隠れんぼ(終)



 午後も四時半をまわった頃。昼イチで外勤に出ていた辻本は、ようやく帰り着いた自席で眼鏡を外し、深々と溜息を吐いた。共に帰庁した芳田も、係長デスクに書類鞄を降ろして抽斗を漁る。そのまま紙箱を胸ポケットに押し込んで出て行ったので、喫煙所で一服してくるのだろう。


「おつかれでしょう」


 はす向かいの席から、パソコンに向かっていた大久保が声を掛けてきた。


「やー、疲れましたよ」と、辻本はがっくり項垂れる。それに、隣の島で作業していた女性の一般事務職員、朝賀あさかが笑った。


 辻本より十歳程度年上の彼女は、今年で六年目と特自災害が長い。呪力を感じることも操ることも出来ない一般事務職員ながら、知識量はとても「一般人」の範疇ではなく、係内でも一目置かれる人物である。


「教育委員会行っとったんかいね。社会教育?」


 朝賀の言葉に辻本は頷いた。少し曇ったハーフリムの眼鏡を、綺麗に拭いて掛けなおす。教育委員会の庁舎は別の場所に建っており、特自災害のある本庁からは車で十分ほど移動しなければならない。


 社会教育課はスポーツ振興や生涯学習の推進などと共に、文化財保護を主管している部署である。保護対象となる文化財の多くは寺社仏閣や天然記念物となる樹木等で、要するに特自災害とシマが被るのだ。彼らは寺社仏閣を「文化財」として、特自災害はそれらを呪術的機能を持った「装置」として見なし、管理運用をしたがる。


 同じ施設に対して口出しをする部署が二つ、それも、方針は異なる。上手くゆくはずがなかった。そして市内の郷土資料を管理する図書館も向こうが主管課のため、特自災害が頭を下げる立場になりやすい。


「あと、学校教育のほうにも一応もう一回……」


 長曽の件である。現在、市内の小中学校で行われている地域学習についての確認と、今後の再発防止について話し合ってきたのだ。


「どうなったん?」


「年度初めに、その年の地域学習計画について全校分まとめて渡すけえ、あとは好きにしてくれ、と」


 つまり丸投げである。仕方がないといえばそうだ。向こうの部署に、特自災害案件を見分けられるような知識を持つ職員がいない。それこそ七年前ならば朝賀が社会教育課にいたので仕事もやりやすかったのだが、彼女の後継者は出てこなかった。


「やれやれ……まあしょーがなァよのォ」


 積み上げられたファイルの向こうで、大久保がつまらなそうに言った。これでまた、特自災害の事務量は増えたが人は足りないままである。


「宮澤君に頑張って貰わんとねえ」


 あっはっは、と朝賀と大久保が笑う。宮澤は昨年退職した専門員の補充人員だが、雇用延長の嘱託職員だった前任者と比べれば遥かに若い上、能力も高い。最初は基本的な事務仕事を覚えてもらったが、今後はどんどん現場を任せて行くことになるだろう。


「あれ、その宮澤君はどうされたんです?」


 辻本の隣が宮澤の席だが、そこに座る者はいない。外勤が入ったのかと事務室の黒板を見る辻本に、大久保が首を振った。


「ありゃぁ今日は駄目で。何があったんか知らんが、ずーっと上の空でな。多分コーヒー買いに出たんじゃろうけど、はあ大分経っとるのォ」


 午前中もだいぶ眠たそうにしていた。何かトラブルでなければ良いが、と辻本は思案する。それを笑い飛ばすように朝賀が言った。


「明け方までゲームでもしょったんじゃないん? ウチの子なんかもまあホンマ、休みの日なんか部屋から出て来んのんじゃけ」


「まあそがな日くらいあるよ、若い男子なんじゃけえ夜更かしもしたいじゃろうし! 辻本君も心配し過ぎんさんな」


 何を想定したのか「男子」を強調して、大久保が大きく笑う。二人とも、宮澤の事情を全く知らぬわけではない。だが、務めて彼を普通の若者と同じように扱う。それが全く正しいのか、辻本は判断しかねていた。言えばおそらく、過保護と笑われるだろう。


 釈然としないまま自席のノートパソコンを開いた辻本に、朝賀が手元のファイルを差し出す。


「そうそう、辻本君。長曽の件じゃけど、これがウチにあった神社の記録じゃけえ。赤い付箋が八雲神社、黄色の付箋が加賀良神社。どっちもあんまり情報が残っとらんよねえ……」


 辻本は礼と共にファイルを受け取る。現在のところ宮澤の緊急対応が奏功しているが、根本的な解決には至っていない。年末年始に向けて他業務も立て込んでいるため、なかなか本腰を入れて調査できていないのが実情だった。


「完全にノーマークでしたからねえ」


 付箋の箇所を開きながら、辻本は再び溜息を吐く。長曽は特自災害のある本庁から、車で五分もかからない場所だ。平成の大合併で「巴市」となった旧町村部と違い、特自災害も長く管轄してきたはずの地区である。まさか今更、これだけ大きな事案が発覚するとは思わなかった。


「在来作物なんぞ、ホンマ最近になって聞くようになったよのォ」


 大久保の声音には、やれやれ面倒臭いという嘆きが混じる。移住者も、地域再発見も何一つ悪いことではない。むしろ積極的に推し進めなければ、僻地の小さな自治体に明日はないだろう。だがこれで、特自災害の業務に「市内の在来作物に関する調査」が増えたのも事実だ。


「あとは地元の人らに聞いて回るしかないですね……田上さんが加賀良神社の世話をしての家筋みたいなんで、あそこのウチにしばらく通わしてもらおうと思ってます」


 八雲神社に残る伝承によれば、とある飢饉の折、村に備蓄してあった小豆を何者かが盗んだという。怒った村人たちは、犯人は村八分にされている家の者に違いないとその家へ押し入った。


 家に住んでいたのは貧しい夫婦と一人の娘だった。いくら無実を訴えても聞き入れられず、厳しく責め立てられた父親がとうとう逆上する。家の裏手から斧を掴んで来ると、怯える娘を捕まえて、村人たちの目の前で娘の腹を斧で割いてしまったのだ。そして、娘のはらわたから小豆が出てこないことを確認させたという。


 無実の罪で惨い死に方をした娘を哀れみ、村人たちは山の麓に娘を祀る神社を建てた。それが長曽八雲神社だという。以来、長曽の村人は小豆は神の食べ物として自分たちも食べるのを禁じ、八雲神社に供えるものだけを栽培してきたらしい。


 なんとも陰惨な話である。長曽八雲神社の建てられた年代について詳しい記録は追えていないが、内容からして江戸時代、どこかの大飢饉の時期と推測できた。


 一方、山頂にある加賀良神社の伝承としては、こんな話が残っている。


 長曽の村人たちは古来より飢饉や旱魃が起こると、山の神の助けを乞いに数え七歳までの子供を人柱に立てていた。しかしあるとき、人柱になる子供を不憫に思った流れの行者がこれを禁じ、代わりに小豆を詰めた藁人形を立てるよう教えたのだという。


 小豆は東アジアに古くから栽培される穀物のひとつで、その鮮やかな赤い色から呪力を持つと考えられてきた。また、この小豆を使った代表的な和菓子である饅頭は、中国において人柱の首の代わりとして作られたものという伝説がある。そのイメージから、小豆を赤いはらわたに見立てた藁人形を、人柱の代わりにしたのだろう。


 二つの話を総合すれば八雲神社の由来にある、飢饉に備えて備蓄されていた小豆というのは、加賀良へ奉納する藁人形用のものだ。そして腹を裂かれたという娘は、小豆を盗まれ「腑抜け」になった藁人形の代わりに、人柱に立てられたのだろうというのが辻本らの推理だった。


 電話の呼び出し音が鳴り響いた。騒ぎ立てる係長席の受話器を大久保が掴む。


「はい、特自災害大久保です。ああ、代わりましょう。――お待たせいたしました、巴市役所、特殊自然災害係の大久保です。芳田は只今席を空けておりますが――はい、あ、さようでございますか、申し訳ありません。よろしくお願いしますーはい」


 手慣れた電話応対を終えて、大久保が静かに受話器をおろす。通話が終わったのを確認して、朝賀が尋ねた。


「係長に?」


「ええ。また掛けなおす言うちゃったけェ、ああ。名前くらい聞いとくんだったのォ。若げな男の声じゃったが」


 はて、誰であろう。あまり部外者や一般市民から電話がかかって来る部署ではない。――ちなみに、この地方の言葉で「~しちゃった」は「してしまった」という意味ではなく、「された・なさった」と同じような意味合いの尊敬語だ。


「市民の方から名指しは考えにくいですし、業者さんか他市の人ですかねぇ」


 失敗失敗と頭を掻きながら、大久保がメモ書きを芳田のノートパソコンに挟む。辻本は再びファイルに視線を落とした。


 八雲、加賀良の両神社の由来以外に、加賀良山にまつわる伝承は大きく三つある。「天狗の神隠し」と「小豆研ぎの祟り」、そして「鬼ごっこ」だ。天狗の神隠しは名の通り、加賀良山の頂上には天狗が棲んでおり、時折山に入った人間を攫うというものである。


「天狗の伝承は分かるんです。加賀良はかなり古い山の神みたいですし、強い霊場ですから縄目に迷い込んだ人間も多かったでしょう。それを天狗の神隠しと解釈したんじゃろうと思います。あとは小豆研ぎと鬼ごっこなんですよねぇ……」


 ファイルをめくりながら辻本はぼやいた。


「なんで小豆研ぎが出たかよのォ……」


 ふうむ、と大久保が唸る。「化けて出た」という意味ではない。なぜ、八雲神社の由来とは別に、小豆食の禁忌を語る伝承がもうひとつ必要だったのか。


 長曽の人々に伝わる小豆研ぎの伝承によれば、かつて長曽の人々は自分たちも小豆を食べながら、毎年一握りだけ小豆研ぎへ小豆を供えていた。しかしある飢饉の時、小豆研ぎに供えるための小豆を、自分達で食べてしまったそうだ。


 すると、翌日から小豆を食べた人々の全身に赤い発疹ができ、人々は発疹が痛むとのたうち回って苦しみ始めたという。発疹はみるみる赤黒く大きくなり、小豆色の膿を噴き出した。以来、恐れた長曽の人々は小豆そのものを口にしなくなったそうだ。


 もうひとつ、小豆食の禁忌に関わる伝承が「鬼ごっこ」だ。こちらは子供の中だけで伝わる話ゆえ、更にあやふやだった。


「巴小学校の鬼ごっこも結局、長曽の伝承じゃったん?」


 茶を飲みながら朝賀が首を傾げた。辻本は頷く。田上も確かに、子供の頃その話を聞いていた。だが、やはり子供の時分に、年長の子供から教えられたのだという。


「小豆研ぎも鬼ごっこも、結局八雲神社の由来と同じく小豆を禁じとるんですよね。そして実際『鬼ごっこ』は起きてしもうた……」


 そして、結局「鬼ごっこ」の相手は見えないままだ。堂々巡りの思考に辻本はファイルを投げ出す。ガラリ、と古びた引戸が開いて、誰かが事務室に入ってきた。


「――なら、『小豆研ぎ』もホンマに起こる、いうんが可能性としてありますなあ」


 そう言ったのは、一服から帰ってきた芳田だった。


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