第52話大蛇の怒り
「あーあ、聖女様ったらもったいなーい」
とある建物の屋上でスルーズと呼ばれる修道女姿の女は屋上の柵にもたれかかりながら不満げな声を出していた。イライラした様に下界を見下ろし大きなため息を吐いた。
「はぁ……清廉な聖女様のままだったらあの首に掛けられた金は相当なものだったのに……堕ちたら値が下がるじゃない……下らない。あれじゃ幻想に見放されて声も聞こえて無いだろうなぁ~あぁーもったいなーい」
結局彼女の損得勘定は金である。金が稼げないのであれば興味の対象からは外れるのである。スルーズは腕を上に思い切り伸ばして身体を伸ばした。
「あーあ。帰ろっかなぁーそろそろレギン帰ってくるってエルルーンが言ってたし。エルルーンはまだおこちゃまだから早く帰りたいだろうし、!」
唐突に。何の予感も気配も無く。スルーズは背後に立った人物に徐に剣の様なもので首を貫かれていた。
「っ、ぁ、!?」
「あ、もうちょっと我慢すれば良かったな……貴方達のアジトまで着いていけば良かった。まぁいいか」
脳天気な声が響いた。スルーズは状況を判断出来ずに視線だけ右往左往させている。背後に居た人物は投げ捨てる様にスルーズの身体を転がすと同時に剣を引き抜いた。
「き、さま……! どうして、くび、を」
「あ、もしかして弱点だったりしました? 首の後ろ刺して正解だったみたいですね。なんか、見た限りどこを刺しても死にそうに無かったので。唯一穴が空いたみたいに首の後ろだけはいけそうな気がしたので刺しちゃいました。いやぁ、無防備に殺せそうだったんで思わず。すみませんねぇ」
まったくもって謝意の欠片も感じない謝罪が落ちてくる。スルーズの顔を覗き込んできたのは昼間に聖女と共に行動をしていた青年だった。にこやかに笑っているが、その目は笑っていない。
恐らく、相当激怒している。
「全く、人間っていうのは本当に腹の立つ存在ですよね。あれは僕が神から奪うと決めたんだ。あのままいけばただの少女に成り下がったというのに。よくも下らない魔物に堕としてくれたな……!」
憤怒の籠もった声でスルーズの身体を跨ぎ先程のスルーズ同様柵から下界を見下ろした。スルーズはゆっくりと事切れたがそれを見送る者は誰も居ない。
「この借りは返す。逮捕? ふざけるなよ、死を持って償ってもらう」
九光太は忌々しげにそう吐き捨てた。
あの後、光太は当然の如く聖女を追ったのだ。聖女の気配は覚えている。気配を辿れば出会える算段ではあった。だが、途中にどうやら魔除けが貼ってあったらしい。恐らく西洋向けの悪魔除けと呼ばれるものだ。その魔除けと複雑に入り組んだ住宅街もあり、光太は見事道に迷う羽目となり結局聖女を救う事は叶わなかった。聖女が目にした悲劇に興味は無いが聖女の気配は明らかに変わった。故に逆に鉢合わせしないようにしたのだ。不愉快なものを見る羽目になるのはなんとなく予想が出来たというのもある。
聖女は美しい少女だった。それこそ、光太が恋い焦がれた幼馴染の少女に劣らずに美しい少女だったろう。その少女を汚すのは自分の役目だった筈だ。しかも、自分の美徳から外れた汚し具合に光太は憤った。
聖女をただの少女に落としてやるのが神への反逆だと信じた。そう信じたのだ。結局、神への隷属を拗らせて希望した方向とは真逆に汚れてしまった少女に、その事態を引き起こした存在に光太は憤りを隠せない。
「、シスター!?」
「?」
屋上の入り口に誰かが立っている。光太は怪訝そうな表情で振り返った。確かここにはエルルーン特製の人避けの結界が貼られていた筈だ。
「お前、なんだその剣! 剣を捨てろ!」
「……銃の方が危なくないですか?」
屋上の入り口に立っていた男は拳銃を構えてゆっくりと光太の元へと歩いてくる。光太は手に持っていた長剣を眺めるも手放す気にはならず拳銃を構えた男を見据えた。僅かに拳銃を構えた男の手が震えているのを見て片手で剣の切っ先を男に向ける。
「どうしたんですか? 死にたいなら早く撃てば良い。眉間はここですよ」
「貴様、なんの幻想遣いだ!」
「幻想遣いを知ってる……って事は、リノアさんの知り合いって事かな?」
「一体何を言っている……リノアを知っているのか!?」
「あのさぁ……今ちょっと腹立ってるからクールダウンの為に一回位は殺して良いよ、って言ってあげてるんだよ。早くしてくれない?」
光太の言葉に反応したのか否か。くたびれたスーツを着た髭面の警察官と思しき男は苦し紛れに発砲した。その弾丸は見事に光太の眉間を撃ち抜いていく。男は人を殺した感触に顔を顰めている。銃弾で撃ち抜かれた光太の身体は柵の上で大きく反ったが柵が邪魔だったのか前のめりに倒れていった。
「……はぁ、はぁ……なんだったんだ……あいつ」
男は屋上から出て行こうと光太に背を向けるも一歩足を踏み出した所で足を止めた。何か、大きなものが蠢いている音に気付いたのかゆっくりと男は背後を振り返った。
巨大な口が、目の前にあった。蛇、だろうか。いや、蛇の歯と言えば鉤爪の様な形になっている筈だ。こんな、『何かを咀嚼出来る』様にワニの様な歯の付き方をしていただろうか。
悲鳴を上げようとするも首から上は咀嚼されて消えた。倒れた身体もその『蛇』に貪られていく。大量の血を滴らせながら、『蛇』は男の身体を咀嚼し、そして嚥下していく。男の手首だけがぼとりと落ちる。
その瞬間、またもや屋上へ来訪した人物が屋上の扉を開いていた。
小さな丸メガネを掛けた、ゆるい三編みをした娘は屋上に居た巨大な『蛇』を見て目を見開くも諦めた様に一歩、『前』へ出た。
「九光太。それが、貴方の本当の姿なのね。ヤマタノオロチ」
娘、エルルーンはそれを見上げている。
『蛇』は大口を開けて、娘を丸呑みにした。
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