第51話コウタ

「はぁ……」

 深い、本当に深いため息を吐いた。

 婚約者が司祭と言う立場を利用して公衆の面前での公開処刑の主導。連続殺人事件の真犯人。という最悪の事実が表に出たせいでリノアは疲労感で足が重かった。アロイス=ダランベールの事情聴取に参加したかったが余りにも顔色の悪いリノアを見兼ねてイリスはさっさと帰れと命令を下して来た。幸いなのか否か、明日明後日と休みまで言い渡されている。これはリノアの心境に対する配慮なのか。それとも事情聴取でもしようものならアロイスを殺しかねないほど切羽詰まっているリノアに一度頭を冷やさせる為なのか。どちらにしろ今のリノアには恐らくこれが最善なのだろう事はなんとなく分かった。とはいえ、静かに待っているだけは性に合わない。明日辺りに失踪した聖女様を追わなくては。今日今すぐにでも動き出したい所ではあるが残念ながらアーノルドお手製の魔術式の発信機の様な物を付けられているらしく今日動くわけにはいかなくなってしまった。

 既に日も暮れた住宅街を歩く。リノアの自宅はこの住宅街の二番目に大きな屋敷だった。幼少期デファンドル翁に引き取られた際呆気に取られたものである。今では立派な帰る場所となったその屋敷へ帰路に着いている最中。屋敷に一番近いゴミ捨て場を通り過ぎると何か重い物が落ちる轟音が響いた。あまりの音に肩を竦め、そろりそろりと背後を振り返るリノア。

「……は?」

 先程通り過ぎたばかりのゴミ捨て場に、先程見なかった巨大な物体が落ちていた。思わず口から転びでた間抜けな声も引っ込みが付かない。周囲を見回してみるも人影は無い。ではどこから『これ』はゴミ捨て場に出されたというのか。いや、そもそもこれはゴミ捨て場に出して良いものではない。昼間見た少女の死体が脳裏を過るも懸命に振り落とす。

「………………」

 言葉を失うもゆっくりと『それ』に近付いて行く。

 それは『人』の形をしていた。それも顔はとびきりの美形である。性別で言えば男性。筋肉質な胸板がこれでもかと曝け出されているので見紛う筈もない。恐らく背の高い美男子。だがこのフランスと言う国ではあまり見るタイプでは無い。どちらかと言うとアジア系の人種の様だ。彫刻の様に見事な体を持った美男子に思わず見惚れてしまう。ゆっくりと視線を降ろしていきようやく、この男が『全裸』であることを把握し慌てて目を逸した。

 その全裸の美男子はゴミ捨て場で眠った様に動かない。裸だからと気後れしている場合では無い。とにかく息を確認しよう。口元に手を近付けていくと息をしているのは確認できた。なぜこんな所で眠っているのか。警察官として放っておく訳にもいかずリノアは声を掛ける。

「もし……もしもし? 起きて下さい。お酒でも呑んだのですか? お家は何処ですか?」

 反応は無い。熟睡していて聞こえていない様だ。改めて周囲を確認しても人っ子一人居ない。リノアはため息を吐き、既に目と鼻の先にあった自宅に急いで入った。もちろんそのままにする訳では無い。彫刻の様に美しい男をそのままにしていてはどんな災難が起きるか分からない。とりあえず男の体を包める程度のタオルとガタイの良い男を運べる様荷車を持ってゴミ捨て場に戻って来た。

 まだ寝ている。そしてやはり周囲に人は居ない。

 リノアは手こずりながらもなんとか男の体をタオルで包み、出来る限り彼の体を傷つけないように注意を払いながら荷車に押し込んだ。どうせならこのタイミングで起きてくれれば良いのにと悪態を吐きそうになりながらリノアはなんとか任務を完遂する。大分雑に扱ったがやはり起きない。ここまでされて起きないのもどうなのだろう。大丈夫かこの男。そんなことを心配しながら重くなった荷車を自宅へ運び込む。

「婚約者が逮捕された日にこんな美男子を家に連れ込んで……何をしているんだ私は。体目当てとか思われたらどうするんだ」

 失笑する。アロイスのことを思い出すとまた気が落ちるようだった。荷車を押しながら端正な男の顔に目を向けた。

「……いっそのこと、体目当てにしてしまおうか」

 そんなことを自分で言った後、阿呆かと自分を嘲笑った。

 なんとか居間のソファに男を横たえ、風呂の準備に取り掛かった。全裸でゴミ捨て場に捨てられていたのだ。清潔にしてやった方が良いだろう。リノアは自分の着替えも後回しに諸々の準備を始めた。風呂の準備をし、腹が減っていては大変だと食事の準備をする。ついでに飼い犬である『クロ』の夕食も用意する。リノアの自宅で飼われている飼い犬は巨大な黒い犬である。名前はクロ。日本語で『黒』の意味だがなんだか響きが可愛らしいので名前にしてしまった。犬種は不明。どこからか庭に入ってきて居着いた上にリノアに懐いたものだからそのまま飼う事にしたのだ。

「えぇっと……起きたら着替えて貰うから……これはアロイスの服だが。入るかな……?」

 置きっぱなしになっていた元婚約者の服を引っ張り出す。男物とはいえガタイの良いあの男のサイズに合うかどうか。だがこれ以上に大きなサイズの服はこの屋敷には無い。これで我慢して貰おうとリノアは服を持って居間に戻る。

「!」

「?」

 居間に戻ると、ソファの上でぼうっとした様子で座っているあの男が居た。どうやら起きたらしい。リノアは肩を落として男の元へと歩いていく。

「キミ!」

「? ぁ、え?」

 事態が飲み込めていない様子の男はしどろもどろにリノアを見上げてくるだけだ。

「駄目じゃないかあんな所で寝るなんて! しかも裸だったぞ! なんだ、どんな事件に巻き込まれたんだ!」

「はだか……? じけん?」

「そうだ! さぁ説明して貰うぞ! 生憎私は警察官だからな。恐らく酔っぱらいであろうキミを放置する訳にもいかないからこうやって家に連れて来たんだ。感謝をしてくれ。それで? どうしてあんな所に?」

「………………?」

 妙な疑いを掛けられたく無い一心で一気に言ってしまった。どうやら状況が上手く飲み込めていないらしい男は不思議そうにリノアを見上げてくる。リノアはとりあえず持っていた服を男に押し付けた。男はやはり不思議そうにその服を受け取っている。

「とにかく着ると良い。サイズが合うかは分からないが全裸で居るよりはマシだろう」

「……ありがとう、ございます」

 そう言えば、アジア系の人間だと思っていたがキチンとフランス語が通じているらしい。どうやら意思疎通に問題は無さそうだ。男は首を傾げながら不器用に、本来であれば開いている方が前になる筈の服を前後逆に着始めている。呆気に取られてリノアは恐る恐る声を掛けた。

「服……着れないのか?」

「こういう服は……初めて、で」

「初めて?」

 何の変哲も無い、白いワイシャツだが。頭痛を抑える様にリノアは男からその服を剥ぎ取った。

「この服はこう着るんだ。ほら、こっちから腕を通して」

「あ、はい」

 男はおとなしくリノアに言われるがままシャツに腕を通した。案の定胸前のボタンは締まらなかったので開けたままにした。下着の付け方にまで首を傾げていたので相手は大きな子供なのだと言い聞かせてリノアは全ての着替えを手伝った。

「それで、キミ」

「はい」

 なんとか着替えを終え、服が慣れないのか僅かに顔を顰める男に声を掛けた。本当に見た目だけなら満点を上げたい位の美形っぷりだ。どこか浮世離れしているのは否めないが。

「名前は?」

「……名前?」

「そうだ」

 とにかく一つずつ丁寧に改めていこう。リノアの問い掛けに男は難しい顔で黙り込んでしまった。

「どうした?」

「名前……私の名前は何なのでしょうか?」

「は?」

 予想外の返答にリノアも目を丸くしていた。男はどこか子犬の様に所在なさ気な瞳でリノアを見上げて来る。

「私は、誰なのでしょうか。ここもどこだかわかりません……私はどうしてこんな所に居るのでしょう」

「まさか……記憶が無い、と言う事か?」

 リノアの問い掛けに男は言葉を脳内で噛み砕いたのかゆっくりと咀嚼するように思案した後小さく頷いた。リノアは頭を抱える。どんなタイミングでなんて物を拾っているのだ自分は。どうやら嘘を言っている様子でも無い。本気で記憶がないのだ、この男は。

「……あー……仕方がない。キミを拾ったのは私だ。キミの記憶が戻るまでなんとか世話はするが……本当に何も覚えてないのか?」

「はい……」

「はぁ」

 ため息を吐く。先程の自分で言って自分で否定した馬鹿な考えが一瞬脳裏を過る。だが軽く頭を振ってその考えは振り落とした。どうもこの男に性的欲求は湧きそうに無い。

「じゃぁそうだな……キミに名前を付けよう」

「良いのですか?」

 見知らぬ男を屋敷に上げた等と知ったら怒るだろうか、と無意識に幼馴染の男を思い出す。いや待て、怒られる筋合いなんて一つもない。

「乗りかかった船だ。もう良い。諦めた。どうせ婚約者とも別れたしあいつは一生帰ってこないんだ私が他の男にうつつを抜かそうと奴等には全く関係がない!」

「? え、うん? はい」

「私は誰と何をしていようと奴には関係が無いんだ。帰ってこない方が悪い! 十年近く放置してるんだ! 私が誰と何をしようと奴には関係無い。そうだな!」

「?? あ、はい……?」

 リノアの言葉を聞いているも完全に置き去りになっている男は不思議そうな表情でリノアを見るだけだ。リノアは怒りを鎮める様に深く呼吸をした後男へと視線を向ける。

「キミの名前、決めたぞ!」

「え、あ、はい」

「『コウタ』だ」

「……?」

 ふと、思い浮かんだ名前を口にした。どこかで聞いた、大事な名前のような気がするがどこで聞いたのかも誰の名前だったかも思い出せない。きっと昔読んだ日本人が主人公の小説か何かだろう。と適当に見切りを付ける。だがこの男にはその名前が合っている気がするのだ。

「日本人っぽいし。『コウタ』で良いだろう。嫌か?」

「いいえ。では、私は今日から『コウタ』ということで」

 コウタと名付けられた青年ははにかみながら笑った。リノアも満足げに笑い夕食の支度に取り掛かる。コウタを立ち上がらせてダイニングテーブルへと連れて行った。


 リノアは気付かなかったが、確かに男のその端正で美しい顔は『九光太』と呼ばれる青年と酷似していた。

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