【番外】やくそく【怜路チョロッと】

使用お題:

 天の川を渡れたら

 水平線に君をのぞむ

 悪い往生際

 小指の約束






「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった!」






 随分と子供っぽい――実際、遥か三十年以上前、小学生の頃にやったきりだった約束の方法を受け入れたのは、彼女のそのあどけなさを好ましく思ったなどという、可愛らしい理由では無かった。彼女のその、類稀なる力の恩恵を逃したくなかったのだ。その為ならば、馬鹿にだろうが何にだろうがなってやる。そう思った。


「明日はお素麺を食べるの。これで全部ね?」


 仰せのままに。二十歳そこそこに見える彼女は、一見何の変哲もない女子大学生だ。だが、偶然飲み屋で出会い意気投合した私のこぼした仕事の愚痴に、この娘は妙なことを言いだした。


「そんなにお邪魔なライバルさんなら、私と一緒にやっつけましょう? 簡単なの。あのね……」


 酔っぱらっていた私は、その酷く簡単な提案を軽く了承した。酔っていたのもあるし、素面で聞いても何ら害があるようには思えぬことだったからだ。その日私は彼女と共に辺りのコンビニやスーパーをはしごして白と紅の大福を調達した。私の部屋に帰ると、私にとって邪魔で仕方の無い男の名前と生年月日を紙に書き、その上に二つの大福を乗せる。縦に並べた二つの大福を、包丁で一息に両断し、紅白それぞれ半分ずつ食べた。それだけだ。


 翌日、その男は交通事故に遭ったといって仕事に来なかった。


 疑わなかったと言えばウソだ。だが、その夜再び同じ飲み屋で出会った彼女の微笑みに、「ああ、あれはこの子がやったのだ」と何故か素直に信じた。そして、次の相談をした。


「うーんとね。そう、およもぎのお餅が良いわ」


 ヨモギ餅を所望する彼女に従い、今度は翌日和菓子屋でヨモギ餅を購入した。ライバル企業の名と創立年月日を書いた紙と一緒に、今度は炙って食べた。――翌週、その企業は火災に見舞われた。次は菖蒲の葉に目障りな親族の名と生年月日を刻んで煮込んだ。次から次へ、面白いように敵が消えてゆく。


 彼女は何者なのか。気になったが、聞いても仕方が無いと思った。


 ひとつ願い事を叶える度に、私と彼女はひとつ「約束」をする。それは、簡単なデートの約束だった。二十は歳が離れていそうな男女で出歩くのだ。抵抗もあったが、場所が「最寄り駅のカフェ」など他愛もないものだったので頷いた。


 最初は近くの駅ビルのカフェ。次は二駅向こうの映画館、その次は更に遠くの水族館。そして、今回の「約束」は、新幹線を使って行く「海」だ。デートとしても順当でなんともこそばゆい。こんな年下に興味はないと思っていたが、まんざらでもなくなっている自分に気付く。


 翌日私達は、敵対派閥のトップの名と生年月日を書いた紙と共に素麺を茹でた。和紙を使ったため、茹でても紙は崩れない。もうこれで、消したい相手は全てだ。


「じゃあ、約束ね。あさっての夕方、一緒に海に出発するの」


 ああ、と頷いたその時は、確かに私は行くつもりでいた。日付は既に八月も中旬、盆を過ぎて海にはクラゲが出るという。だが泳ぐ以外にも楽しみ方はあるだろうし、まだまだ街は暑い。


 だが、思わぬトラブルで私はその日、会社を抜けられなくなった。慌てて彼女に電話をする。


「済まない! 時間までにどうしても会社を抜けられそうにないんだ。明日の朝一番に出よう」


「やくそく、破るの? 駄目よ。今日じゃないと駄目なの」


 頑是ない子供のように言いわけのない彼女に初めて苛立つ。あまり悠長に喋っていられる状況でもない。


「とりあえず! 今は出られないんだ!!」


「今日じゃないとだめ。一緒に天の川を渡れないわ」


 天の川。なんともロマンチックなことだ。だが申し訳ないが付き合いきれない。


「明日でも夜空は一緒に見れる。じゃあ、切るぞ」


「切るの?」


「ああ」


「ん。わかった。切るね」


 ぷつっ、と電話が向こうから切られる。怒らせたかと思いつつ、やれやれと溜息を吐いた次の瞬間だった。


 ぐっ、と右手を誰かに引っ張られた。職場のフロアを出て、薄暗い廊下で電話をしていた私の腕を、物陰から誰かが掴んだのだ。驚いてそちらを振り向く。私の手首を、細く白い女の手が掴んでいた。凄まじい力で引っ張られて振りほどけない。掴んでいるのは、彼女だ。その手が私の右手を、闇に白く浮かぶ彼女の口元へ引き寄せる。薄紅い唇がふわりと開く様子が、なぜかゆっくりと見えた。


「ゆびきった」


 がぶり。


 上品に整列した彼女の白い歯が、私の小指を噛み千切った。






 一月後、私は彼女と約束した海岸に立っていた。あれ以来、彼女とは一切連絡がつかない。代わりに隣には、染めた金髪にサングラスと、何ともガラの悪い青年が立っている。


「――で。おめーさんは彼女に小指を食い千切られて昏倒。一週間くらい寝てた、ってワケだ」


 じゃらり、と派手に金環を鳴らす錫杖を担ぎ、自称「修験者」の青年が言った。


「しかしまあ、アンタの場合それで良かったんだろうよ。結局小指一本で済んだんだからな」


 そうため息交じりに言って錫杖で肩を叩く青年によれば、私はあの日、約束を守っていたらこの世から消えていたらしい。


「その日はな。旧暦の七夕だったんだよ。海にアッチとコッチの通い路ができて、漕ぎ出せば天の川を渡れたわけだ。その女はおめーと一緒に、あっち側に行きたかったのさ」


『約束』の場所は、その度ごとに遠くになっていた。最寄り駅、二駅向こう、別の街、そして、別の世界(くに)。私は遠く水平線に視線を投げる。そこに彼女の姿を思い描く。


 そう、『彼女』――その名前を、私は忘れていた。登録していたはずの携帯電話からは彼女の番号は消えていた。今となってはもう、一体自分が誰に電話をかけて、誰と食事を共にしていたのか分からない。


「彼女は……一体何者だったんだ」


 ぼんやりと尋ねる私に、あぁー、と困惑した風情で青年が頭を掻き回す。


「まあ、言ってみりゃあ『天女』かねぇ……」


 天女、とはまた。随分イメージと違う。妙な顔をしていたのだろう。そーな、と青年が首を傾けた。薄く色の入ったサングラスがずれて、異彩を放つ目が光る。彼の目の色は、銀とも緑ともつかない不思議なものだった。


「羽衣伝説ってあるだろう。綺麗な天女が舞い降りたのを見つけた野郎が、その女欲しさに羽衣隠しちまって……ってやつ。あの話は最終的に、羽衣見つけた天女が空に逃げ帰って終わりなんだがな。逃げた天女を追った男は、天に召し上げられて星になるって伝説があるわけよ。で、一年に一回、七夕の日に天の川を渡って逃げた嫁さんと逢える、と。どういう都合か知らねぇが、七夕の日に一緒に渡りゃあ天の川に隔てられず、一緒の岸で暮らせるんだろうよ。おめーさんは逆に、天女に惚れられて連れてかれかけたワケだ」


 つまり羽衣伝説の天女と七夕伝説の織女は同じ「あちら側の女」であり、『彼女』もまた同じような存在だったということらしい。確かにその能力は、人智のものではなかった。しかし、目の覚めるような美女でもなければ、今隣にいる青年のように特異な容姿をしていたわけでもない。


「まあそりゃあ……俺らにとっちゃ『その力』は特別なもんだが、向こうの連中にとっちゃどうってことなかったりするだろうしな。その女は『向こうの普通の女』だったってことじゃね?」


 呟くように疑問を口にした私に、肩を竦めるようにして青年は答えた。確かに、何の変哲もない女子大学生のような娘だった。決して美人でもなければ、好みの範疇だったとも思わない。


 だが、酷くその顔が懐かしい。その名を忘れてしまったことが、こんなにも惜しい。水平線に彼女をのぞみ、溜息を吐く私に青年が釘を刺した。


「言っとくが。その女に見逃してもらえたからって、てめぇの罪が消えるワケじゃねーからな。てめぇがやったのは呪詛だ。天女の力を借りて何人も殺してやがるのはてめぇだ」


 分かっている。つもりだ。この青年は、私の行った呪詛を始末するため、私の敵となる人物に雇われたらしい。成就してしまった呪詛を取り消すことも出来ず、元凶の天女は消えた後だったのですることが無いと嘆いていた。


 私は結局、小指と共に全て失った。社会的な地位も、受け継ぐはずだった財産も全て、彼女と呪詛をすることで守ろうとしたもの、得ようとしたものは全て失われた。因果応報、人を呪わば穴二つ、結局この世はそういう風に出来ているのかもしれない。


「だから――償う生き方を考えろ。呪詛に手ぇ出しちまう強欲な人間らしい、悪い往生際を見せてみろ。てめぇは、星になるのなんざ許されねぇんだよ」


 彼女を追って、天の川を渡れたら。あの日、約束を守れていたら。そう思っていた私の心を見透かし、青年が鼻を鳴らす。私が「向こう側」に引っ張られないよう、秋の彼岸が明けるまで私を見張るのが今の彼の仕事だった。






 小指のない右手へ視線を落とす。せめても小指だけでも、彼女と共に行けた。そう喜ばしく思う私の心を、此の岸に縛り付けておくことこそが、私に課せられた罰だった。


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