八雲神社(一)


 6.


 長曽八雲神社は加賀良の山麓、長曽の集落を見下ろす急峻な斜面にあった。境内と呼べる場所はほとんどなく、長曽地区の集会所から急な石段を三、四段上がった場所に簡素な社殿がぽつんと建っている。元々は境内であった場所に集会所と広場をこしらえたものと思われるが、八雲神社に参拝するための場所はほとんどない。立地も、周囲は崖崩れ防止のための擁壁やコンクリートに囲まれて鎮守の森も存在せず、一回り大きな祠といった風情の場所だった。


 長曽八雲は悪虫退散、五穀豊穣の神とされ「大仙さん、祇園さんを合祀してある」と記述が残っている。「大仙さん」は牛馬の神、「祇園さん」は行疫神であり、八雲神社とは流行り病を鎮め厄除けを願う、祇園信仰の神社だ。名前だけならば病気平癒や厄除け辺りが順当な御利益だろう。


「――つまり、長曽八雲が五穀豊穣の神とされるのは建前、ってことですか」


 公用車を降り、民家の裏道のような細い坂を上りながら、美郷は長曽八雲神社を見上げる。八雲という神社は疫病封じの祇園信仰であるにも関わらず、長曽八雲の御利益が五穀豊穣なのは改めて見てみれば奇妙だ。共に八雲神社へやってきた大久保が「そうじゃのォ」と頷いた。


「大仙さんは農耕用の牛馬の守り神じゃし、事の発端は飢饉で、加賀良山の人柱も飢饉鎮めのモンじゃけぇ、五穀豊穣も間違いじゃあ無ァじゃろうけどのォ」


 なるほど、と美郷も頷く。


 美郷は神道系の術者である大久保と共に、八雲神社の御神体を確認しに来ていた。田上――広瀬の母方の祖父とも待ち合わせをしており、田上は集会所で待っているはずだ。


「でも、多分疫病鎮めの機能を持ってるはずってことですよね」


 朝一番で、美郷は係長の芳田から呼ばれた。内容は「杉原一家に関わる加賀良山の件について、もう一度緊急対応が必要」というものだ。


『宮澤君。緊急で杉原さんにもういっぺん電話をして貰うてもエエですか。他じゃあありませんが小豆の件で、杉原さん本人らにも障りが出とるかもしれません』


 芳田はそう切り出した。今まで分かったことをまとめると、長曽の小豆にまつわる禁忌と祟りは複数の伝承に分散され、隠されたことが推測できる。ひとつは長曽八雲の由来、ひとつは小学校で受け継がれる鬼ごっこ、そして最後に小豆研ぎの祟りだ。


 この中で、疫病を匂わせる内容を持つのは広瀬から最初に聞いた小豆研ぎの祟り話だが、改めて見直せばこの長曽八雲そのものが「疫病封じ・厄除け」の機能を持った神社のはずだ。公に見せる長曽八雲の由来には小豆食の「禁忌」のみを残し、裏に口伝としてその「祟り」を「鬼ごっこ」と「小豆研ぎ」の二つにわけて伝えてきたのだろう、というのが芳田らの推理だった。


『公文書に残すにゃあ具合のわりぃ「小豆を食うたら何が起こるんか」の部分は口伝にして、身内だけに伝えてきたいうことでしょう。子供の方にホンマに「鬼ごっこ」が起きたんなら、大人の方にも「小豆研ぎ」の障りが出とる可能性が高い。杉原のうちに誰も小豆の禁忌を知らんで、晴人君が餡餅を食べとってんですけえ、よっぽど嫌いじゃあない限りご両親も一緒に食べとってでしょう。杉原さんの様子を聞いてみて、もし何ぞ異変があるようでしたら、中央病院の皮膚科を押さえますけえ受診するように案内してください』


 指示を受けた美郷はすぐにこのみへ電話を入れた。すると案の定、痛痒い発疹と微熱に悩まされているという。ちょうど今日、皮膚科を受診するため午前休をとったというこのみに美郷は、まず市役所へ来てもらうお願いと、午後に中央病院で診察の手配をするので一日休んでほしいというお願いをした。そして、すんなり了承してくれたこのみへの聞き取りと診察同伴は辻本・朝賀に任せ、美郷は大久保と共に、一歩踏み込んだ八雲神社の調査をしに来たのだ。


 鍵を管理している田上に神社に入れてもらい、本殿まで上がって御神体を確認する予定だ。長曽八雲には専従の神職がおらず、祭日にだけ近くの神社の宮司を招いて祝詞を上げてもらうらしい。持ち回りで世話役を勤めている田上も御神体を見たことはなく、御神体が何なのかも知らないという。


 急で細い坂道を数十メートル上り、山裾にかじりつくような集会所の広場にたどり着く。時刻は十時を少し回った頃、巴盆地の空に蓋をする霧が細かな雨粒となり、ぱらぱらと落ちてき始めていた。今日の予報は午後から雨だったが、午前中を持ちこたえてくれるか怪しい暗さだ。


 集会所の軒下に立つ、ダウンジャケットを着込んだ人影があった。美郷らの足音を聞きつけて広場へと出てくる。田上だ。額の涼しげな白髪を綺麗に撫でつけ、しっかりとした仕立ての黒のダウンジャケットに落ち着いた色のスラックスと革靴を合わせた、紳士然とした出で立ちである。年齢は八十近いというが、伸びた背筋もまだまだ頑丈そうな体つきもその年齢を感じさせない。そして意識してみればなるほど、広瀬と眉の辺りが似ている。


「おはようございます、お世話になります」


 ぺこりと頭を下げた美郷と大久保に、いやいやこちらこそ、と田上も頭を下げる。三人ともこれが初対面ではない。美郷も晴人の件で一度話を聞いているし、同じ巴町の別地区で宮司をやっている大久保も、田上とは面識があった。天気や気温、年末行事など軽い世間話をしながら社殿へ移動し、鍵を開けてもらう。


「雪にならにゃあエエですなあ」


「年内は雪は降らんでもエエですわ、そろそろタイヤは換えにゃいけん思うとるんですが」


「宮澤君はもう換えたんじゃろう、アンタん所の方はまたさびィけえ」


「あ、はい。先週買って、その場で換えて貰いました。峠がやばいって聞いたんで……」


 この地方は冬用タイヤ必須だという。広島北部と島根の県境にはいくつもスキー場があり、県内でも最も雪の積もる場所は毎年必ず一メートルを越える。巴市内にそこまで積もる地域はないが、年に数度は圧雪の上を走ることになるらしい。狩野家から巴市街地に出るには峠をひとつ越えねばならず、その峠は積雪・路面凍結の名所だった。


 しかしタイヤというものは高い。あまりケチって効果がなくては本末転倒という思いもあり、それなりの出費をすることになった。おかげで、家賃支払いは冬のボーナス支給を待って貰っている。


 靴を脱いで浜縁に上がり、本殿の戸を開けてもらう。雨戸を全て閉ざされた社殿の中は一層暗い。田上が慣れた様子で蛍光灯のスイッチを入れた。手前にほんの四畳半程度の、横長の外陣げじんと呼ばれる参拝用の区画があり、一段上がかった内陣の奥に神饌みけ台や三方、金幣が御簾越しに透かし見える。


 三人揃って一度丁寧に礼拝し、御簾を上げて内陣へ入る。最奥の祭壇には、大きな方形の木箱が鎮座していた。古びた木箱は簡素で、蓋は釘を打ち付けてある。大きさは子供一人が横たわれる程度だ。


(なんか……まるで棺桶だな……)


 はらわたの内側を、ざらりと蛇の鱗が這う。美郷は眉をしかめ、口元を引き結んだ。白蛇からの警鐘だ。窓のない社殿の中、外陣から差し込む蛍光灯と、遠い外の光にぼんやりと照らされた御神体は、えもいわれぬ陰鬱な空気を纏っている。


 田上が持参していた工具で、釘を抜いていく。白蟻に食い荒らされた木箱が揺れて、祭壇の上に白く粉を吹いた。桐箱だろうか、釘を抜かれた蓋が軽々とずれる。


「元は、七年にいっぺんくらいで換えよったらしいんですが、儂が子供の頃にはハァしよらんかったですな」


「どがなことをしよっちゃったんか、何ぞ聞いとってんないですか」


 田上と大久保が会話しながら、蓋を開ける体勢を整える。


「こないだから思い出そうゆうて考えよるんですが、大したことは覚えとりませんのお……」


 申し訳なさそうに首を振る田上に頷いて、大久保が美郷に蓋の片側を持つよう指示をする。


「そうですか。宮澤君、行くで!」


 頷いて、美郷は蓋の両端に手をかけた。大久保のかけ声で蓋を縦にずらす。闇の澱む木箱の手前側、ぼんやりと青白く丸いものが美郷の目に映った。


 顔だ。


 木箱にちょうど収まる背丈の、あどけない少年が横たわっている。小学校の制服らしい白のポロシャツと黒い半ズボンは、思いもかけず現代的な服装だ。


(――男の子? 確か、殺されて、祀られてるのは女の子だったはず……)


 ぱちり、と少年が目を開く。その白く丸い頬と目鼻立ちに、酷い既視感と違和感を覚えた。


 少年が、美郷と視線を合わせる。まだ変声期前の、高く澄んだ声が歌うように訊いた。


「もーいいかい?」


 反射的に飛び退こうとして、気付く。


(これは、おれ……!?)


 見つめてくるその顔は、幼少期の美郷だ。


 次の瞬間、一気に世界が遠のいた。

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