その他番外(古いお題ネタ・ワンライ倉庫)

偏光グラス

使用お題:

 はばたく

 ソーダ水越しの景色

 肌寒い夜は

 甘い匂いに誘われ蝶となる






 甘い匂いに誘われて蝶となる、そんな夢を見るのです。


 蝶になった私はひらり、ひらりとはばたいて貴方の元へ。


 肌寒い夜は貴方のぬくもりが恋しくて。冷たい褥が哀しくて。


 ひらり、ひらりと舞うのです。






 そんな熱烈な愛の告白なのか、それとも宇宙の電波受信中なのか微妙なラインの手紙が来たのはつい三日前だと男は言った。実物の手紙を手に『鉄板屋のグラサン兄ちゃん』こと狩野怜路は、ははあ。とひとつサングラスを上げる。ラストオーダーを過ぎた鉄板居酒屋の店内は静かで、男以外に客の姿は見えない。


「相手の心当たりはねーのかい」


「無い」


 鉄板に面したカウンター席に座るのは、不愛想が服を着ているような色恋沙汰とは無縁そうな男だ。この男が今回の依頼人、怜路の今夜のお客だった。


「まあ、浮名を流して女を泣かせてるタイプにゃ見えねえがな……で。俺んトコに来るって事は、ただの手紙じゃねーんだろ?」


 今ではすっかり『鉄板屋の兄ちゃん』だが、怜路は元々『天狗眼の怜路』と呼ばれる異能の修験者――いわゆる霊能師の類である。ただ手紙が来ただけなら無視すれば良いし、しつこいようなら自分ではなく警察の出番だろう。


 怜路を頼んで居酒屋に来たものの、男は下戸で酒は飲めないという。さして食欲もないらしく、己の正面にポツンとジンジャーエールのグラスを置いて男はむっつりと黙り込んだ。ぷくぷくと泡をたてる、琥珀色のソーダ水越しの景色をしばし無言で睨んでいる。


「……夢を、見るようになった。毎晩同じ夢だ」


 躊躇いがちに男が口を開いた。


「そりゃ、手紙が来てからか?」


 暗示にかかりやすいタイプならば思い込みで夢も見るだろう。


「いや。ひと月ほど前からだ。蝶が、飛んでくる」


 なるほどねぇ。と怜路は口の中で呟いた。預かった手紙からは、確かにじっとりと暗い情念の残滓が感じられる。繰り返す夢が先行して、後から内容に沿った手紙が来ればそれは驚くだろう。


「その蝶はアンタに何か悪さすんのか」


「いや、何もしない……必ず私が、殺してしまう」


 無意識に払い落したり、叩いてしまったり。毎日毎日繰り返す夢で、毎回蝶を殺す。気持ちの良いものではないだろう。そこへ、蝶の送り主からととれる手紙が来た。確かに、警察よりは拝み屋を頼りたくなるのが人情だろう。


 ふむ。と怜路はトレードマークのサングラスを外した。緑色に銀の虹彩が光る特異な眼で依頼人を視る。怜路のこの天狗眼ならば、妖異の類は全て見透かせる。緑銀の眼を細めると、男にふわりと絡みつく白い腕が見えた。


「蝶やら鳥は、人間の魂が化けたものって考え方もあるからなァ……文面通りに受け取りゃ、アンタに恋した誰かの魂が、夜な夜な蝶に化けて来てやがるってコトだろうが……」


 言いながら、怜路はじっと男に視線を合わせた。


「ホントにアンタ、心当たりはねーのか」


 僅かに眉根を寄せて、男がいいや、と首を振る。


「色恋に縁はない」


「色恋じゃなくても、『化けて出られる』心当たりくらいねーのかよ」


 まあ、あればノコノコと拝み屋の前に来たりしないだろうが。あるいは「何とかしてくれ」と泣き付きに来るのが普通だ。


「……恨みだとでも?」


 心底不可解そうに男が顔を歪めた。


「ま、どなたかいらっしゃるのは間違いねーぜ」


 馬鹿な、と男が鼻で嗤う。


「私は他人に恨まれるような真似など一切していない。完璧な選択をし、完璧な人生を歩んでいる。間違ったことが一度も無いのに、他人に恨まれるはずがないだろう」


 ――恨まれる筋合いなどない。何故なら、自分に非は無いのだから。全て相手が悪いのだから。


 真顔で淡々と語る男に、怜路は何と返したものか悩む。面倒になって金髪頭を引っ掻き回すと、ぽいと乱雑に手紙を返した。


「…………まあ、んじゃあ別にいんじゃね? 蝶の一匹や二匹、叩き潰しても良心の呵責なんざ覚えねーだろアンタ。気にするこたァねーよ」


「間違い無いのだな? ならば良い……」


 言って、男はさっさと席を立つ。おおい、相談料……と言いかけて怜路は諦めた。どうせ払わないタイプだ。


 会計を済ませて立ち去る男の背を見送る。怜路はそっとサングラスをずらした。


 べったりと、無数の腕が絡みついている。何本あるのか分からない。足に、腕に、背に、肩に、恨みを込めた手がかじりついている。アレが見えるのが幸せとは思わないが。


 ああいう人種は怜路のサングラスなど足元にも及ばない、世界を捻じ曲げる偏光フィルタを両目に嵌めて生きている。恨んで出た魂すら叩き潰しているのだから祟られて死ぬ心配もないだろう。


「――せめて人並みに現実が見えるようになるための、魔法の目薬がありゃあ良いのにな」


 まあ言っても仕方があるまい。タダ働きに肩を竦め、怜路は鉄板の上を片付けることにした。



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