鳴神美郷(一)


3.


 高校三年生の冬を迎え、周囲の級友達は受験本番に向けて殺気立っている。


 鳴神克樹なるかみかつきは、これからの季節が嫌いだった。家ではひと月後に控えた年末年始の祭祀に向けて、皆の動きがあわただしくなる。克樹自身も鳴神家の跡取りとして、堅苦しくて面倒臭い諸々に参加しなければならない。


 今年は受験生だから、などという逃げは通用しなかった。克樹は全国屈指の陰陽道の名門、鳴神家の継嗣である。当然のように進学ルートはあらかじめ用意されており、十月の半ばにはほんの簡単な面談だけで、克樹の進学先は決まっていた。無論、克樹自身の希望など聞かれた記憶もない。


 そんな面倒臭さや疎外感も面白くないのだが、何より克樹を憂鬱にするのは、「思い出」だった。山の木の葉が落ちる頃になると思い出す、怒りと悔しさと、喪失感。冬の出雲平野に吹きすさぶ強風になぶられながら、克樹は家近くの海岸で水平線を睨む。


 高校卒業に向けて伸ばせと言われている、緩くウェーブのかかった髪が邪魔だ。


「男で、しかもこんな落ち着きの悪い髪を伸ばしても見苦しいだけだ」


 苦々しく呟いて前髪をかき上げる。色が薄めで伸ばせばうねる、自分の髪質が克樹は好きではない。男が伸ばしても美しいと思えるのは、艶やかな漆黒をした、癖のない真っ直ぐな髪だ。――そう、例えば克樹の父親や、『兄』のような。


 克樹には、腹違いの兄がいた。


 五歳上のその兄は、まだ克樹の両親が結婚していない間に生まれている。現鳴神家当主である克樹の父親が、出雲を出て一般企業に勤めていた頃に出会った女性との子供だった。克樹の父親は元々、鳴神を継ぐ予定の人間ではなかったのである。


 学期末テストの期間中ゆえ、学校は昼には終わっていた。帰れば昼食と「仕事」が待っているが、克樹は学生服のまま、家に背を向けて磯の続く海岸を歩く。鳴神家の広大な私有地である海岸に、人影はない。


 空は低く冬の雲が覆っている。昼なお薄暗く、月の半分以上は小雨がぱらつく陰気な季節だ。油断すれば煽られて転びそうなほどの強風は日本海に白波を立て、岸辺に波の花を舞わせている。


 市街地から離れた家から高校までは車で三十分、家の庭に克樹を降ろした運転手から、既に帰宅したことは報告されているはずだ。帰ればまた、お目付け役から小言を食らうのだろう。だが学校外では常に家の者の目が光っている状況下で、唯一ここが抜け出せるタイミングだった。


「兄上」


 この世の誰よりも大好きだった兄が、鳴神から姿を消してもう五年になる。


 家の者たちは、彼の名を一切口にしたがらない。


 まるでもう亡い者であるかのように、否、最初から存在しない者であったかのように、克樹の兄を――「鳴神美郷」を扱う。


 だが克樹は知っていた。兄は鳴神を追われてしまったが、この国のどこかで暮らしている。何とはなし、父親は連絡先を知っている風に見えるが、克樹に教えてくれることはないだろう。


 ならば自分で探すしかない。そう克樹は腹を括っていた。


 ひとつ身震いして、上着のポケットを探る。コートもなにも無しに、十二月の海岸を歩いていれば体は冷えた。大切に取り出したのは、古びて若干端のよれたポストカードだ。表面には、国際宇宙ステーションから撮られた夜明けの写真が、鮮やかに印刷されている。裏面には克樹への宛名書と「お土産に宇宙食を買って帰ります」という一文、そして差出人の署名があった。


『宮澤美郷』


 高校の修学旅行で種子島に行った兄が、現地のポストから送ってくれたものだ。当時彼は寮生活で、盆と年末年始くらいしか出雲には帰って来なくなっていた。宇宙の好きな克樹に兄はこれを、種子島の消印付きで送ってくれたのだ。


 そっとボールペンの文字をなぞる。この頃にはもう、兄は「宮澤」と名乗っていた。


 それでも、ずっと傍にいてくれると信じていた。兄の美郷はずっと克樹の隣で、優しく微笑んでいてくれると思い疑っていなかった。


 ――中学に入った冬の終わり。


 真っ白い顔をした美郷がボストンバックひとつを抱え、全くの無表情で克樹を無視して、家の玄関を出て行くまでは。


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