かがら山(終)


『母さんの実家? ああ、そうそう。確かその辺だよ、旧姓は田上。国道脇に飲料メーカーの倉庫あるだろ? あの正面から山の方に入る道のすぐ左手。今は祖父さん祖母さんが住んどる。うん、俺が市役所入っとんのは知っとるし……ああ、今から行くんなら、俺から連絡しようか。大丈夫大丈夫、ほんまマジで小豆食わん家だし、絶対色々知っとるよ』


 という広瀬の全面協力の申し出に甘え、美郷はまず田上家を訪ねた。広瀬が一体何と言って美郷を紹介していたのか知らないが、だいぶ盛られたことだけは分かる歓待ぶりに、少々戸惑いながら話を聞く。


 このみも感じていた通り、既に晴人の件は長曽の住人は誰もが知る話であるらしい。にも関わらず、今まで誰一人として事情を知った長曽の人間が特自災害を訪れなかったことにも、新旧住民間でのこの話題の難しさを感じた。


 彼らにしたところで、悪意はない。ただ、「こんなところで出しゃばって、自分が矢面に立つのが嫌だ」という思いから踏み出せなかっただけのようだ。


「――晴人くんは三月生まれの六歳、今年は数え年で七歳ですよね」


 午後五時過ぎ。冬至の迫る早い日没に、辺りは既にとっぷり暮れている。再訪した杉原家のリビングにて、美郷はこのみと向かい合っていた。数え年自体、普段はあまり縁のないものだ。戸惑い半分で自信なさそうに頷いたこのみの背後では、カーペットの上に座り込んだ晴人が一人熱心にタブレットで動画を見ている。


「もうこれは『そういうものだ』と思って頂くしかないんですけど、長曽の地域では昔から小豆は神様の食べ物として、栽培しても口にはしないんだそうです。なんですけど、小学校で先日、子供たちが育てた小豆の餡子で、お餅をつくったみたいですね。長曽の子は、七歳までに小豆を口にしてしまうと、加賀良の山に呼ばれるという伝承がありました。呼ばれた子は一様に、山の『何か』に鬼ごっこを仕掛けられるんだそうです。いつの間にか山に誘われていて、誰かの『もういいかい?』という問いかけを受ける。それに『もういいよ』と答えたらアウト、っていう。……何て言うか、その……大丈夫ですか?」


 蒼褪めた顔で俯くこのみに、慌てて美郷は話を止めた。


「――はい、大丈夫、です」


 テレビや本の向こう側の「お話」として聞くならばともかく、我が身に降りかかる話としては気味悪いことこの上ないだろう。申し訳なさを感じながら、美郷は話を再開した。


「お話を総合して、晴人くんもやはり呼ばれているんだと思います。ですが今までご無事だったのは、彼も鬼ごっこの話は知っていて、今までちゃんと『まだだよ』と答えてたからみたいです」


 先ほど晴人にも確認したのだ。なかなか自分から説明するのは難しかったようだが、彼もこの伝承を受け継いでいたのである。


「今年いっぱい乗り切れれば、来年元旦で晴人くんも数えで八歳です。そうしたら、山からの呼び声は止まると。――ですけど、それまであと二カ月くらい、このままは危ないですから。僕のほうで手を打ちます」


 山に攫われることはなくとも、本人の意思によらず放浪してしまうことは変わらない。途中、どんな事故や事件に巻き込まれるかも分からないのでは、到底「大丈夫」とは言えないだろう。


 手を打つ、と強く言い切った美郷に、このみが顔を上げた。縋るような目が正面から美郷を見る。


 作戦の許可は、既に係長の芳田から得ている。美郷は懐のポケットから、半分に折った懐紙を取り出した。懐紙を広げれば短冊状の和紙と、かっちりと糊付けされた紙縒りで出来た、白い簡素な人形が挟んである。美郷は更に筆ペンを取り出して、短冊をこのみに渡した。


「この紙で、晴人くんの頭を三回、両肩を三回、お腹を三回撫でてきてもらえますか? 難しければ頭だけでも良いんでお願いします」


 おっかなびっくり短冊を受け取ったこのみが、晴人に声をかけて近づく。とても大人しい気性らしい晴人は、何の抵抗もなく体を撫でさせた。ひとつクリアだ、と美郷は掌に乗る大きさの紙縒り人形をいじる。


 紙縒りは、薄い和紙で美郷の髪を丁寧に包み糊をかけたものだ。これを術式に則った形に結ぶことで、美郷は様々な用途の式神を作る。


 この術は鳴神家の直系のみが使える、極めて特殊な呪術だった。見た目もはたらきも一見地味だが、「自律して動き、術者にダメージを返さない『分身』」という、大変都合の良い式神は珍しい。美郷が髪を長く伸ばしているのは、この術を使うためだ。


 戻ってきたこのみから短冊を受け取る。応接セットのローテーブルに短冊を置いて、筆ペンのキャップを抜いた美郷は姿勢をあらためて問うた。


「晴人くんの氏名と生年月日を確認させてください」


 頷いたこのみに教えられるとおり、美郷は短冊に晴人の氏名生年月日を書いてゆく。筆ペンの中の墨は作法に則り美郷が自分で磨ったものだ。和紙も同じく、呪術用に用意しているものだった。


 一息で書き終え、墨が乾くのを待って丁寧に細く畳む。更にそれを、紙縒り人形の胴に結んだ。


「――この人形が、今から晴人くんの代わりに『鬼ごっこ』の相手をします。身代わりですから、この人形に何かあっても晴人くんは無事ですし、もし人形が壊れたら僕に分かるようになっています。人形はこれから僕が山に置いてきますから、杉原さんは晴人くんの様子だけ気を付けておいてあげてください。これでもう、晴人くんが呼ばれることはないとは思いますが、一応年内は意識しておいて頂いて、何かあればすぐにご連絡ください」


 晴人の身代わりとなった紙縒り人形を、再び懐紙に挟んで懐に仕舞う。そっと晴人の方を振り返ったこのみが、躊躇いがちに頷いて頭を下げた。


「はい、ありがとうございます……。これで収まってくれれば本当に……」


 常識に照らして、信用できるような方法ではない。だが、祈るようにこのみはそう両手を組む。


「明日また、何度か確認のお電話をしても大丈夫ですか?」


 数日は美郷も様子を見たい。その問いに「お願いします」と頷いたこのみに頭を下げて、美郷は加賀良の山麓へ向かった。


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