残り物と拾い物
残り物には福がある。世間にはそんなことわざがある。しかし狩野怜路が知っているそれは、選択の余地なく残り物を掴まされた時、あるいは順番争いを諦める時に使われるものだ。もったいないから残っているものはとりあえず拾っておけ、という意地汚い話ではない。
拾い物は嫌いではないが、モノは選ぶべきだ。更に、邪魔となれば他人に押し付けるなど言語道断である。目の前に鎮座する物体――職場で押し付けられた「残り物」を忌々しく睨みながら、怜路はそんなことを考えていた。
「つーか、どんな感覚でンなモンが金になりそうだと思ったんだかなァ……」
場所は、巴市街地から車で二十分ほど離れた山間に建つ旧家、怜路の『実家』である狩野家の茶の間だ。寝室も兼ねている部屋のちゃぶ台の上にどんと居座って怜路を見つめ返しているのは、一抱えほどもある金ぴかの招き猫である。強欲に両手で客と福を招いているらしいそれはあからさまに安っぽい塗装で、顔つきは悪意に満ち満ちていた。
「まあ、その辺りも含めて『悪いモノ』だよね。相手の欲につけ込んでる」
隣で感心しているのは、怜路が公園で拾った美貌の貧乏公務員・宮澤美郷である。契約したはずの物件に入居できず路頭に迷っていた彼は、偶然行き会い声をかけた怜路の家に下宿していた。
最初こそ怜路を警戒していたが、同年代の同業者で話も合う。入居ひと月も経った頃には、互いの部屋を行き来することも多くなっていた。
「挙げ句、ようやくヤバいもんだと気づいた途端、タダで始末させようと追っ付けて来やがって……」
ぶつくさ言いながらも怜路が悪趣味な招き猫を持ち帰ったのは、断れない相手に押し付けられたからだ。突如降って涌いた、面倒な上に稼ぎにならず、しかも断れない依頼に怜路はサングラスをずらして眉間を押さえる。
「招き猫って確か、右手が福、左手が客を招いてるんだよね。金ピカだから金運招きなんだろうけど……なんでベロ出してんの」
言いながら、美郷が興味深げに招き猫の鼻先をつっついた。と、猫の目がギョロリと動く。
「うわぁ!?」
驚いた美郷が仰のく。自室で布団の上に転がって、スマホを弄っているところを連行されてきた美郷は寝間着姿だ。何のこだわりかは知らないが、パジャマやスウェットではなく、白い和装の「寝巻」である。夜の暗い廊下でウッカリ出くわすと怖い。
「あー、動くぜソレ。車積んで帰って来る間もウルセーったら」
アルバイトとして働いている居酒屋を上がる時に、店長によって無理矢理愛車に捻じ込まれた邪悪な招き猫は、帰宅中も後部座席で延々ガタゴトと物音を立てていた。
ちゃぶ台の端に頬杖をついた怜路はポケットを探り、気怠げに煙草を咥えた。何でも店長が破産した友人から、借金のカタに貰った物のひとつらしい。
「他は換金なり何なりできたらしいが、どーしてもコレだけ処分できないっつーか、店長から離れなかったらしくてな」
つまり憑かれてしまったわけだ。もしかしたら店長の友人も、コレのせいで破産したのかもしれない。
「だからっつって、こんなモン『プレゼント』だなんぞ抜かしやがってあのハゲ……」
怜路にとって居酒屋でのアルバイトは副収入。彼の本業は拝み屋、つまり霊能師である。店長はこのあからさまにヤバそうな物体を始末したいが、依頼料など払いたくない。おおかたそんな思惑で、怜路にこれを押し付けたのだろう。何とも強引だが、店内での営業活動を黙認してもらっている身では断りきれなかった。
「まあ、そういうケチな所がこのテのに好かれんだろうけどな」
そう悪態をつきながら怜路は煙草をふかす。顔を顰めた下宿人が、わざとらしく煙を払う仕草をしたが無視だ。
「突っ返すのは無理にしろ、タダ働きで封じやら祓いやらすんのはゴメンだぜ」
封じの護符に使う紙や墨とてタダではない。何より労力が勿体無い。
「じゃあどうするつもりなの? まさか粗大ごみに出すわけにもいかないでしょコレ」
懲りずに招き猫を検分しつつ、呆れた視線を美郷が寄越した。うーん、と唸って怜路は天井を睨む。
「……めんどくせぇし売っ飛ばすかな」
世の中には呪い系アイテムを欲しがる物好きもいるし、この手のモノを「有効活用」するために買い取る輩も存在する。そういった連中のアンダーグラウンドマーケットに放り込んでしまえば、手間賃を差し引いても小遣い程度にはなるかもしれない。
「うわ、最低……お前もコレで儲けようとしてるんじゃん」
隣で呟く下宿人をひと睨みし、煙草のフィルタを噛んだ怜路は片頬を吊り上げて凄んだ。
「うるせえ、ンなことよりテメェは早よ家賃払いやがれ。あんま滞納すっと身体で払わすぞ」
そうだ、最悪コイツに始末させよう。怜路が美郷に課している家賃は、光熱水費諸々込みで三万程度と破格だ。しかし、新生活の物入りや奨学金の返済、車のローンなどに給料が間に合わなかったらしい公務員殿は、入居三か月にして早速家賃を滞納していた。田舎の役場に給料が高いというイメージはないが、それでもこの額を払えないのはいかがなものか。引っ越し当初、予定通りのアパートに入居できていても暮らしていけたのか怪しいレベルだ。
よしよし、それで行こう。己のプランに満足した怜路は、不満の声を上げる美郷を部屋から追い出して万年床に寝転ぶ。夜でも屋内でも常時掛けているサングラスを外し、枕元のノートパソコンを立ち上げた怜路は、取引相手を探すため液晶画面を覗き込んだ。
――幸いにも首尾よく招き猫の引き取り手は決まり、そこそこの額を手に入れた怜路は機嫌よく一か月ほど過ごすことができた。
七月下旬、四度目の給与支給を迎えたはずの美郷の前に、怜路は右手を突き出した。美郷はと言えば、怜路の目の前にちょこんと正座して肩を落としている。
「いい加減、今日こそは耳揃えて払えやオラ」
ちなみに、美郷の家賃滞納はふた月目に突入している。別段金に困っているわけではないが、そろそろ何とかしなければ示しがつかない。流石に蹴り出すとまでは言わないが、コレで駄目なら
いつぞやと同じく美郷にとっては就寝前、怜路にとっては帰宅後すぐという時間。今回は美郷の寝間に押しかけて、怜路は延べられた布団の枕元にどっかり腰を下ろしていた。
「今日は絶対口座から降ろして帰れつって連絡しといたろ」
ほら早く、と催促すると、渋々といった風情で美郷が鞄から封筒を取り出した。ATMの横に置かれている、札を入れるためのアレだ。
「はい、ふた月分六万円です。遅れてスミマセンデシタ……」
捧げ持つようにして渡された封筒をつまみ取り、怜路は中身を検分する。確かに万札が六枚入っていた。
「おし、コレでまあ勘弁してやるよ。延滞料は取らずにおいてやるから感謝しやがれ」
重々しく頷いて立ち上がる。殊勝に「ありがとうございます」と頭を下げた美郷が、酷く落ち着かなげにソワソワと怜路を見上げた。
「あのさ、怜路」
眉をハの字にした情けない表情で、申し訳なさそうに美郷が切り出す。
「ちょっとその……家賃払うために切り詰めたから……夜中になんかあったらゴメン」
意味不明の言葉に、怜路は片眉を上げて口元を曲げる。拍子にサングラスがズレた視界の上部で、美郷の首元に一瞬「何か」が視えた。怜路の天狗眼でもはっきりとは視えない、美郷の身体の中に隠れているモノだ。最初に公園で美郷を見かけた時、偶然ソレも目に入った。
「――まあ、害がなきゃ別にいいぜ」
単純に取り憑いているのではない。狐憑きなど、分かりやすいモノならばサングラスを外しただけではっきりと視える。巧妙に隠れるだけの力があるモノなのか、あるいは特殊な憑き方をしているのだろう。怜路の言葉に頷いた美郷が、更になにか物言いたげに、今度は怜路の背後を見遣った。怜路の向こうにあるのは木枠の引き戸、その奥は母屋と離れを繋ぐ廊下である。
「それと……なんか、またあの招き猫の気配がする気がするんだけど、なんで?」
怪訝げに眉根を寄せたまま、困ったような笑顔で小首を傾げられる。
「…………訊くな」
怜路はただ一言、それだけ残して離れを後にした。
深夜。尿意で目を覚ました怜路は、眠気で重だるい身体を引きずり起こして茶の間を出た。古く広い家ゆえに、寝起きしている部屋から便所は遠い。母屋の裏手にある、水回りばかり集めた別棟まで暗い廊下を歩かなければならない。それでも、この類の農村古民家としては屋根付きの廊下があるだけマシではある。
裸電球がふたつみっつ吊るされただけの廊下をぺたりぺたりと歩く。板張りのひんやりとした床が上げる小さな軋みが、蛙も寝静まった丑三つ時によく響いた。
ごとり。
普段閉め切っている納戸の横を通りすがった時、襖の向こうで物音がした。
ちっ、と怜路は盛大に舌打ちする。このシチュエーションだからといって、怖いと思うほどウブではない。物音の主が何なのかも知っている。寝る前に、納戸に押込んだばかりのヤツだ。
とりあえず用を足しに便所へ向かう。帰り際、再び通りかかった納戸の前で立ち止まり、怜路は忌々しげに呟いた。
「くそっ、やっぱそうそう上手くは行かねえモンだな」
引手に指を掛け、勢いよく襖を開ける。大して滑りは良くないため、ガタンと派手な音がした。
暗闇に沈む和室の中、無造作に転がしてあるのは大人の一抱えほどもある招き猫だった。ただし、薄く光るソレの色は白である。悪意に満ち満ちた顔は変わらないが、いやらしくベロを出していた口元には「千客万来」の札をくわえ、一応「別猫」の風情を装っている。だが、改めて確認せずとも怜路にはすぐに分かった。先日売り飛ばしたはずの金ぴか招き猫だ。
実はこの招き猫、今日出勤した店先に飾ってあったものだ。
一目見て、怜路の顔が引き攣ったのは言うまでもない。一体どうやって戻って来たのか知らないが、余程あの店長が気に入ったようだ。しかも、本当にただ白く塗られてベロを札に変えられただけなのに、店長はコレが元金ぴか招き猫だとは全く気付いていなかった。
(店長が誰かに恨まれて、わざと送り付けられてんのかとも思ったが……なーんかどうも単純に懐いて戻って来てるんだよなぁ……)
雑に霊符を貼られて床に転がされたまま、ガタゴトと物音を立てる招き猫を怜路は胡乱な目で見遣る。放っておいて、店に何かあったら目も当てられないと慌てて回収して帰ったのだが、始末は面倒くさくて転がしてあるのだ。
店長とて、こんな可愛くもなければ福も客も呼ばない(代わりに恐らく貧乏と禍を呼ぶ)招き猫に懐かれても嬉しくないだろう。懐くと言えば聞こえは良いが、要するに「悪いモノに気に入られている」だけだ。
溜息を吐いた怜路は、寝癖で半端に跳ねる金髪を掻き回して踵を返した。こんな時に家が広いというのは有り難い。どれだけ騒がれても怜路の部屋までは聞こえてこないので、安眠を妨害される心配はない。
まあ、明日以降に何とかしよう。呑気にそう考えて、襖を閉めようとした時だった。
ぎしり、と廊下の奥で重く床が軋んだ。
わずかに、裸電球の灯りが揺れる。
早瀬のように足元を冷気が流れ、突然のことに怜路はその場で固まった。
廊下の突き当りの奥で、みしみしと幽かな音が鳴り続ける。T字路になっている廊下は、左手に帰れば怜路の寝起きしている茶の間、右手に曲がれば美郷の眠る離れに繋がっている。家鳴りは右手奥から徐々に近づいてきていた。
裸電球の灯が消えた。怜路の視界が真闇に染まる。先ほどまで騒いでいた招き猫も、ピタリと止まって気配を殺していた。
「オン マリシエイ ソワカ」
印を組んでそっと呟く。相手から己の存在を見えにくくする「隠形術」だ。そのまま足音を殺して、一歩、二歩と納戸の中へさがった。襖の陰に隠れるように場所を移す。
(つーか、これ。美郷君のペットのアレか……?)
とんでもないものが出てきた。到底、人間の中に隠れていられるサイズではない気がする。姿形なく空間を圧迫してくる気配に、怜路は息を飲む。何か飼っているのは分かっていたが、ここまで大きいとは思わなかった。害がないなら良いと言ったが、本当に大丈夫だろうか。
床板の悲鳴が廊下をにじり寄って来る。納戸の正面まで来たソレは、ぬるりと襖の間を抜けて部屋に入ってきた。
(白蛇精か)
直径が大人の太ももくらいはありそうな真白い蛇が、ちろちろと裂けた舌を覗かせながら怜路の横をすり抜ける。素通りされるということは、怜路を目指して来たわけではないらしい。じゃあ一体何を、と視線を動かした先に、ごろりと転がる招き猫の姿があった。
あっ、と思い至る間もない。
ごっくん。
蛇は大きく口を開けると、招き猫を一飲みにしてしまった。
招き猫を飲み込んだ頭の付け根と首辺りが不自然に太くなり、その膨らみが徐々に腹の方へ下がっていく。
蛇はしばらく動かず、招き猫を胃袋(があるのか知らないが)の中に落ち着けると、のっそりと方向転換を始めた。怜路には全く関心を示さない。
一体何分が過ぎたのか分からない。ようやく蛇の気配が廊下の向こうへ消えてから、怜路はやっと隠形の印を解いて納戸から出た。
「…………何っじゃありゃ!?」
呆然と正直な感想を述べる。しんと静まり返った廊下にはもう、蛇の気配も招き猫の邪気も残ってはいなかった。
翌朝、寝不足気味の怜路が惰眠を貪る茶の間へと、美郷が姿を現した。
「お、おはよう怜路……」
重たい頭を持ち上げて目をこする怜路を、半端に開いた障子の影から美郷が窺っている。襟元の乱れた寝巻姿が、半分だけ障子からのぞいていた。
「おう」
枕元のサングラスを取り上げるのも面倒臭いので、そのまま起き上がって布団の上に胡坐をかく。美郷の肌蹴た首元に、何かがぞろりと這うのが視えた。
「えーと、昨日の夜、何か……」
だらだらと冷や汗を流しながら、歯切れ悪く尋ねる美郷に、怜路はひとつ溜息を吐く。
「あー。アレだ。家賃ひと月分タダにしてやる。何ケチったのか知んねーけど、変なモン喰って腹壊すなって伝えとけ」
アッハイ、アリガトウゴザイマス。硬い声で礼を述べる美郷に、そういやあ、と怜路は尋ねた。
「お前、出身どこだったっけか」
退散しかけていた美郷が、ビクリと動きを止める。確か山陰だと以前言っていた気がするが。
「……出雲です」
言い辛そうに答えた美郷に、ふうん、と怜路は頷く。
「出雲のでけえ一門っつったら、鳴神?」
神代から続くとされ、龍神を祖とする古い古い神道・陰陽道系の一門だ。呪術の世界では中国地方において二大巨頭のひとつである。
「デス」
あれから、一晩かけて己の知識をひっくり返して出した仮説を怜路は検証していく。
「宮澤ってのは、何だ、分家筋とかか? それとも……」
思わせぶりに片目を細めてみせると、観念したように美郷が障子の影から出てきて敷居の前に正座した。
「母親の姓です。父方の姓は『鳴神』……外腹なんだ」
「やっぱりなァ。山陰の陰陽道系って辺りで察するべきだったわ」
しみじみ頷いて腕を組んだ怜路の前で、正座の美郷がカチンコチンに固まっている。断罪を待つようなその様子に、怜路はひとつ呆れの溜息を吐いた。
「別に、ンな理由で叩き出しゃしねーよ。これ以上家賃滞納すりゃあ考えるけどな」
鳴神家の庶子長男といえば、当時東京にいた怜路の耳にまで届いた数年前の有名人だ。思い返せば色々とヒントがあったのに、今まで思い至らなかったのは「こんな奴」だとは想像していなかったせいもある。怜路の出会った「宮澤美郷」は多少ボケっとしていて、へらへらと頼りなげに笑う人畜無害そうな青年だ。しかし噂に聞こえた彼の人物イメージは、全く異なったものだった。
「スミマセン」
ションボリと小さくなっている貧乏公務員を眺めてひとつ欠伸をし、寝癖頭を掻き回した怜路はしっし、と犬猫を追い払うように手を振った。
「謝るこっちゃねーさ。こっちも元々何も訊いてねーんだし。おらそろそろ着替えねぇと遅刻すんじゃねーの?」
怜路の言葉に、戸惑い気味の様子で立ち上がった美郷が障子を閉める。部屋が少し暗くなると同時に、怜路は再び寝転んで布団を被りなおした。日当たりの関係でそう眩しくもないのだが、二度寝にはちゅぴんちゅぴんと雀が五月蝿い。
怜路も随分、妙なモノを拾ってしまったものだ。結果的に、招き猫の始末はせずに済んだので良しとしよう。
美郷が何か飼っているのは元から分かっていたし、実はソレが虫除けか目くらましにならないかと期待した面もあった。
「アレが『鳴神の蛇喰い』ねぇ……人は見た目によらねぇな。まあ、害がねーなら別に、蛇だろうが蜘蛛だろうが構やしねーけどな」
呟いて、怜路は緑銀色の天狗眼を閉じた。
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