八雲神社(終)
時を少し遡って、時計の短針が十一を少し過ぎた頃。特自災害の事務室に珍しく来客があった。
「おっじゃましまーす。芳田係長いるー?」
まるで常連のように気安く入ってきたのは、金髪ツンツン頭にサングラスのチンピラだった。辻本は意外な来客に目を丸くする。
「狩野君。どしたん?」
宮澤の大家で、先々月辺りに特自災害を賑わした人物、狩野怜路である。あの後何度か、後始末のためにここにも顔を出していたが、それももうとっくに片づいたはずだ。
「ちょっと調べ物があってさ。昨日電話したんだけど」
昨日夕方の電話は、どうやら彼からだったらしい。芳田が戻って来てからしばらくして、再びかかってきた電話は直接芳田が応対していた。
「おお、狩野君。書類を用意しとりますけえ、まずこれに申請を書いてください」
相談室から出てきた芳田が、狩野をみとめて椅子を勧める。気持ちばかりのカウンターに置かれたパイプ椅子に、モッズコート姿の狩野が腰掛けた。
「では、これに必要事項を記入して……、住所名前と連絡先、それから印鑑をお願いします」
「この、申請理由っての書かなきゃダメ?」
「書いて貰わにゃいけんのんですが、詳しゅうのうてもエエですよ。『業務上の調査のため』やらそがなんで大丈夫です」
ほうほう、と頷いて狩野がボールペンを取る。好奇心に負けて、辻本は横からのぞき込んだ。
「ンだよ辻本サンのエッチ」
書類を退こうとする怜路に、ごめんごめんと謝る。
「依頼の関係なん?」
「そだよ。さすがに美郷パシるワケにいかねーだろ、こういう申請書要るやつって。昨日電話して、係長が今日すぐデータ閲覧させてくれるつったから。ちょっと急ぎの案件でさあ」
言いながら、狩野がすいすいと申請書を埋めていく。以前、狗神の件の後始末で戸籍回復の申し立てを書いてもらったときも思ったが、彼は義務教育を修了していないとはとても思えない。漢字も確かで、文章自体を書き慣れているのが分かる。
「市内の、縄目ができやすい霊場一覧……行方不明者とかなん?」
辻本自身が狩野と話すのはこれで数度目程度だが、宮澤からしょっちゅう話を聞くので、よく知った相手のように思えてしまう。辻本に苦笑を返した狩野が、薄付きのサングラス越しに目を細めて肩を揺らした。
「まあね。一応、顧客のプライバシー保護があるんでアレなんだけど」
市内の行方不明者で捜索願が出れば、こちらにも情報が回ってくるはずである。芳田に視線を移すと、芳田も目顔で頷いて思案げに顎をつまんだ。
「――狩野君。書類には残しませんけえ、情報提供をお願いできませんか。話を聞いておけば、こちらに何ぞ手がかりが来りゃあ連絡できます」
芳田の言葉に、今度は狩野が手を止めて唸る。狩野の申請した情報閲覧は、彼の巴市民としての権利だ。彼自身の信用問題に関わることなので無理強いもできないが、全く宮澤を介していないのが気になった。今までの話を聞く限り、狩野は宮澤と違い、長くアングラに近い場所で実戦経験を積んでいる。学歴に文句なしとはいえ、まだ社会人一年生の宮澤には伏せたいような案件を抱えたのかもしれない。
「んあーーーー、どうしたモンかねェ……」
懊悩の声を上げながら、申請書を書き終えた狩野がボールペンを放って資料をめくる。特自災害の持つデータを一覧表に印刷した紙をホチキス留めしたものだ。
パイプ椅子に深く沈み込み、眉根を寄せて数枚眺めた狩野が、不意に手を止めた。
「……そういやあ、加賀良山も縄目筋か。イヤしかし……んーー……」
再び、しばらく金髪を掻き回しながらウンウン唸った後、狩野は諦めたように脱力した。
「まあ、あんな野郎相手に信用もクソも無ェんだけどよ。そういやあ今、美郷外勤?」
サングラスを上げて、狩野が予定表の黒板を覗き込む。宮澤は大久保と共に、八雲神社の調査に出ていた。恐らく昼まで戻らないだろうと伝えると、まあいいか、と狩野は頷く。
「俺ァしがない個人営業の拝み屋なんでね、もし悪い噂が立っちまえばおまんまの食い上げだ。迂闊なことは出来ねェが……。おたくの新人君の面倒見てる大家として、いっこ情報提供しとくわ。アイツ昨日か一昨日辺りから変だろ。あれさあ、実家絡みなんだよね」
だらしなく椅子に沈み込んだまま、ポイと資料をカウンターに放り、両の手をポケットに突っ込んだ狩野がニヤリと笑った。
「弟君が家出して、行方不明なんだとよ。アイツ、とんだブラコンでさあ。弟君が心配で夜も眠れねェみてーでよ。そうそう、あと、俺ンとこに依頼かけてきた連中、アンタらの存在も知ってて、わざわざ俺にカネ積んでンだぜ? やってらんねェよなァ、俺ァ政治的な面倒事なんざゴメンだぜ。――ンなところでオーケーかい?」
明後日の方向へ向けて滔々と語ってから、あとは察しろ、と狩野が席を立つ。資料を三つ折りにしてポケットに突っ込み、雑にパイプ椅子を寄せて「んじゃ、」と軽く右手を挙げた。
「美郷が帰ってきたら、くれぐれもテメェの職務に集中しやがれっつって、係長からも注意しといてよ。資料サンキュー」
言ってくるりと踵を返す。モッズコートの立派なフードファーがふわりと揺れた。
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。狩野君にゃあ迷惑がかからんようにしますけえ」
にこりと笑って芳田が見送る。開いた引戸から廊下の冷気が事務室に流れ込み、建付けの悪そうな音と共にそれが止まった。狩野が事務室を去った後、辻本と芳田は顔を見合わせる。
「鳴神の……宮澤君の弟ゆうたら、次期当主でしょうなァ」
これはこれは、と腕を組んだ芳田に、眼鏡の曇りを拭きながら辻本も頷いた。
「まあ、お家としては公にはしたくないでしょうね。宮澤君のことも含めたら、直系の息子が二人とも家出いうことになりますし……しかし、大変ですね」
宮澤にしたところで、まだ自分のことで手一杯だろう。特に今は、加賀良山という重たい案件を抱えてもらっている。
「まあそれでも、狩野君が居ってくれてな分だけ助かっとりましょう。私らじゃあ流石に、ああいうプライベートの立ち入った話はなかなか出来ませんけぇな」
「ですねぇ」
狗神の件では、己の命を粗末にしかけた狩野を宮澤の熱意が救った。今回は宮澤の抱えるトラブルを、狩野が気に掛けている。同業者同士でひとつ屋根の下、持ちつ持たれつでやっているのだろう。
「なんか、羨ましいですねぇ」
ぽろりと零れた言葉に、芳田があっはっは、と笑った。
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