絆(三)


 少なくとも現在、怜路から見る限り美郷と白蛇――白太さんの関係は、そう悪いものではない。美郷はぶつくさ言いながらも白太さんを受け入れ、時折夜中の狩野家を好きなように散歩させている。特段、怜路のもとへやって来ることも無いのだが、たまに裏庭でゴソゴソと物音を立てるので、散歩がてらおやつを狩って食べているのだろう。定期的に敷地の物の怪が掃除されて、大変結構なことである。


 午前中、市役所で入手した縄目のリストは既に若竹の元へ提供してある。どこから攻めるか大まかに打ち合わせもして、明日に備えるため早々に解散した。あまり長く一緒に居たい相手でもない。美郷はと言えばだいぶお疲れモードのようで、午後八時頃に帰宅すると怜路の元へ来ることすらなく、いつの間にか離れの明かりは落ちていた。


 時計を見ればもう深夜だ。いつものようにネットに入り浸って夜更かしをしてしまった怜路は、やれやれと頭を掻いて寝支度を始めた。明日は朝が早い。


「しかし、何か落ち着かねェな」


 虫の知らせとでもいうのか、どうにも心がざわついて眠る気分にならない。とりあえず歯を磨こうと、洗面台のある脱衣場へ向かう。しんと冷え切った廊下に、怜路の踏む床板の軋みだけが響いた。以前白蛇と遭遇した納戸の前を抜けて、水回りの集まる家の北側を目指す。


 不意に、がたりと遠くサッシの揺れる音がした。


 恐らく縁側、それも離れに近い辺りだ。また白蛇が散歩しているのか、と、怜路は何とはなしそちらへ足を向ける。あの散歩はもしかしたら、白蛇の放牧と同時に美郷のストレス解消なのかもしれない。最初は気付かなかったが、白蛇がゴソゴソするのは大抵、宿主の美郷が疲れ果てている時である。単に美郷が疲れ過ぎて、蛇を封じておく気力が無いだけなのか、それとも美郷のストレス発散を蛇が肩代わりしているのかは分からない。どちらにせよ、今、蛇が散歩なり脱走なりしているのならば、それだけ美郷に余裕がないということだ。


(分かりやすいっちゃそうだが……なーにガタガタやってんだウルセーぞ)


 執拗に掃き出し窓を揺らす音がする。どうにかこじ開けようと暴れている風情だが、この真冬に家のガラスを割られてはたまらない。散歩に出すなら、いつものように最初から外に放り出しておけば良いものを、と怜路は溜息を吐いた。


「おおい、白太さん。ウチ壊すんじゃねーぞお前、調伏すっぞ」


 怜路の実力で、調伏できるかどうかは知らないが。怜路が「ごっくん」されて終わりのような気もする。


 声を掛けながら廊下を曲がると、縁側を突進してくる白い大蛇が視界いっぱいに映った。


「うおおおお!?」


 思わず驚きの悲鳴を上げる。白太さんはある程度自由にサイズ変更できるようだが、今回は完全捕食モードの最大サイズだ。真っ白い体と紅い双眸が目の前に迫る。――と言って、恐ろしさに震えるようなモノでもない。アオダイショウ系の丸い頭に、ちょこんとつぶらな紅い目が二つついている。いかにも撫でれば金運が上がりそうだが、残念ながら宿主は貧乏人だ。そう笑い話に出来るような、愛嬌のある顔をしている。


 怜路の目の前にたどり着いた白太さんは、鎌首をもたげて怜路と視線を合わせてきた。


「……えっ、何? なんか俺に用?」


 真正面で、ちろちろと二股の舌が舞う。だが流石の怜路にも、無言で訴えかけて来る深紅の双眸から、爬虫類の意思を汲み取る能力はない。少し考えて、もしかして窓を開けろと言っているのか、と怜路は掃き出し窓へ近寄った。


 白太さんはそれを大人しく見ている。カーテンを寄せ、アルミサッシの鍵を開ける。窓を引けば、十二月の冷たい夜気が縁側になだれ込んできた。


「おら、開けてやったぞ。散歩して来い。朝まで大人しく外にいろよ」


 ぺちり、とその場の勢いで、怜路は蛇の白い胴を叩く。さらりと冷たい鱗の感触が怜路の掌に返った。と、同時に、何か意思が脳裏に響く。


 ――行くの。


「は?」


 それは間違いなく、目の前の白蛇の思念だった。もう一度触ってみる。


「待て待て、どこ行くって? まーた迷子になったら面倒だぞお前」


 季節からして、真夏ほど酷いことにはならないだろうが、現状でこれ以上の厄介事は御免だ。


 ――やま。かつき。


「はァ!?」


 思わず頓狂な声を上げる。白太さんは外に出ようとした動きを止めて、怜路の方を向き直っていた。


「……つか、お前さん喋れるのね……?」


 一番のビックリポイントはそこだが、取りあえず今確認すべきは他にある。随分と聞き捨てならない単語が出てきた。


「克樹を、見つけたってのか? どこだ、お前――美郷が昼間に行った場所か? なんで美郷に言わなかった」


 ――みさと、白太さんきかない。


 推測するしかないが、おおかた業務中に騒いで黙殺を食らったのだろう。


「で、だからお前が行こうってか?」


 ――うん。


 思わず顔が引きつる。サングラスを外して眉間を押さえ、怜路は深々と溜息を吐いた。どうしてくれようか、と金髪頭を掻き回す。自由に動けない飼い主の代わりにペットが弟探しをするのは美談と言えなくもないが、目の前の「ペット」は可愛らしいワンコロではない。


(本体が理性で抑圧してる部分を、蛇が勝手に出て来て解消しようとしてやがんのか……?)


 本当に、今すぐ探しに行きたいのは美郷のはずだ。克樹のことは自分に任せて職務に集中しろ、と言ったのは怜路だが、あまりに生真面目に私情を殺し過ぎた挙句、蛇に脱走されては元も子もない。全く世話の焼ける下宿人である。


「よし分かった落ち着け。克樹の居場所を俺に教えろ。そしてお前はいっぺん飼い主ん所に帰れ。克樹は俺が迎えに行く」


 蛇を室内に押し戻して、再び窓を閉める。大人しく従う蛇に、改めて怜路は尋ねた。


「で。どこの山に克樹がいたって?」


 ――やま。


「ナニ山?」


 ――……。


 どれだけ待っても返事は来ない。どうやら、山の固有名詞まで認識は出来ていないらしい。


「あーーー、じゃあ、何してる時に気付いた」


 ――じんじゃ。やま、つながってる。


 くりくりした、紅玉の目が怜路を見ている。触れる胴から伝わってくる意思は、かなり片言の簡潔なものだ。恐らく、そもそも複雑な思考はしないのだろう。諦めた怜路はうんうん、と頷いた。


「なるほどな。じゃあ一旦美郷の部屋に戻るぞ。運んでやるから縮め」


 言って白太さんの胴をぺちぺち叩くと、了承の意思と共にみるみる白蛇が縮む。普通のアオダイショウサイズになったところで、怜路はその胴をむんずと掴んで無造作に肩に乗せた。


「よしよし。じゃあ本体の方に、詳しい話をさせような」


 まずは、美郷を叩き起こすところからだ。

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