読書感想文は小学生の敵

白鳥姫は地に堕ちる

愛を囁くトランプ兵




「しらとりひめ……? 白雪姫じゃないん?」


 絵本の表紙をまじまじと見つめ、おかっぱ頭(と呼ぶと怒られる。正確に言えばボブヘア)の少女が首を傾げた。


「あーん……そりゃお前、ハクチョウ姫なんじゃねーか?」


 横合いから覗き込んで訂正してやると、間違いを指摘されて面白くなかったのか、ぷっと頬を膨らませたランドセル女子が憎まれ口を叩く。


「なんよ、りょうちゃん漢字なんて読めたん!?」


「これくらい読めるわアホンダラ」


 ぐりぐりと小さい頭を掻き回して反撃すると、きゃー、と少女は甲高い声を上げた。それに、ひとつ向こうの棚で郷土資料を漁っていたらしい相棒が、細い眉を吊り上げる。


日菜子ひなこちゃん、しーっ。怜路りょうじも何やってんだよ、ここ図書館だぞ」


 お叱りにひとつ肩を竦め、怜路と日菜子は無言で視線を交した。「美郷みさとさんに怒られたじゃんか」と、憧れのお兄さんに叱られた日菜子が、小声で理不尽な怒りをぶつけてくる。「俺のせいかよ」と目顔で反論し、児童書コーナーのベンチから怜路は立ち上がった。目の前の書架に並べられている本は「童話パロディ特集」らしい。日菜子が手に取った本は『白鳥姫は地に堕ちる』、その隣は『愛を囁くトランプ兵』だ。どちらも何やら、対象年齢が高そうな題名なのだが大丈夫だろうか。


 居酒屋勤務のチンピラ山伏・狩野怜路かりのりょうじは現在、その派手なチンピラ風情の格好に不似合な場所――市立図書館の児童書コーナーにいた。隣には、小学五年生のランドセル女子・稲尾日菜子いなおひなこ。一緒に来ている相棒、怜路の家に下宿している同業者・宮澤美郷みやざわみさとには「キャラと場所と組み合わせが酷い」と冷笑された。かく言う美郷も、背の半ばまで髪を伸ばした長髪男子と大概なのだから、三人そろえば更に酷い。


 春休みの宿題で、図書館の本を借りて感想を書くらしい。ちゃんと二親・祖父母も揃っている日菜子の宿題を、なぜ本職拝み屋の怜路が手伝っているかと言えば、日菜子は怜路の弟子だからであった。日菜子は「もののけ憑き」の血筋である。彼女に憑くもののけの話は、「稲生物の怪録」として全国的にも有名な伝説となっていた。


 弟子と言えば聞こえが良いような気もするが、要するに長期休み中の託児をされているようなものだ。多少、修行のようなことや、心得を教えたりもするが。

「で。その本にするのか? 小五で絵本はアリなのかよ。俺は良くわかんねーけど」


 怜路には、「小学生」だった記憶が存在しない。日菜子の年頃には既に、師でもあった養父と山野を歩いていた。薄付きサングラスのブリッジを押し上げ、腰に手を当てて怜路は尋ねた。手に触れたウォレットチェーンがじゃらりと鳴る。その「いかにも」な格好に全く臆す様子なく、うん、と日菜子が頷いた。


「これにしてみる! 別に本の種類とか指定されとらんし、長い字ばっかりの本はたいぎいもん」


 広島弁を炸裂させて、意気揚々と本を抱えた日菜子が立ち上がった。ちなみに「たいぎい」とは、「億劫・面倒・気怠い・気が進まない・嫌」辺りの意味合いを含む便利な広島弁だ。ははあ、と適当に同意して、怜路はそれじゃあ、と美郷の方へ向かう。


「おーい、姫君の目的は済んだみたいだぜ。お前はどうする」


 郷土資料コーナーでは、傍らにうずたかく本を積み上げた美郷が神社名鑑を読み耽っている。聞こえていなさそうなので肩を軽くつついて、再びおおい、と声をかけた。


「えっ、ああ。おれはもう少し色々見たいから、先に帰ってていいよ。この後どうするの?」


「あー、ファミレスでヒヨコの宿題に付き合おうかと」


 時刻は三時に近い。ドリンクバーとおやつを頼んで、約束の五時まで粘るつもりだ。


「じゃあ、おれもひと段落したら行くよ」


 ひらひらと手を振られ、あっさり相棒に見放された怜路は、やれやれと首筋を掻いて日菜子のもとへ向かった。パワフルな子供の相手は疲れる。







「で。最終的にどういう話なんだそれは」


 ドリンクバーで淹れて来たコーヒをすすり、怜路は隣に水を向けた。


「んー…………よく分からん!」


 ミニパフェをぱくついていた日菜子が断言する。「なんだそりゃ」とズッコケた怜路に、日菜子が絵本を渡してきた。


「怜ちゃん分かる? ウチ全然分からんかった! これやめとく!」


 まことに潔いお言葉と共に絵本を受け取り、怜路はストローを銜えたままページをめくる。多分、美郷が見たら怒るだろう。そもそも、図書館の本を汚れそうな場所に持って来る時点で本当は感心しないはずだ。


「はくちょう姫は元々白鳥で、ヴェールを男に盗まれたせいで白鳥に戻れんくなったのに、なんで男と結婚するん? しかも結婚しとったのに、ヴェールを見つけたらすぐに帰ろうとして、追いかけて来た男を崖から突き落として殺したのに、なんで男が死んだら泣いて自分のヴェールをかけて、男を白鳥にしてしまうん? これ、もうはくちょう姫は白鳥に戻れんのんじゃろ? 意味わからん」


 ご不満げな解説を流し聞きながら絵本を読み終えた怜路は、ははあ、と曖昧に頷いた。なるほど、これは小学生にはちと厳しいだろう。男女の心の機微など、流石にまだ分かるまい。


「というかコレは羽衣伝説とは違うんか」


 どこかにもあるような話だ。首を捻る怜路の隣で、よし、と日菜子が立上がる。


「これやめて、あのトランプ兵にする!」


「いや、絶対それも面倒臭ェやつだろうからやめとけ。つーか、普通こういうのって推薦図書あるモンなんじゃねーのかよ。先生が読めっつったやつテキトーに読んどけよ」


 面倒になって嘆いた怜路の提案を、鬼の形相で振り向いた日菜子が却下した。


「駄目! 絶対無理!!」


「なんでよ」


「だって課題図書、『稲生物の怪録』なんじゃもん!!!」


 もわわっ。エキサイトする日菜子の足元から、何やら泡のようなものが立ちのぼる。小さな目玉をキョロキョロさせる半透明の泡たちがボックス席の足元を漂い始め、怜路は慌てて日菜子を座らせた。


「わかった、わかった。とりあえずソレ仕舞え!」


 足元を指差して言う怜路に、んん? と眉を上げた日菜子が再び騒ぐ。


「もー! やっぱり勝手に出て来るんじゃんかー! 課題出てから『もののけ』みんなソワソワしとってイヤなんよ!」


 まあ、そらイヤだわな。拳を握って力説する日菜子に、やれやれと怜路は肩を落とした。




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