常の無き空
フリーワンライ企画参加作
お題:「夜明け」「東雲色の空」「浮いている」
視点は美郷。
『常の無き空』
どんなに昏い夜にも、必ず夜明けはやって来る。
そんな――言ってしまえばベタなお約束ワードに「朝が来たら一体何だって言うんだ!」などと食って掛かっていたのは誰だったか。高校時代の友人だったような気がする。
「明けたなー」
隣でタバコをふかしていた友人の言葉に、おれはおー、とおざなりに返事をする。昼夜途絶えぬ潮騒の音と、遠く響く海鳥の声。耳は絶えずそれらを拾っているのに、酷く静寂を感じる時間だった。
「そろそろ釣れないかなぁ」
言いながら、リールをきりきりと回す。微かな水音をたてて上がって来るのは一連の疑似餌針と重り籠。籠の中に餌のアミを詰めて、疑似餌に獲物がかかるのを待つのだ。
要するにおれ達は今、海釣りをしていた。
「朝マズメに釣れなきゃ、夕(ゆう)マズメまで粘るだけだ」
夜明け頃、夕暮れ頃の薄暗い時間帯は海釣りではゴールデンタイムだ。これで釣れなければ話にならない。午前三時に叩き起こされて、中国山地のど真ん中から日本海まで、二時間も引きずって来られた甲斐もない。だが夕マズメまでと言えばどれだけあるのか。
「マジですか。長っ!」
つーれーろー、と呟きながら籠にアミを詰め、おれは竿を振って仕掛けを投げた。数秒後、遠くでボチャン! と着水音がする。狙うはアジだ。フライ、一夜干し、南蛮漬けと、それなりに食べ方のレパートリーがあって釣りやすい。ファミリー向けの獲物だ。……と言って、おれ達は独身の野郎二人で釣っているのだが。
「東雲色ーってのは、あの辺の色か?」
相棒の男が、水平線と接する淡い紅色の空を指して言った。突然何事だ。
「…………違うけど」
「何か言いたそうだなオイ。俺だってそういう文学表現に興味持つ事もあんだよ!」
うそつけ、と半眼で返せば、どうやら職場にしている居酒屋で常連客にからかわれたらしい。ちなみにおれは田舎の地方公務員、隣の男は居酒屋でアルバイトをしているフリーターだ。
「東の雲って書いてしののめ。日が昇る方の空のオレンジ色の事だよ」
言ってやれば、へー、と気の無いいらえが返る。お前が聞いたんじゃないのか。
「ちなみに『しののめ』ってのは篠の目、古代の住居の窓には篠竹の格子で出来てたから、そっから朝日が差し込むってのが転じて、夜明けそのものを『しののめ』って呼ぶようになったんだと」
「オメーはホント、無駄に詳しいな」
むきになって語ってやれば、呆れた様子でそう言われた。浮きはぷかぷか波に揺られて浮いているまま、ピクリとも沈まない。
「おれはお前みたいな野生児じゃないんだよ。お育ちです」
「へーへ、箱入りお坊ちゃまな」
箱入りというには流浪の身だ。本当に箱に入れて貰っていれば、この野生児の家に下宿して家賃を滞納した挙句、延滞料代わりだなどと釣りに付き合わされて睡眠時間を削ったりしていない。おれの実家と言うか、父親の家はそれはもう由緒正しい家柄なのだが、残念、俺は外腹である。それなりの教育を受けさせては貰ったが、帰る家は無い。
「明けそめし、東雲の空浮く雲に、触れぬわが身の、有明の月……なんつって」
「日本語でおk」
「酷いなオイ!!」
解説もさせない気だコイツ。などと馬鹿な意地を張り合いながら、眺める竿先は揺れもせず。ただ時間は穏やかに過ぎる。
確かにこの世の夜が明けようが明けまいが、知った事では無いと思う時だってある。だが結局、そうやっていじけていても何をしていても時間は経つし夜は明ける。その世界を無情と恨むか、その世界の無常さに希望を持つかは本人次第なのかもしれない。ただ今のおれは、その世界のつれなさが嫌いではない。
つまりまあ、おれは現状にそこそこ満足している。たとえゴールデンウイークにする事が、野郎二人で釣り、しかも丸坊主だとしても。
「釣れねェなあ……」
相棒が一つ、ぷかりと毒煙を吹いて言った。
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