駐車場



 その週末、美郷は久しぶりに暗くなるまで働いた。日の長いこの季節、ライトを点けて走行することはそう無い。濃緑と急カーブで見通しの悪い道を、慣れた様子で美郷は運転する。言っては悪いが、この先に人家があるとは思えぬ程山深い、夜走るのは心細い道だ。


 カーブで曲がり、上げたライトの先に、黒い影が立ち塞がった。


 何か居る。


 一拍遅れて「止まれ」と脳が命令した。そこから、足先、ブレーキを介して、車が止まるまでは数十メートル。間に合わない。


 どんっ! とソレに激突する一瞬前に、美郷は相手の正体を悟った。


「っぅわっ!! シカぁっ!?」


 立派な角の牡鹿が、真正面に立っていた。






「んで、お前の薄ーい感じの軽は見事大破。まあ、お前自身は全然無事だった辺り、最近の車の安全技術ってのは大したモンだねェ」


 呆然自失の美郷の隣で、のんびりと怜路が顎をさする。彼らの前には、無残にボンネットのへしゃげた軽自動車が置かれていた。


「廃車だ……」


 世にも情けない顔で美郷は呟く。一応取った修理の見積額は、美郷がこの車を買った値段より大分高かった。そして、車両保険には入っていない。ちなみに鹿は元気に逃げた。


「まー、元の値が値だしなァ」


 美郷は貧乏である。一応公務員だが、主に術者としての必要経費で、格安の家賃すら安定して払えていない。対して、車には拘るらしい怜路が、ご自慢の愛車を指して笑った。


「ま、暫くは送迎してやんぜ、お客さん」






 翌月曜日、美郷は今までに無い位早い時間に職員駐車場で車を降りた。夜間勤務の怜路の都合である。のろのろと車も殆ど無い駐車場を横切っていると、一台の車に目が止まる。この車、毎日ここで見かけていたが、この時間でもあるという事は放置車両だろうか。思えば、全く位置が動いていない気がする。


 この駐車場は厳しい管理が無いので、一般人が勝手に使う事がある。感心しない、と車を覗いた美郷に、背後から男の声がかかった。


「宮澤君、おはよう。どしたん、早いねえ」


 振り向くと、同じ係で一年、美郷の指導に当たってくれた先輩職員の辻本が立っている。


「辻本さん。おはようごさいます。実は……」


 自虐気味に騒動を語ると、明るく厭味なく笑った辻本が、美郷の正面を見遣った。


「その車、ずーっとそこにあるんよ。持ち主は失踪中でね。それに……宮澤君なら分かると思うけど、どうしても動かせんのよ」


 言われて正面に向き直り、美郷は意識を研いで車の気配を探った。


 九十九神、というモノがいる。九十九年大切に使われた道具が霊を宿した妖の類だ。しかし最近では、随分短期間で霊を宿すものが増えている。これは猫も杓子も電子制御のご時世ゆえで、マイコン内蔵の車や家電は、あっという間に己の意思を持つようになるのだ。


「随分意固地というか、健気というか……」


 この車は、持ち主を待っていた。まるで忠犬ハチ公のように、帰らぬ主を、ここで。


「何か約束があるみたいですね」


 頑なな意志を示す車にそっと触れる。そこから朧げに、去り際の主が残した「待っていてくれ」という惜別の思いが伝わってきた。大切に使われた、正しく愛車だったのだろう。


「おー、さすが宮澤君。説得できんかね」


 後ろから覗く辻本が感心の声を上げる。


「動かせたらソレ、貰えるかもしれんよ?」


 そう唆され、美郷はついその気になった。これも特自災害案件だろう。だが、そう気張って手繰り寄せた車の主の消息は、大都市の片隅で途切れていた。






「……っまァ、持ち主の形見も見付かって? 無事撤去つーか、入手っつーか出来たんだし良いんじゃね? つか、お前ソレっ……!」


 途中、昔の伝手を使い手伝ってくれた怜路が、戦利品である新しい相棒に乗って帰った美郷を見て爆笑悶絶した。


「ソレ、軽トラじゃねーか!!」


 正しく農家の友、といった風情の白い軽トラック。指を差して笑われた美郷は、ウインドウを下げて食って掛かった。


「文句あるか! エアコンもラジオも付いてて四駆だぞ! 座席倒せない位なんだ!!」


 一家に一台あると意外と便利。多少ケツが痛くなるくらい我慢する価値はある。そして何より、性格が良い。美郷はこの軽トラに、すっかり情が移っていた。


「今回はちゃんと保険入ったんだ。今度はおれと、色んな所に行こうな」


 よしよし、と窓枠を撫でる美郷に呆れた視線を寄越し、怜路がやれやれと伸びをした。


「今度鹿とか猪とか撥ねたら、その荷台に積んで帰りな。捌いて焼肉にしてやんよ」



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