喧嘩は大体くだらない
使用お題:
コイにコイ(コイは変換可能 )
指を掛けたネクタイの先
解いたリボン、現れた白
もって三日の絶交
ぶふぉっ! 湯呑の中身を口に含んだ瞬間、怜路はそれを噴き出した。場所は、応接間としている自宅の一室。客人を前にしての大失態である。
「げっほ、ごっほ……し、つれい……けほっ。ちょっと待ってくれ」
口元を手で覆いつつ、とりあえず何か拭く物を、と視線を彷徨わせれば、スッと横から布巾が渡される。咄嗟にそれで口元と濡れた服を拭い、怜路はギロリと横を――布巾を渡してきた相手を睨んだ。
(テェんめェ……! なんつーことしやがるんだこの馬鹿野郎!!)
若い女性を目の前に怒鳴り散らすのも憚られ、怜路は視線だけで相手を非難する。対する相手は、つんと取り澄ました能面ヅラで端座し、怜路の放った布巾と死ぬほど濃くて熱い茶の入った湯呑を回収している。
端正に整った白い面立ちと、真っ直ぐで艶やかな黒髪。静かに座っていれば美貌の貴公子といった風采の居候(正確に言えば下宿人)が、故意に濃い(そして熱い)茶を淹れて、怜路に恥をかかせた犯人だ。怜路とは目線ひとつ合わせないまま、無言で客人にだけ一礼して去る背中を恨みの視線で見送って、怜路は改めて居住まいを正した。
「えーと、それで? 何の話だったっけか。アンタの部屋に夜な夜な女の霊が出るって言ったよな――」
狩野怜路、二十四歳。居酒屋でアルバイトをしつつ拝み屋業を営む彼は現在、ほぼ同居している下宿人と大喧嘩の最中だった。
事の発端は馬鹿馬鹿しいくらい些細なことだ。怜路が相手……美郷(みさと)という名の下宿人を、くだらないネタでからかったのが始まりである。
関係は大家と下宿人なのだが、歳も近く同業者、風呂トイレは共用という間柄なので、普段は親しく食事を共にしたりする。しかしおととい、酔ってからかった言葉が大変お気に召さなかったらしく、昨日辺りから口もきいてくれない。今日は元々、二人で女性の相談を聞く筈だったのだがこの有様だ。予定を反故にせず来客準備をしてくれている姿に、やっと機嫌が直ったかと思った己が甘かった、と怜路は心の中で悔やむ。
何とか体裁を取り繕って女性の話を聞き終えた怜路は、女性を送り出してから下宿人の住む離れへ向かった。多少荒く足音を立てながら廊下を進み、鍵など掛けようもない和室の引き戸を思い切り引いた。
ガタン! と派手な音がして戸が開けられるのを拒む。つっかえ棒だろう。
「オイコラ美郷てめぇ! 大概にしろよイジケ虫!! 陰湿なコトしてくれるじゃねーか!」
ガシャガシャと木枠に擦りガラスの引き戸を叩き、怜路は声を張り上げた。しかし戸の向こうから反応はなく、シンと静まり返っている。
普段虫も殺さぬような顔で、温和な笑みを常時浮かべているタイプだが、わりと怜路には遠慮がない。だめだこりゃ、と諦めて、肩を落とした怜路は踵を返した。金色になるまで脱色した頭を掻き回し、はあぁ、と大きく溜息を吐く。知ってはいたが割と面倒臭いタイプだ。噛み付いて来る間はなんとでもなるが、ああしてだんまりをされると手の出しようはない。
まあ、何とかなるだろう。
ゴキリと首を鳴らして凝った肩を回し、怜路は自分の部屋へ戻った。正直かなり酔っていたので、一体自分が何を言って美郷をああまで怒らせたのか覚えていない。本当にシリアスな内容ならば、改めてド正面から反論なり抗議なりしてくる奴なので本当にくだらない話だろう。ひと恥かかせて溜飲を下げたならそれでもいい。
もって三日の絶交だ。喧嘩をした場合、大抵ヘソを曲げて面倒なのは美郷の方だが、経験上、大して長期間でもない。ささやかな(?)反撃も来たことだし明日くらいには機嫌を直しているはずだ。
日が落ちて薄暗い自室に入り、ペンダント型の蛍光灯を点ける。散らかしっぱなしのコタツの上に、何か見慣れぬものが置いてあった。
売り物の靴が入っているような長方形の箱に、乱雑にリボンが巻いてある。別段誕生日が近いわけでもないが、何事かと怜路は箱に近づいた。手に取れば、リボンは美郷の使っているネクタイだ。どうも嫌な予感はするな、と思いながら、指に掛けたネクタイの先をいじってみる。
「ええい、何が入っとるんじゃい!」
思い切り良く解いたリボン、現れた白が箱を飛び出して怜路に襲いかかった。
「ぐぇっ! 白太さん!!?」
純白の蛇が怜路の首に絡みつく。美郷が体内に飼っている蛇の妖だった。名前は白太(しろた)さん。あまりにもネーミングセンスがない。
(あー、思い出した。このネーミングセンスの悪さについて延々と語ったんだわ……)
ぎゅう、と首を絞め上げられながら、一昨日の晩を思い出す。この白蛇は、美郷にとって分身にも近い式神だ。美郷はこの蛇に真名を与え、使役している。白蛇の妖魔を身の内に飼い、使役する美青年霊能師。凄く様になる絵面なのに、名前が「しろたさん」じゃあんまりだ。そう滔々と語ったことを思い出した。
「あー……スマンスマン。この名前気に入ってるのね、別にイイと思うよ俺は……ぐぇっ」
ぎゅう。最後のひと抗議、とばかりに締め上げてきた蛇に降参ポーズで畳に転がって、怜路はやれやれと目を閉じた。
下宿人が怜路の胸の上でとぐろを巻く白蛇を回収しにくるまで、あと三分。
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