徹夜明け


 ああ、夜が明ける。カーテンの外側が薄明るい。部屋の明かりを消した美郷は、それに溜め息を吐いた。時刻は午前五時を少し回った頃。普段の起床時間まであと二時間もない。徹夜明けでクラクラする頭を押さえた美郷は、ぞんざいに敷いた布団の上に転がった。


 何でこんなことになったのか。


 今日がまだド平日である事と、徹夜の経緯を思い出した美郷は、げんなりと目を閉じた。






「丑の刻参り?」


 仕事帰りの人々で賑わう小狭い居酒屋の店内に、鉄板をヘラが叩く音と、食材の焼ける音が小気味よく響く。辺りに充満する香ばしい匂いに、きゅう、と美郷の腹が音を立てて、空であることを主張した。それをお冷で宥めた美郷は、眼前でヘラを操る大家兼友人兼同居人の発した単語を反芻する。


 何ともレトロな。というのが最初の感想だ。

 ホルモンの山を手際良く転がしながら、友人――怜路が頷く。


「帰りの国道沿いにさあ、大イチョウあんじゃん。あの神社。つーか、あの樹? 夜中にあの前通ると、コーン、コーンって釘打つ音が聞こえて、見れば大イチョウの根元辺りがぼんやりと薄明るくてだな……」


 いかにもおどろおどろしい雰囲気を作ろうと、声を低めた怜路が語る。その樣子は中々堂に入ったものだが、如何せん周囲が騒々しいため台無しだった。


「いや、ていうかさ、一体誰がそんな時間に外出歩いてるんだよ」


 こんな田舎で、午前二時を過ぎてから屋外、しかも人家も少ない国道沿いを歩く奴も十分怪しい。そう呆れた美郷に、怜路はあっさりと答えた。


「え、おれ」


 何でも、たまたま明かりが帰宅中に目に入り、停車してみたら音が聞こえたらしい。


「で。確かめたの? 本当に丑の刻参りか」


 差し出されたキャベツとモヤシのホルモン炒めをもぐもぐやりながら美郷は尋ねる。


「いいや、まだ。だから今日さ、付き合えよ」


 ニカッと笑って怜路が言った。美郷はそれに、きつく眉を寄せて壁の時計を見上げる。時刻は、二十時前。ちなみに火曜日。即座に断ろうとした美郷だったが、表情からそれを気取ったらしい怜路に先手を打たれた。


「先月の家賃、まだ貰ってないんですけどォ」


 ニヤリ、と笑みに嫌らしさを上乗せした大家に反論できず、ぐっと美郷の喉が鳴る。


「給料日まであと十日ぐらいだっけ?」


 今日の夕飯代もおまけしてやんよー、と歌われ、渋々美郷は頷いた。






 時刻は午前二時半過ぎ。目的地――と言っても帰宅の道なりだが――に到着すると、二人はそれぞれ車を道路脇に寄せて外に出た。中天には見事な天の川。しんと冷えた夜更けの空気に、美郷は一つ身震いして参道を上り始める。


 隣に並んだ怜路が軽く顎をしゃくって、葉を黄金に染めた件の大イチョウを示した。確かにほの明るく根元が光っている。樹を穿つような高い音が、か細く辺りに響いていた。


 足音を忍ばせ石段を上がり、二人は急傾斜のそれに隠れて境内の様子をうかがう。


「――何か見える?」


 自分よりも伸び上がってイチョウの根元を見ている怜路をつついて、美郷は尋ねた。すると、ああ、ともうう、ともつかないうわの空の返事がかえる。その様子に美郷も、身を乗り出して怜路の視線を追った。その先には。






 

 深夜とは思えぬ、野良着の集団がいた。


 手拭いを被り草をむしる女、クワを担いだ老人、そして、御神木へと斧を振りかぶる男。皆、無言だ。木を伐る音だけが不気味に響く。


「ちょっ!! ――うわぁ!?」


 慌てて樵を止めに出ようとした美郷の足を、怜路が引っ掴んだ。ガツン、と痛々しい音を立てて美郷がこける。


「よさく」


「っテテ……はぁ?」


「ホレ、あそこ。看板」


 思い切り膝を打った美郷の、非難がましい視線に半笑いを返し、怜路が指を差した。「看板?」と呟いて美郷が目を遣れば、なるほど、樵の足元には立て札が。


「…………与作?」


 きゅっと眉根を寄せて美郷はそれを読む。


「秋の大祭名物、カカシコンテスト……だと」


「か、カカシぃっ!?」


 案山子だった。与作と言えば、樵の代名詞。


 会場だからったってフツー、御神木でやるかねェ。妙に感心の混じる溜め息を怜路が吐いた、午前三時半。良く見ればラジカセとライトが白々しい。明かりと音源はせめて切っとけ、エコだエコ。痛む膝をさすって、美郷は星空を仰いだ。




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