思われる子供は一人特定できました。『おふさ』いう名前の数えで六歳の女の子で、この記録じゃあ特別、人柱が失敗した理由は見当たりません」


「それはナニ、人別帳? に、特別記録があったってことか?」


 事務椅子に深く身を預けて腕を組んでいた狩野が尋ねる。人別帳とはざっくりと定義すれば、檀那寺が檀徒の出生や死亡を記録した、今の戸籍のようなものである。


「ええ、人別帳たァ別の所でしたが、当時の長曽の庄屋と、人別帳を持っとる檀那寺のやりとりした書簡にありました。表向きじゃあまあ、今で言う行方不明の扱いじゃあありますが、山に上がって観音様になったけえお経を上げて欲しいいう内容でしたな。ただこれが妙なことに、実際におふさが人柱に立ってから随分後のことなんです。それと同時に、誰か疫病鎮めの得意な行者を紹介してくれともありましたし、日付から言うても疫病が蔓延した時の話なんでしょう。それから――」


 ここまでの内容に、大して目新しい部分はない。せいぜい、人柱の名が判明した程度だ。無論それは十分な収穫だが、本題はこの先だった。


「この『おふさ』は、もういっぺん死亡記録があるんです。こちらは、全く別の場所から、寺に届いたものでして。その寺が発行した寺請状の持ち主が客死した旨の書簡でした」


 話の途中で頬杖に姿勢を変えていた狩野が、へぇ、とずれたサングラスを上げる。寺請状は江戸時代に檀那寺が檀徒に発行した、ある種の身分証明証だ。


「つまり、本当の人柱はおふさじゃねーってコトか。じゃあ本当は結局誰なのか、その辺は?」


 肝心要のそこについては、芳田らの調査では結論が出ていない。どうやらおふさは、人柱になったフリをして誰かに逃がされたのだと推察できる。寺がわざわざ秘密裏に寺請状を発行しているところを見ると、おそらく書簡をやりとりしていた長曽の庄屋が一枚噛んでいるのだろう。


 うーん、と、難しい顔をした狩野が再び腕を組んで右足で貧乏揺すりをする。薄く色の入ったサングラスの向こうで、淡い色の眼が中空を睨んでいた。しばらく唸った後、「コイツは仮説っつーか、美郷の話を聞いた俺の勘っつーか、勝手な妄想なんだがな」と口を開いた。


「美郷は、加賀良山の鬼も誰かを捜して追ってるつってた。おふさの話をあわせりゃ、鬼が探してるのはおふさじゃねえかと俺は思う。加賀良山の鬼はおふさの身代わりにされて人柱にされて、ソイツを恨んで本来人柱になるはずだったおふさを追ってる……っつーのが、一番自然な成り行きだが、どうも引っかかるのが、なんで美郷があそこまで同調しちまったかなんだ。アイツもプロの術者だ、克樹のことで参ってたつって、そう簡単にあんな酷く入り込まれちまうのはちょっと妙に思えてな。その辺は本人も自覚があるっつーか、美郷曰く『加賀良山の鬼は、自分とかなり近い立場や状況だろう』ってコトで――」


 ピリリリリ、と高く電子音が狩野の言葉を遮った。慌てて狩野がポケットを探る。着信画面を確認して「美郷からだ」と表情を険しくした。目顔で芳田に「出ても良いか」と確認してきたので、芳田はそれに頷く。


「もしもし、どうした。――ああ。今お前のデスク借りてるわ。みんなで打ち合わせ中だ。ンだと!? ああ、取りあえず係長に代わる。ホイ、カカリチョー」


 まるで自分も職員のような顔をして電話を差し出してくる狩野に少し笑って、芳田は電話を受け取った。もしもし、どうされましたか、と電話口に問い掛ける。


『すみません係長、報告です。加賀良山に置いてた僕の式神が、何者かに破られました。破った相手が誰なのかは分かりませんが、至急、晴人くんの安否を確認してください。それと……僕の出勤を許可してください。自分で行きたいんです』


 今、加賀良山には特自災害が相手をしている鬼の他に、鳴神克樹と若竹がいる。誰かが式神を捕えて破ったのだろうと宮澤は言った。一旦宮澤に断って電話口を離れ、芳田は朝賀に杉原家に連絡を入れるよう指示を出す。見守りの付き添いくらいならば、朝賀でも可能だ。


「お待たせしました。そいで、宮澤君。こうなった以上は私としても、宮澤君にも出て貰うた方がエエとは思いますが、大丈夫ですか」


 加賀良山の事態が本格的に動き始めてしまったのであれば、宮澤にゆっくり寝ていてもらうのも難しい。だが、心身のコンディションが整わないうちに現場に出ては、再び敵に飲まれてしまう危険性も大いにある。判断に悩みながらの芳田の問いに、電話の向こうで宮澤がはっきりと答えた。


『大丈夫です。――おれは、多分加賀良山の「鬼」と何か共通点を持ってるんだと思います。昨晩の接触で感じました。あの山には弟もいます。あいつを迎えに行ってやりたいし、多分……おれなら、加賀良山でおれが克樹を探してれば、あの鬼はもう一度おれの所に来ると思うんです。次は、こちらから相手を読み取ります』


 芳田は目を伏せ、注意深く電話越しの宮澤の声を聴いていた。内容もだが、それ以上に口調から精神状態を読み取るために、声音や語調に耳を傾けた。結果として、宮澤の声は非常に落ち着いているように聞こえる。


「ふむ。ところで宮澤君、五時前に電話してから後、何をされとりましたか」


 おそらくこれは、寝ていたのではない。確信をもって尋ねた問いに、概ね予想通りの言葉が返ってきた。


『あっ、ええと……しばらく水垢離を』


「それで、気持ちは落ち着いちゃったですか」


 はい、と迷いのない返事が響く。


「では、安全運転に気を付けて、出来るだけ早く市役所に来てください。晴人くんについては先に朝賀さんに頼んで見守りに行ってもらいます」


 最後に短く挨拶を交わして通話を切る。礼と共に狩野に電話を返す時、狩野が不思議そうに芳田を覗き込んだ。


「係長、何か美郷の奴面白いこと言ったか?」


 どうやら口元が緩んでいたらしい。いえ、と否定して芳田は続けた。


「ただ、流石に蛇蟲を喰うたゆうだけのことはありますなァ思うて。鬼に憑かれて、荒らされて、それで凹むタイプの子じゃあ無ァですな」


 自分の中を踏み荒らす相手には、絶対に屈しない。普段の温和で頼り無さそうな雰囲気とは裏腹の、生きることに貪欲で誇り高い、彼の「蛇喰い」としての一面だ。その、他人に己を明け渡さない強い意志は、必ず力になる。


「ンだよ突然。まあそうだよなー、アレでなかなか気位の高い奴だよ、美郷は」


 そう笑い返してくる狩野はどこか、自分のことを褒められたように得意そうだった。

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