隠れんぼ(三)


 鳴神克樹が消えたのは、先週金曜日の午後だという。


 本宅最寄りのバス停から男子高校生を一人乗せたと、近くを通る路線バスの運転手から証言を得ていた。その高校生は、バスの終点である出雲大社よりひとつ前のバス停で降車したらしい。バス停の近くには小高い山があり、克樹はそこから消えたと思われる。


 縄目なまめ、縄筋、魔物筋、魔道などと呼ばれる場所がある。有名なのは瀬戸内沿岸地域の伝承だが、物の怪というよりは「場の歪み」であるため、実際には形や呼び名を変えて全国に存在していた。一般に「魔のモノ」の通り道とされ、家を建ててはいけないとか、工事をしてはいけないとか言われる場所だ。


 出雲大社のように呪力の大きな神域の近くには、渦巻く力が大小の歪んだ「場」を作る。そこは現世うつしよの破れ目であり、伝承のとおり神やもののけ、魔のモノが「あちら側」からやって来る通り道だ。ここに人が迷い込めば「神隠し」となる。


「その縄目から異界伝いに移動して、アンタらを撒いたと?」


 半信半疑の口調で、怜路は確認した。正気か、と言いかかって何とか飲み込む。縄目の「あちら側」――異界とはつまり、常世、幽世かくりよと呼ばれる世界だ。思い通り縄目を使って移動するなど、人間業ではない。しかし、若竹は確信をもって頷いた。


「そうだ。無論、しるべはあったはずだ」


 鳴神は占術で、克樹の居場所を広島県北部と絞ったらしい。だが正確な所在が掴めず今日で五日目、恐らく克樹はまだどこかの縄目の中であろうと踏んで、週明けからこの地域の術者に声を掛け始めたそうだ。


「標ねェ……そりゃあ確かに、呼んでくれる相手でも居りゃあだが。にしたって、なかなか無鉄砲だなお宅の坊ちゃんは」


 なるほど美郷が心配するわけだ。と、妙な納得をしていた怜路は、若竹の次の言葉に耳を疑った。


「実際、呼ばれてしまわれたのだと思っている。君は、もう一人の鳴神家子息を知っているか? 五年ほど前、『蛇喰い』と有名になった人物だ。克樹様を呼び寄せた恐らくその彼――鳴神美郷様だ」


「……はァ?」


 間抜けな声を上げて、思わず怜路は目の前の男をまじまじと見返した。


 その男のことはよくよく知っている。多分、今ドコに居るかも何を考えながら何をしているかも、七、八割の精度で当てられる。そして、若竹の言葉がどれだけトンチンカンなことかも、嫌というほど知っている。


(何言ってんだコイツ。美郷が? 弟君を?? それで俺に声を掛けて来たってコトか? いやいや、コイツは俺と美郷の関係を知らねェはずだよな、けどやっぱ、結局本当は美郷を探してるってことか?)


 頭の中を、目まぐるしく疑念が駆け巡る。正面に座る若竹の表情にこれといった変化はなく、怜路にカマを掛けてきた風情でもない。一旦落ち着こうと、怜路は氷ばかりになったグラスの中身を啜った。ずずず、と間抜けな音が、カフェタイムの客と学生たちの喧騒にかき消される。どうやらテスト期間らしい。


「こちらに来たのは二年前と言ったか? ならば知らずとも無理はないな。鳴神家当主のご子息は二人おいでだった。一人は婦人である小百合様との子で、次期当主であられる克樹様だ。そしてもう一人、外腹の男子がいたのだ。それが美郷様だ。克樹様よりもかなり年長で――今ならば二十二、三歳のはずだ。長子だが非嫡出ゆえ、鳴神を継ぐことが出来ないのは最初から分かっていたが……当主はあの方を、克樹様の補佐に育てたかったのだろう」


 なにやら美郷に特別な感情があるのか、語り始めた若竹の口調にはちろりと昏い熱が籠っている。微かなそれを感じ取った怜路は、冷静さを取り戻して聞く体勢を整えた。こちらの情報を相手に漏らさず、向こうの情報を可能な限り引き出すべきだと、勘が訴える。この男は美郷同様、克樹を探している。だが、美郷の味方ではないらしい。


「美郷様は――才のある少年だった。呪術の才も、勉学も、それから……おおよそ、『鳴神家の上に立つ者』としての才を持ちすぎた、不気味な方だった」


 怜路は、へぇ、と口の中だけで小さく相槌を打つ。紙箱から一本抜き出した煙草を、銜えるでもなくテーブルの上で玩びながら続きを待った。若竹の言葉から滲む嫌悪の念が、ざらりと怜路の肚の底を撫ぜる。若竹の前では、怜路がジュースのついでに持ってきたお冷が、手を付けられないまま雫を結んでテーブルを濡らしていた。


「それが仇となって今は消息不明だが――どこかで生きておいでのはずだ。克樹様はとても慕っておられたからな。もし呼ばれれば……」


「ソイツは何か根拠でもあんのかい? アンタ、随分そのミサトとやらが嫌ェみてーだなァ」


 若干よれた煙草を銜えて、ライター片手に怜路はけっけ、と嗤ってみせた。この男が克樹の教育係だというなら、おおかた美郷にお株を取られて気に入らなかったのだろう。意地悪く目を眇める怜路に、若竹は無論、と返す。


「あの方には前科がある。もう十年近く前になるが……克樹様を連れ去ろうとしたことが、あの方にはあるのだ」


「連れ去るねェ……一体何のために。十年前つったらまだソイツもガキじゃねーか」


 美郷が中学生の頃という計算になる。そんな子供が、更に幼い子供を攫って何になると言うのか。


「克樹様を亡き者にして、ご自身が次期当主にと考えられたのかもしれん」


 へえぇ。そりゃあそりゃあ。それだけ返して、怜路はソファに思い切り凭れ掛かった。片肘をソファの背に引っ掛け、喉元まで出かかった「馬鹿言ってんじゃねェ」という言葉と共に、思い切り紫煙を吸い込む。我慢だ、我慢、と己に言い聞かせた。


「けどソイツはもう行方不明なんだろうが。俺ァ当時東京にいたが、蛇喰いの名前くれーは伝わって来たぜ。あんな騒動の挙句に行方知れずで、まーだ次期当主の座を狙ってるってのかい?」


 目の前の男は、一体誰の話をしているのか。怜路の知っている「宮澤美郷」とはまるっきり別人だ。サングラス越しに黒縁眼鏡の向こうを窺い見るが、レンズ二枚を隔てた先と視線は交わらない。


「そんな騒動の挙句だったからこそ、だ。あの方には才覚がありすぎた。生まれた立場、鳴神における立ち位置と能力が不釣り合い過ぎたのだ」


 もしも彼が鳴神家の嫡子として生を受けていたら、何の問題もなかっただろうと若竹は言う。


「あの方は、鳴神を乱す『異物』だった。あの事件はある意味必然で、結果的に鳴神家にとっては良かったのだとおも――」


 ガンッ。灰皿が木製テーブルを叩く音に、一瞬辺りが静まり返った。


 撒き散らされた灰と吸い殻もそのままに、灰皿から手を離した怜路は思い切り煙草をふかす。最後の一言で、我慢の限界を超えた。ふつふつと湧き上がる怒りを隠すように、怜路はサングラスを整えて顎を引く。まだ半分程度残っている煙草を灰皿に押し付け、ゆっくりと腕を組んで言った。


「おたくのお家事情なんざ興味無ェんだよ。くだらねェ話してねぇで本題を進めろ」


 唐突な怜路の不機嫌の理由を、目の前の男が知っている様子はない。粗野な振る舞いを見下す視線が、怜路を一瞥する。


「――ああ。克樹様は美郷様に呼ばれて姿を消したのだろう。君には、この辺りの縄目となりそうな場所と、鳴神美郷の噂がないかを調べて貰いたい。報酬については追って詳細を詰めるとして、取りあえずの前金はこれで足りるか」


 そう言って差し出された小切手には、普段受ける依頼の満額以上の数字が記入されていた。最初から、札束で頬を叩くつもりで用意していたのだろう。「十分だ」とだけ低く返し、小切手を財布に突っ込んだ怜路は席を立った。じゃらり、と長財布に繋がれたウォレットチェーンが鳴る。


 いまだソファに腰掛けた若竹を見下ろす形で、怜路はいつの間にか最後の一本だった煙草に火を点ける。握りつぶした紙箱とライターをスタジャンのポケットに突っ込んで、怜路は若竹を睥睨した。


「見積作る依頼内容は人探し一件でいいな? 喋って欲しく無ェことがありゃあ、また渡したアドレスにでもメールしな。口止め料も上乗せしといてやる。安心しろ」


 そこで一旦言葉を止め、怜路は強く煙を吸い込んだ。煙草を口元から離し、思い切り若竹に煙を吹き付ける。


 不意打ちに咳き込む若竹を嘲笑い、ほとんど吸っていない煙草を灰皿に放り込んで背を向けた。


「――克樹はすぐに見つけ出してやるさ」


 そして一刻も早く、鳴神の名乗る連中を巴から追い出す。そう強く決意して、怜路はファミレスを後にした。


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