ウチの大家はよく柿食う大家
「秋といったら何だと思うよ、美郷」
週末の昼下がり。家事以外さしたる用事もなく、自室で文庫本片手に過ごしていた美郷の元に、ふらりとやってきた大家が脈絡もなく訊いた。
「えっ……紅葉? なに、急に」
今昔物語集の対訳本から顔を上げ、美郷は眉根を寄せた。見れば大家のチンピラ山伏殿は、普段と多少趣の異なる姿である。彼の通常ファッションはいわゆるストリート系の、やんちゃで金のかかっていそうな服装なのだが、本日はそれより多少シンプルだ。具体的に言えば丈や身幅が適正で普段よりシルエットがすっきりしている。嫌な予感がした。
「残念ながら答えはノーだ。秋といえば! 柿だ!!」
猿蟹合戦? と反射的に思ったのは、説話集を読んでいたからだろう。
「理由は」
収穫の秋とは言うが、あえて柿に限定する理由がわからない。
「ウチの裏になってるからだ!」
確かに田舎の古い農家の例に漏れず、家の裏手には柿の木が朱色の実をならせている。だからなんだ、と言い返すのも馬鹿馬鹿しい……と思ったのは、大家が商売道具の錫杖(しゃくじょう)代わりに、高枝切りバサミを持っていたからだ。つまり収穫を手伝えということだろう。大家殿の格好はいわゆる「野良着」だった。
「……柿、お好きでしたっけ? というかアレ渋柿でしょ?」
渋々と文庫本を閉じ、美郷は座り直す。無駄な抵抗と知りつつ投げた質問に、ふんぞり返って大家が答えた。
「おうよ。俺ァ干し柿が好きなんだ!」
作るのか。まあ作れるよなこの男なら。狩野怜路、二十ウン歳。職業・チンピラ山伏兼鉄板焼きの兄ちゃん。山歩きの達人でいくらでも狩猟採集・自給自足生活ができそうなサバイバル能力の高い人物だ。
「一人でいくらでも収穫できるじゃん……おれのお役目って何?」
「あの木、背ェ高い上に足場悪いトコに生えてるじゃん? 俺が木の上から実の付いた小枝切って落とすから、下でキャッチしてくれや」
「えぇー……」
やっぱ猿蟹合戦だ。絶対ぶつけられる。いや、単に自分が上手くキャッチできる自信がないだけだが。
「家賃」
渋っていると、重々しく一言だけ降ってきた。
「最近は滞納してません!」
「滞納してないっつーのは翌月分を先払いした状態を言うんだよ」
どうしてもひと月分、追い付けない。反論できない美郷は嫌々立ち上がった。
狩野家の裏手には小さな裏庭と土蔵へ続く小道、背にする山から水を引いた池がある。裏庭の奥はすぐ山が迫っており、急斜面の途中に柿などの庭木も植えられていた。ろくに剪定もされず、自由に枝を伸ばした柿は背が高い。そのうえ南側を下にする急斜面に生えていれば、実のなる枝は大変地面から遠くなる。
一体どこに立って実を受け止めればいいんだ、と覚束ない足場を気にしながら美郷は柿の木を見上げる。器用に太い枝に登った怜路が、高枝切りを実へと伸ばしていた。
「柿の枝は折れやすいから危ないとか言わないっけ」
「縦に裂けやすいんだよ。登るのにコツがあんの」
ホラ、落とすぞー。声と共に、バチンと小枝を切る音が響く。切った枝は落ちてこず、枝切りバサミにぶら下がっていた。切ると同時に挟む機能を持つ高枝切りらしい。どこでいつ買ったのか。
「ホイ、パス」
美郷の真上まで実を移動させ、怜路がハサミを開く。落下してくる橙色の実を、美郷は必死でキャッチした。ずしりと重い、紡錘形の柿が両手の中に収まる。干し柿用を狙っているので、完熟はしていない。というか、完熟した実を落とすと潰れて大参事になる。
「ナイスキャッチ。次」
どんどん次の実を落とそうとする怜路を制しながら、小枝を落とした柿の実をレジ袋に詰める。へたの部分は小枝をT字に残すのだそうだ。実を縄に吊るすとき使うらしい。
実に上手くハサミを繰って、怜路が柿を収穫していく。その様子は大変楽しそうなのだが、ずっと上を向いている方の身にもなってほしい。いい加減首が痛くなってきた美郷は抗議の声を上げた。
「ねー、いい加減もう止めにしようよ。首痛いし疲れたんだけど」
収穫というのは実に楽しい作業だ。あの「実をもぐ」という行為の楽しさは理屈ではない。だが、下で受け止めるだけの方はそろそろ飽きている。
「ンだぁ? まだまだ実は残ってるぜ」
「もういいじゃん、コレだけあれば十分だろ。お前が一人で食べるんだから」
もう、スーパーのレジ袋が二つ一杯になっている。甘いものが苦手な美郷は食べられない。
「ばっか、干し柿は冷凍すりゃいくらでも保存が効くし、俺は幾らでも食える!」
怜路はかなりの甘党だ。それにしたところで、一体この量の柿、誰が皮を剥いて吊るすのか。やはり美郷も手伝わされるのだろう。美郷は一回に一個食べるのが精一杯なので理不尽さばかり感じる。家賃滞納の罰と言えばそうだが、この程度で一か月分家賃をチャラにしてくれるはずもないのだ。
「……おう、拗ねた顔しやがって。お前も登るか?」
あからさまに面白くなさそうな顔をしていたらしく、ニヤニヤ笑った怜路が傍らの幹を叩いた。二人も登って大丈夫なのか、二人登ったら実をキャッチする人間はいなくなる。色々思いはしたが、美郷は無言で幹に両手を掛けた。
掴む枝、足を掛ける場所、丁寧に指示されながら柿の木へ登る。背が高い、と言ったところで、幹の高さはニメートル半ば程度だ。二か所程度、幹のウロや枝に足を引っ掛ければ、二股に分かれた大きな枝の間に腰を下ろすことができた。
「まあ、思ったよりは器用に登って来たな」
「ご指導ありがとうございます」
狭い木の上、二人並んで母屋の屋根と、その向こうに広がる田園風景を見下ろす。いつの間にやらだいぶん陽も傾いて、逆光の枝は見えづらい。落ち始めた葉と丸い実をつけた枝々を額縁に、刈田や冬野菜の植わる畑、朱い石州瓦の民家が長閑な世界を描いていた。
「もう柿見えないじゃん」
高枝切りを受け取ったものの、目を射る夕日が邪魔をして実の位置など分からない。目を細めて何度か実の付く小枝を狙ったものの、かすりもしないので美郷は早々に諦めた。
「俺はグラサンあるからヘーキヘーキ」
そんなに色の濃いサングラスではないくせに、美郷から高枝切りを取り上げた怜路は上手く小枝を切ってみせる。実が傷付かないようそっと草むらの中へと落とし、怜路は得意そうに笑った。
「……これ、夜に皮剥き?」
「当然」
「何個あんのさ……」
「こんくれー無ェと吊るすのもつまんねーだろ」
ザ・田舎の家の秋。軒下に暖簾のように連なる干し柿が見られそうな量である。
「よくこんな甘ったるいの食べれるよなぁ」
生の柿はともかく、干した柿はただひたすらに甘ったるい。甘いもの全般得意ではないが、干し柿、餡子など塩味も酸味苦味も油脂もない、ひたすら甘い食べ物は特に苦手だ。和菓子などの美しさは好きなのだが、抹茶と一緒でなければ到底ひとつ完食できない。
「馬鹿野郎。甘いモノは美味いんだよ。いや違ェな……『美味いモノは甘い』んだ。人間の体に必要なモノは甘く感じるように出来てンだから、甘いイコール美味いで正しい」
随分な甘味原理主義者である。えぇーと反論込めて胡乱な目で見遣った美郷に、「反論は認めねえ」と怜路がふんぞり返った。
「甘味の正義を知らねぇとはオメーもまだまだ修行不足だな。入峯して十日以上マトモな飲み食いせずに山ん中歩いてみろ、もう口に入れるモン全部が甘いぜ」
うんうん、草の根っこも甘かった。しみじみと語る怜路に、反論できず美郷は沈黙する。甘味道の修行などという意味ではなく、正真正銘の山伏修行の成果らしい。この男は小学生の年頃から「天狗」に連れられて山歩きをして育ったという。そこまで極限の飢餓を経験したことのない美郷には分からない世界だ。
「それに、干し柿は上手いこと塩味のモンと組み合わせりゃ酒に合うんだよ。披露してやるからキリキリ手伝え」
ハサミが届く範囲の柿をあらかた穫り終えた怜路が、身軽に木から飛び降りる。もちろん真似などできない美郷は、幹にしがみついてどうにか着地した。酒のアテに釣られたわけではないが、黙って怜路に従うことにする。
最近このパターンが多いな、と思ったのは、先日栗剥きを手伝わされたからだ。もちろん栗飯は美味しく頂いた。
「栗、柿ときたらさー、松茸とか探しに上がらないわけ?」
この男ならキノコ採りなど朝飯前だろう。
「あー、そろそろかもなぁ。次に雨が降ったら上がってみるか。マッタケなくても他になんか生えてるだろ」
だいぶん松喰いにやられたが、この辺りの山には多少赤松林が残っている。一応、近所に松茸買い取り市が出ていた。
「ついて行っていい?」
「いいぜ。毒キノコは拾うなよ」
がさがさとレジ袋を鳴らしながら家に入る。夕飯はこのままたかれそうだった。
「全然分かんないだろうから判別してください」
「毒ばっか拾いそうだよなァお前」
余計な一言をくれた大家の踵を踏んで逃げる。ぬるい怒声を背後に聞きながら、美郷は勝手口から母屋へ駆け込んだ。
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果たして松茸は取れたのか。この二人で山に入って、無事に出られる気がしない。
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