予報外れの雨のち【辻本・芳田過去篇】

使用お題:

  酸いも甘いも

  天気予報が外れた

  「普通逆じゃない?」

  道草

二代目フリーワンライ企画様(#深夜の真剣文字書き60分一本勝負)より

辻本さんと係長の、昔のエピソード。投稿時は標準語でしたが、広島弁バージョンにしてあります(笑)




  ※このお話は、2018年6月10日に書かれたものです。

   まさか一か月後に大規模な豪雨災害が起こるとは思わず…。

   被害に遭われた地域の一刻も早い復興と、

   犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。

   




「少し、道草をして帰りませんか」


 外勤中、助手席で腕を組んでいた先輩職員がそう言った。


「芳田さん?」


 せり上がってくる後悔を押し殺しながらハンドルを握っていた辻本は、驚いて傍らに視線を流す。現場からの帰り道、公用車に乗り込んでから初めての会話だった。


 辻本は市役所の職員で、『特殊自然災害係』という、いわゆる怪異対策係に勤めている。隣の芳田は辻本より一回り上で、まだ二年目の辻本と組んで指導してくれる先輩職員だ。


 修験道系の出身で術のレパートリーの広い芳田と違い、辻本は、実は使える「呪術」の類はほとんどない。多少の特殊技能を持ってはいるが、結局しょせんは「地元枠」なのだと落ち込んでいる真っ最中だ。辻本の家は市内の寺だった。


「橋を渡った先に、親水公園の入り口があるでしょう。あそこに下りて、本庁に帰る前にちょっと一服しましょう」


 辻本は指示されるままに、橋を渡るとウインカーを出し、点滅信号を川沿いへと左折した。河原へおりる細い道が途切れるとアスファルトは砂利に変わる。ガタガタと白い車体を揺らし、公用車は駐車場の片隅にとまった。


 とっとと車を出てしまった小柄な背中を追って、辻本もシートベルトを外す。芳田は近くの自動販売機前でポケットから小銭入れを出していた。


「辻本君のコーヒーはうとります。僕には何がええと辻本君は思いますか?」


 はい、と無糖ブラックの缶コーヒーを渡され、珍妙な質問をされる。


「……普通、逆じゃありませんか?」


 無糖ブラック派なので問題はないが、芳田に何を選べばよいか分からない。じっくり見比べる自販機の商品はどれも似たり寄ったりで、大半が缶コーヒーだ。無糖ブラックが二種類、カフェオレがひとつ、微糖が三つ。たしか芳田もブラックだったと、躊躇いがちに辻本は、自分のものとは別の無糖ブラックを選んだ。


 がしゃん。と派手な音を立てて、自販機の取り出し口に缶コーヒーが落ちる。拾い上げた芳田が、「ありがとうございます」とコーヒーを掲げて口の端を上げた。


 一体なんなのだろう。困惑しながら辻本は、「いえ」と曖昧に答えた。コーヒー代は二本とも芳田の小銭入れから出ている。


 立ち尽くしている辻本を置いて、プルタブを開けた芳田は川べりへと歩き出した。手の中に残った、芳田チョイスの無糖ブラックを持て余しながら、辻本はその背を追う。


 市役所支給のジャンパーに作業ズボン姿の芳田が、整備された芝生を越えて護岸のブロックへ身軽に飛び降りる。山駆けで培った身体能力は伊達ではない。到底真似できない辻本はジャンパーのポケットに缶コーヒーを押し込んで、岸を固めるコンクリートにとりついた。


 悠然と護岸ブロックに腰掛け、缶コーヒーをすする芳田の前には、増水した川の濁流が迫っている。ようやっとその隣にたどり着いた辻本は、おっかなびっくり隣にしゃがんだ。


「――天気予報が外れた。それだけのことです」


 ごうごうと唸る濁流を前に、ぽつりと芳田が言った。


「私らが相手にしとるんは、結局『自然』ですからな。予報が外れることも、対策が間に合わんこともありましょう。反省はせにゃあいけませんが、その度に落ち込んどっては仕事になりません」


 はい、と小さく辻本は絞り出した。自分のミスだ。先日辻本が見回りしたはずの結界が、昨夜の大雨で壊れた。結界が護っていた崖は崩れ、一軒の家が土砂に押し流された。幸い住人は無事だったが、彼らの家は家財道具や思い出の品もろとも赤茶色の土砂の下だ。


 芳田と辻本は一回り、十二歳ちがう。踏んできた場数も、修してきた行も芳田は辻本の比ではない。酸いも甘いも噛み分けた重い言葉に、辻本はただ頷くしかできなかった。


「それに……人間は何か『相手の為に』選ぼうとする時、無意識に『自分が欲しいモノ』を選びます。よほど相手のことを知らん限り、それ以外に判断基準はなァですからな。君は君の判断で、『君が』望むものを与えようとしんさった。間違っちゃあおりませんが、十分でもなかった。そういうことです。人間同士ならば通じる価値観でも、『自然』相手には通じんことがありますからなァ。回避しよう思やあ、相手を知ることです。どんな呪力の強い優秀な術者でも、それをせずに相手できるほど、『自然』いうんは――『他者』は簡単な相手じゃあありません」


 飲み干したコーヒーの缶を揺らしながら、芳田が喋る。辻本は自分のポケットから、ぬるまり始めたコーヒーを取り出した。辻本の好きなブランドは、今芳田が揺らしている方の缶だ。


 辻本は見回りの際、結界を保持するための『鎮め』を間違えた。


 結界は人間の力で維持しているものではない。その場に在るモノたちの力を借りて、自分たちの望む状態を維持するためのシステムが術式だ。力を貸してくれるモノたちへの礼と労いの形式は確立されているが、行うものの理解が伴っていなければ手落ちも出てしまう。


「本当に……すみませんでした」


「過ぎてしもうた事はどうにもなりませんからな。次が起きんよう、どうするかをしっかり考えましょう」


 言って、芳田が立ち上がる。


「辻本君にゃあ出来んこと、難しいことも、辻本君にしか出来んこともウチの仕事にゃああります。それを見極めるんは君の仕事じゃあない、君の上司の仕事です。君に出来ん仕事を振ったんなら、それは係長や課長の責任で君が負うことじゃあない。ただ、出来ることを確実に出来るように、足元を踏み固めていきましょう」


 帰りますか。そう空き缶をポケットに仕舞い込んだ芳田が、軽やかに護岸ブロックを蹴った。帰りは行き以上に、辻本には大変そうだ。再び開けないままの缶コーヒーをポケットに押込んで、辻本はコンクリートにとりつく。


 濁流はごうごうと暴れている。空気はいまだ湿気を含んで重い。


 だが見上げた空にはひと欠片、雲の隙間に青空がのぞいていた。





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巴市本編では「全く動じない人」な辻本さんにも、こんな頃がありました。

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