かがら山(一)
2.
巴の市街地は、
秋、冬支度を始めた巴盆地の山々は赤錆色に変わる。艶やかに紅葉すると言えないのは残念なところだが、それだけ昼夜の寒暖差が控えめということだろう。代わりに秋の深まる季節になると、盆地には別の風物詩が現れる。深い深い霧の海だ。早朝、三つの川で発生した川霧は流れと共に盆地に集まり、盆地を真っ白な海底へと浸す。
正午ちかくなってもまだ霧が晴れない巴市内を、美郷は公用車で移動していた。
巴盆地の中でも北西の端に、
正直なところ、美郷はこの聞き取りに行くのが非常に憂鬱だった。なぜなら、恐らく歓迎してもらえないと容易に予想できたからだ。
何世代も巴に暮らしてきた家の人間ならば、特自災害の存在を知っているかもしれない。だが市外からやってきた若い世代に「市役所にオカルト係がある」などと言って、信じてくれるとは思えない。それも、相手は幼い息子の異変に神経を尖らせている若い母親だ。ここで、公務員を名乗る長髪男が会いに行っても警戒されるだけな気がしてならない。
「ふつう、民生委員さんに相談して、オカルト対策係を紹介されるとは思わないよなあ」
はああ、とステアリングを握る美郷はため息をついた。鄙びた巴町の真ん中を走る国道が、
数分も車を走らせると低い峠を越えて、田園の広い地域が現れる。この辺りが長曽だ。左手には川土手、右手に田園と加賀良山の急峻な斜面を望む地域で、古くからの民家は山際にかじりつくように点在している。
そんな中、圃場の数区画を切り取るように、新興住宅地が国道の左右に造成されていた。今回向かうのはそのひとつだ。暮らすのは元は広島市内に住んでいた夫婦で、子供に良い環境を求めて巴にIターンしたという。
そこそこある話な上に、人口減少の深刻な田舎の自治体は若者の定住を大歓迎しているが、一度特自災害案件が起きてしまうと厄介なパターンだ。地元民と違い、彼らにはその地域の暗黙の了解のような禁忌が共有されていない。今時、新興住宅地へ越してきた人間を掴まえて、地元の年寄りが迷信や因習を強要することなどないからだ。
住宅地の細い道へ車を滑り込ませると、狭い区画に、建て売り住宅の瀟洒な壁が整然と並んでいる。目的の家を見つけた美郷は、庭の前に公用車を停めてサイドブレーキを引いた。
「さあ、行くぞ。何言われてもめげるなよ、おれ」
相手を警戒させるであろうと知りながら、特自災害が美郷を派遣したのにも理由がある。報告をくれた民生委員の話から、緊急対応が必要と判断したのだ。季節は秋の例大祭ラッシュをようやく越したところで、係は次に控える新嘗祭の準備に追われている。どんな案件でも、ある程度その場で一人で片付けられる美郷に、事案が一任されたのだ。
就職半年そこそこで、それだけ信頼を勝ち得たのは誇って良いことだろう。自信を持て、宮澤美郷。己にそう言い聞かせながら、美郷はインターフォンを押した。
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