かがら山(三)


 一度庁舎に帰って昼を食べ、美郷は民生委員の児島と連絡を取った。児島は小学生の通学見守りもやっている、六十代半ばの女性だ。低学年の児童は、早ければ午後二時半には下校する。下校時の見守りが始まるまでの時間に児島の話を聞いて、可能ならば下校する晴人の様子も見ようと美郷は考えていた。


 児島の家は、巴小学校とは古い国道を挟んですぐ向かいにある。昔は商店をしていたそうで、元は店舗部分だった土間に置かれたベンチから、下校を見守るのが児島の日課だ。


「こじまのおばちゃん、こんにちは!」


 パステルカラーのランドセルを背負った女の子が、土間に駆け込んで来る。石油ストーブが焚かれた土間には他にテーブルや椅子も置かれており、居座って友達とお喋りに興じる子供や、宿題をする子供もいた。壁には子供たちがくれたという絵がいくつも飾ってあり、中には随分と年季の入ったものもある。


「はい、ゆうこちゃんこんにちは」


 にこにこと児島が、女の子に挨拶を返す。時刻は午後三時前、低学年の子供たちが続々と下校する時間だった。児島の隣に座る美郷を、髪を二つに分けて結んだ女の子がまじまじと見る。おそらく、性別を判断しかねているのだろう。髪型に容姿も相俟ってか、美郷は女性に間違われるとまでは行かないが、どちらか分からない顔をされることは多い。ちなみに名前も男性名とは言い難いので、大抵名乗っても事態は改善しない。


「こんにちは」


 児島に倣い、美郷も笑顔を作って挨拶する。声を掛けられた驚いたのか、女の子は挨拶もそこそこに奥へ逃げてしまった。


「綺麗なお兄さんに見惚れとったんかねえ」


 けらけらと笑う児島に、ははあ。と美郷は曖昧な返事をする。


 美郷は自分の顔が、別格に女性的とも秀麗とも思わない。自己評価は「特徴のないしょうゆ顔」で、実際髪が短い頃は特別何か容姿に言及された記憶もなかった。おそらく単純に「男らしさ」が足りないだけである。


「そうじゃ、ゆうこちゃん、ゆうこちゃん。ちょっとおばちゃんに教えて欲しいんじゃけど」


 言って、児島がゆうこを手招いた。三年生の彼女は、この場所からほんの二軒隣に住んでいるご近所さんらしい。


「ゆうこちゃんは、山の鬼ごっこの話を知っとる?」


 児島が尋ねたのは、子供たちの間だけで伝わるという怪談だ。晴人の異変について、もっぱら子供たちの間ではその怪談が囁かれているらしい。


「えっ、う、ううん……」


 明らかに一度頷きかけてから、ゆうこが慌てて首を振った。後ろめたそうに、その視線が児島を窺い見る。どしたん? と児島が促した。

「せんせいが、自分でウソかホントか分からんウワサをったらいけんって」


 どうやら晴人の話は、子供たちの中ではかなりの噂になったらしい。一歩間違えばいじめに発展すると懸念されたのか、教師からはこの件に関して箝口令が出たようだ。


「何がホンマなんかを確かめるために市役所の人が来とってじゃけ、ゆうこちゃんの知っとることを教えてや。おばちゃん、誰にも言わんけ」


 ね? と子供たちから絶大な信頼を置かれている「こじまのおばちゃん」に頼み込まれ、ゆうこがおずおずと頷いた。


 ――山で鬼ごっこをしてはいけない。あるいは、山の中で聞こえる「もういいかい?」という問いかけに、「もういいよ」と答えてはいけないという。聞こえたら必ず、「まだだよ」と言わなければならない。


 ほんの子供たちの間だけで伝えられる、学校の怪談の親戚のような話だ。この怪談自体は、児島が見守りを始めた頃にはあったという。自身も巴小学校に通ったという児島は、自分が子供の頃に聞いたことはないというので、どこかのタイミングで本やテレビから仕入れられたか、あるいは小学校の統廃合によって「やって来た」怪談なのだろう。


「それで、晴人くんは鬼ごっこをしてしもうたん?」


 たぶん、とゆうこが首を傾げる。すると、「ちがうんよ」と奥のテーブルから男児の声が響いた。更に他にも、その場にいる子供たちが好き勝手に喋り始める。皆、言いたいのを我慢していたのだろう。


「『もういいよ』言うたけえ、ハルトは天狗に呼ばれよるんじゃ」


「けど、『まだだよ』言いよるってたけちゃんが言いよったで」


「鬼ごっこしたらいけんのんじゃけえ、鬼ごっこ始めたらもうダメなんよ」


「でもハルトと鬼ごっこし始めたの誰なん?」


 一気にやかましくなった部屋に、美郷は苦笑いする。ちなみに晴人当人は、学校まで迎えに来たこのみが既に連れて帰っていた。下校時間前に児島の話を聞いていて、晴人本人よりも先に子供たちから情報収集したくなったため、このみの了承を得て美郷はここに残ったのだ。


(そう、問題の切っ掛け……どうして晴人くんが山に呼ばれ始めたのかが分からないんだよな)


 児島は晴人自身からも、誰かと山で「鬼ごっこ」をしているという話を聞いていたが、相手を尋ねても首を振るばかりだったという。おそらく本人も、自分の意思で山に足を向けているのではないのだろうと、話を聞いていて児島は思ったそうだ。


「ねえ、この中で誰か、どうして晴人くんが山の鬼ごっこに誘われたのか知ってる人、いる?」


 軽く手を挙げて、美郷は子供たちに尋ねてみた。軽く顔を見合わせてざわついた子供たちが、ひそひそと声をひそめる。先ほどまでとは違い、子供たちの中での「禁忌」に触れたような気配だった。


「――ハルトは長曽ながそ人じゃけ、小豆を食うちゃいけんかったんよ」


 ひそり、と小さな声が言った。場が静まり返る。長曽人――そう子供たちは、暮らしている地域で人を括り、かつそれは「いけないこと」だと感じ取っている。おそらく、大人たちが子供の聞こえる場所で、同じように声をひそめて言ってきたのだろう。美郷は思わず児島の顔色を見た。しかし、驚きと困惑の表情を浮かべた児島は、「長曽人」の意味を知っている雰囲気ではない。


「小豆って?」


 美郷は子供たちに問いを返した。戸惑いを含んだ声が、ぽつりぽつりと教えてくれる。


「ゆうちゃんが長曽人じゃけ、こないだのお餅は食べんかったって言いよった」


「長曽人が小豆を食うたら、祟られるんじゃって」


「さっちゃんのウチも、さっちゃん持って帰ったお餅、全部捨てたって言いよった」


 なにやら、聞き覚えのある話だ。既視感を追おうとこめかみを指で押さえながら、美郷は子供たちのてんでな話を拾っていく。


「晴人くんは、お餅を食べたん?」


 沈思する美郷に代わり、児島が話を進めてくれる。頷く子供たちに、児島は更に問いを投げた。


「小豆を食べた祟りが、鬼ごっこなん?」


 この辺りは、多少辻褄が合わない。おそらく、本来別々の伝承であったものが、時代を経て混じりあってしまったのだろう。子供たちもその辺りは知らないらしく、首を傾げている。


「児島さん、ありがとうございます。小豆うんぬんの方は、多分帰って調べる方が早いと思います。みんなもありがとう」


 ある地域の人間だけを縛る「禁忌」は、日本各地に存在する。大抵はその土地の氏神に云われがあり、氏子は禁忌を守るという形だ。長曽にあるのは長曽八雲ながそやくも神社と、加賀良かがら山山頂にある加賀良神社の二つだった。ここを中心に調査をすれば、小豆の禁忌も何がしか情報が出て来るはずだ。


 児島に頭を下げ、子供たちに手を振って外に出る。北風に身震いして空を見上げれば、真っ赤に熟れすぼった柿の実が、既に葉を落とした枝にぶらさがっていた。


「そうか、広瀬だ……アイツのお母さん、巴の人なのか?」


 つい先日、似たような話をしてくれた同級生を思い出す。まずは本庁に連絡し、捕まるようなら広瀬にも繋いでもらおう。そう算段して美里は公用車に逃げ込む。


 多少無理をしてでも、応急処置は今日中に済ませてしまいたい。悠長に構えていられる事態ではないだろう。文献などの情報収集は本庁の職員に任せ、美郷は今日中に杉原家を再訪しようと決めた。


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