宮澤美郷(下)


 広島県ともえ市。県北部の真ん中どころに位置する田舎町の市役所には、一風変わった部署がある。総務部危機管理課、特殊自然災害係。通称・特自災害とくじさいがい。彼らの対処する「特殊な」自然災害――それはいわゆる、オカルト事件のことであった。


「宮澤、かしわ餅食べん?」


 端の塗装が剥げかけた「古めかしい」木製引戸を開けて、若い男性職員が特自災害の事務室に入ってくる。時刻は昼のチャイムが庁舎に響き渡ってから五分程度経った頃。事務処理に苦心していた美郷は、その呼びかけに顔を上げた。相手は同期の広瀬孝之、偶然市役所にて再会した高校時代のクラスメートである。


 オンボロな市役所本館の、更に片隅の日当たりの悪いフロアが特自災害の事務室だ。いかにも肩身の狭い日陰者が押し込められている風情の部屋に、広瀬は毎日昼を食べに来ていた。本人曰く、来客が無いので安心していられるらしい。


「いや……おれあんまり甘い物は……どうしたの、ソレ全部かしわ餅?」


 広瀬に視線を向けた美郷は、うわあ、と細い眉を寄せた。首を傾げると、市役所の制服である紺ブレザーの背を、丁寧に梳られまとめられた長い黒髪が滑る。


 市役所の男性職員としては異色の長い髪が似合う彼は、特自災害に今年採用された対オカルト事件の「専門職員」だ。俗に陰陽師などと呼ばれる、神道仏教陰陽道なんでもござれの呪術者である。


 美郷は神道系の大学に通いながら腕を磨き、呪術者として公務員になった珍しい人種だ。特異な経歴と外見で、出身地も巴ではない美郷にとって、広瀬は貴重な部署外の友人だった。


 広瀬は予約購入の仕出し弁当を二人分と、ずっしりと膨らんだ大きめのレジ袋を手にしている。問いかけた美郷に、渋い顔で広瀬が頷いた。


「巴町の市営に住んでるばあちゃんが、作り過ぎたってくれたんだけどな」


 言って、作業ズボンに赤いジャケット姿の広瀬が美郷のデスクに弁当を置く。広瀬は管財課住宅営繕係の所属で、市営住宅の管理業務を行っている。水道管凍結の季節を前に、凍結対策の話をするため回っていた先で、住人にお裾分けを貰ったようだ。


 どうだ見てみろ、と口を広げられたレジ袋を覗き込む。そこには、茶色い山帰来さんきらいの葉に包まれた、餡餅がいくつも詰まっていた。この地方の「かしわ餅」は柏の葉ではなく山帰来の丸い葉で餡餅を包む。山帰来――サルトリイバラの葉は、初夏が一番の採り頃だ。採集して塩漬けにしていた葉で、秋祭りに合わせてこしらえたのだろう。盆正月や秋祭り、この地方では、端午の節句に限らずかしわ餅が作られる。


「巴町の言うたら、炭田さんじゃなァか? 課のみんなで貰うとけや。広瀬君も気に入られたのォ」


 向かいの席から様子を見ていた大柄な男性職員が、豪放に笑いながら言った。巴町にある神社の神主でもある彼は、餅配りの好きな老婆をよく知っているようだ。


「もうこれでも配った後なんスよ。大久保さんもどうぞ」


 正しく売るほどあったらしい。それなら、と袋を受け取った大久保が問答無用で餅を配り始める。それを横目に、部屋の隅に置かれたポットで茶を淹れた美郷は、広瀬が持って来てくれた弁当を開いた。美郷は餡餅の類を、ほぼ全く食べられない。大久保もそれを知っていてさっさと周囲に配ってくれているのだろう。いくつか貰って帰れば、家で療養している大の甘党が喜ぶだろうがどうしたものか。


「宮澤、甘い物駄目だったんか」


 何故かこの部屋にマイカップを置いている広瀬が、我が物顔で茶を淹れて空き机に陣取り尋ねてくる。うん、とひとつ頷くと、自分も弁当を広げた広瀬が天を仰いだ。


「俺は食えなくもないけど、流石にみっつも食えばごっつぁんだからな。実家は母親が絶対にあんこ食わんし。アレだと、母さんの実家は小豆禁止なんだぜ。赤飯も赤米で炊くし」


「禁止? アレルギーとか嫌いとかじゃなくて?」


 ほんの世話ばなしのようにぼやいた広瀬に、美郷は箸を止める。


「そうそう。……そうか、宮澤とかなら知っとるかな。母方の実家の辺りじゃ餡餅は食わんのよ。なんか大昔に、小豆研ぎに供えるための小豆を自分らで食べて祟られたとかって」


 美郷の部署は、調伏だの修祓だの呪詛返しだのと胡散臭い真似を大真面目にやっている。この世界に縁のない人間は奇異の目と共に避けるのが普通だが、広瀬はあまり気にしていないようだ。


「小豆研ぎの祟りかあ。その話は初めて聞いたな」


 小豆研ぎといえば全国で伝承が見られる有名な妖怪だが、大半は川べりや夜の庭で、ショキショキと小豆を研ぐ音を立てて人をおどかすだけだ。数例、小豆や餡餅のやりとりをする話も記憶にあるが、県内での報告は知らなかった。


「まあ、俺が食って何ともないんだから迷信だろうけどな」


「……広瀬って、意外と動じないよね」


 弁当の焼き鮭を齧りながら自己完結する広瀬に、美郷は苦笑をこぼす。再会当初、広瀬は美郷を避けている雰囲気だった。美郷はてっきり、この特殊な部署と自分の髪型を忌避されたのだと思ったのだが、気付けば広瀬は特自災害の部屋に馴染んでいる。


「そうか?」


 伝承・伝説や俗信の類が「迷信」と切って捨てられるような時代だ。その中の住人達を相手に仕事をする美郷らもまた、世間から表立って認められることはない。マスメディアの中では他人を脅して食っているような、詐欺師ばかりが幅を利かせているのも業界の印象を悪くしているだろう。


 ふむ、と箸を止めて何やら考えた広瀬が、「こういう話で、気を悪くされちゃ申し訳ないんだが」と前置きして語り始めた。周囲では、美郷以外の職員も思い思いに昼休憩を取っている。十人あまりの彼らのうち、半数が美郷と同じ「専門職員」だ。


「小豆研ぎの話ってどこにでもあるじゃん? 俺の小学校の近くの川にも『出る』って話があってさ。小五の頃にクラスで検証したことがあるんだよな」


 へえ、と美郷は感心する。学級活動の時間を妖怪探しに使ってくれるとは、思考の柔軟な担任教師だったのだろう。


「担任がなんか許可取って、クラス全員で夜の川を張り込んだんだよ。レコーダーとかも仕掛けてさ」


「凄いね」


 年長組とはいえ、小学生を引き連れて夜の川はだいぶハイリスクだ。聞けばクラスの人数は十人そこそこだったらしいが、それでも何か事故が起これば大問題なのは変わりない。


「今思えばな。妖怪調査だから暗くして待機じゃん? すげえドキドキした覚えがあるんだけど、結局その川の『小豆研ぎ』は、小石が川底を流れる音だったんだよな」


 まず班ごとに分かれて伝承や場所について調べ、いつ、どこで何をすれば小豆研ぎを確認できるか議論する。調査方法が決まれば、それに従って準備と調査。得た情報から後日討議で結論を出す。本気の調査は面白かったと広瀬は笑った。


「レコーダーを何か所か仕掛けて、暗幕で目立たなくしたテントに籠って待つんだよ。出現時間も伝承から予測してさ。俺もそれっぽいかな? って音は聞いたし、レコーダーの音も確認して、皆で納得して結論を出した。まあ正直、なんだ結局真相はこの程度のことか、ってがっかりしたんだけどな」


 小学五年生ともなれば、もうかなり現実が見えている。皆あっさり納得したらしい。なるほど、一度そうやって「きちんと調査した」体験があれば、怪異を闇雲に怖がったり否定する必要はなくなる。良い先生だなあ、と箸を置いて茶を啜りながら美郷は思ったが、どうやらそれで終わりにはならなかったらしい。


「一人だけ、当日風邪引いてて来れなかった奴がいてさ。滅茶苦茶楽しみにしてたから悔しがって、何日か後に一人で川を張り込んだらしいんだよなあ」


「えっ、それは流石に」


「だよなあ。しかもソイツ、例の有名な小豆研ぎの歌聞いたらしくって。大騒ぎしてクラスでも揉めてよ」


 小豆研ごうか、人とって食おか、というアレだ。大変だったよなあ、と広瀬もしみじみ茶を啜る。他の子供たちは全員「小石の音」で納得した後だっただけに、その子供が孤立する寸前まで行ったようだ。


「その時に先生が、『オカルト』っていう単語は『隠れるものごと』って意味だって言ってな。あんだけ頑張って検証して、『ない』って結論を出しても『隠れていただけ』かもしれないって。そんな後出しジャンケンありかよ、って思うけどさ。なんつったらいいのか、俺もよく分からんけど……確かめようとしたら隠れるし、何でもない時に現れるし、あるのかないのか、誰にも確かめられない『存在する、かもしれない』モノだから、俺たちの調査だけで絶対を決めつけちゃいけないし、いつまで経ってもあるともないとも言えないモノのままかもしれないって、なんかそれで皆納得したんだよな。……あれ、今言うとなんか変な話だな」


 うーん、と唸る広瀬に美郷は首を振った。


「いや、凄い先生だと思うよ」


 ――この世には、科学では解明できないものごとがある。そんな定型句で誤魔化してしまうのは簡単だ。だが、その教諭が言いたかったのはそんな、薄っぺらい思考停止ではないだろう。「分からない」と思考停止することと、「在るとも無いともいえる」状態を受け入れることは違うのだ。


 物理的なエネルギーや質量を持つ自然現象ならば、何がしかの結論が出る日は来るだろう。だが、美郷らが相手にするモノはそうではない。物理的、エネルギー的な「本体」を科学的な計器で観測できない――しかし、人は「感じる」ことが出来る。そんな、限りなく妄想に近い「何か」だ。在るかもしれないし、無いかもしれない。それを「客観的に知る」方法が存在しない、そんなモノである。


 妖怪もののけの類は大抵、調査を入れれば消える。霧を掴むようなものなのだろう。そして、「誰も客観的に確かめることは出来ない」状況でばかり現れては人を驚かす、あるいは祟りや恵みといった結果だけを置いてゆく。


「けどさ、宮澤とか連れてったら一発で分かるワケだろ? あの場所に小豆研ぎが居るのかいないのか」


 うーん、それはどうかなあ。と、弁当の蓋を閉じながら美郷は天井を見上げた。壁掛け時計の長針は真下を向いている。昼休憩もあと半分だ。


「――おれ達も、実際に『目で見てる』とか『耳で聞いてる』わけじゃないからさ。四人とか五人とか、視える人間が並んで見ても、同じものを見てる保証はないんだよね。『居る』っていう伝承が残ってて、その川を知ってる人間の誰かが『居るかもしれない』って思ってる間は、その小豆研ぎは『居る』んだと思うよ。でも、全員が忘れてしまったら居なくなる。誰も思い出さないからね。おれ達が確認するにしても、『コレが本物』って姿があるわけじゃないし、うーん何て言ったらいいのか」


 全世界共通、誰が見てもリンゴはリンゴだが、西洋に河童が出た話は聞かないし、エクソシストが天狗を視ることもないだろう。


「なんか哲学だな。我思う故に我在り的な」


「まあ、近いのかなあ……?」


 もうこれ以上、先輩方の前で議論したくないなあと美郷は笑って誤魔化した。存在を否定すれば美郷らの商売は上がったりなのだが、存在を「確認」できないものを在るとは言い切れない。


「その理屈で行けば、祟ると思って小豆を食えば祟られるし、迷信だと思って食えば何も起きないってことになんのか。まあ、そんなもんだよな」


「うん。でも、『やっぱり本当に祟るかもしれない』って人間に思わせてしまう『何か』っていうのが、結局『本体』なんじゃないかなって思う」


 このテのものは、信じる人間には視えて、信じない人間には視えなかったりもする。だが完全に「気のせい」ならば、美郷らの部署は必要ない。人間を「その気にさせる」ような力場があるのは確かなのだ。


「ふーん、なるほどね……あ、どうも」


 昼食を終えた二人のところへ、事務室を一周したらしいかしわ餅の袋が返ってきた。


「あとは係長と辻本君が出とるけえ、あの二人が帰ってきたらまたなんぼうか貰うかもしれんけど」


 大久保が、中身が三分の一程度になった袋を広瀬に返しながら言った。


「いえまあ、そこまでは。じゃあ後は俺で何とか……」


 元々、この部署もあまり甘党はいない。仕方がないと残りの餅を受け取った広瀬に、美郷はねえねえと声をかけた。


「それ、やっぱり半分くらいウチに貰えないかな。おれは食べれないんだけど、怜路が好きだからさ」


 美郷の大家、狩野怜路は大の甘党である。あまり食べさせ過ぎるのも良くないだろうが、霊符湯の口直しに用意しておくのは悪くない。


「……アイツか」


 途端に渋い顔をした広瀬に、美郷はははは、と苦笑いを漏らす。怜路はついひと月ほど前に、大きな騒動を起こしている。その時美郷は広瀬に、酷く取り乱した姿を晒してしまっていた。その関係からか、広瀬の怜路に対する心証はあまりよろしくない。


「そう。今ちょっと寝込んでるから、見舞いだと思って……」


 ますます面白くなさそうな顔で何か言いかけて、すんでで飲み込んだらしい広瀬が溜息交じりに頷いた。


「まあじゃあ、好きなだけ持って帰ってくれ」


 そう言って渡される袋を有り難く受け取って、美郷は中に残る餅を数え始めた。





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