第45話どうでも良いこと
「……随分と楽しそうね」
「!」
石ベンチに座ってバザールに消えていくレティシアの背中を見送っていると背後から声を掛けられた。ベンチと言うにも粗末な作りのそれに、光太とは反対の向きを見たまま光太の隣に悠然と座った。光太は首だけ振り向いてその人物を認めると口元に笑みを浮かべながら正面へと向き直った。
「お久しぶりです、エルルーンさん。僕の前に平然と出てくるなんて凄いですね。僕が言った事忘れちゃいまいた?」
「いいえ。でも、貴方出来る限り目立ちたくないのでしょう? ここは人通りもあるし別に問題無いわ」
「いつでもひっくり返せるんですけどねぇそんな事」
「あぁ、そう」
石ベンチに座った人物、エルルーンは取り立てて興味も無さそうな声でそう返答した。光太はその反応に僅かに不満げな表情を浮かべた。
「何か御用ですか?」
「”聖なる怪物”と共に行動するなんて何を考えているの? 貴方でさえあの女は鬼門になると思ったのだけれど」
「そうですねぇ……まぁ、確かにガワはそうですよねぇ」
「どういう意味?」
問い質してくるエルルーンに光太は笑って返した。そもそも返答をしてやる義務は無い。
「教えてあげてもいいですけど……それより僕に教えてほしい事があるんですよ、エルルーンさん」
「……何? 私、知らない事は知らないわよ」
光太の言葉に怪訝そうにエルルーンの眉が上がる。だが光太からは見えない位置なので気にした様子は無い。
「聖なる怪物って言ってましたけど……結局、聖女ってなんですか?」
「……教会が捕まえてきた聖女よ」
「捕まえてきた?」
エルルーンの少しトーンの下がった声に光太は怪訝そうな声を出していた。エルルーンが頷くも光太からは見えない。
「聖女、及び聖人……教会は彼らの事を大聖人と呼ぶのだけれど。彼らは身体のどこかに焼き鏝で捺された様な刻印が浮き上がるの。出現する際はとても痛いそうよ」
「聖女様のは内ももにあるそうで」
「えぇ。なので実際に見た者は居ないけれど彼女の強力な信仰心を見れば一目瞭然よ。貴方だって彼女には呪いが効かないのではなくて?」
「そう言えば試して無いなぁ」
のんびりとした光太の口調にエルルーンは鼻を鳴らした。呆れた様な口調で返事が返ってくる。
「信仰心が強すぎて呪いも効かないし魔術も大して効かないのが彼女よ。守りも強固なら攻撃も最強クラス。あれの武器、何と契約してるか知ってる?」
「え? あぁー……なんか、いつも大事そうに持ってますよね」
中空を見上げて彼女がいつも大事そうに携えている剣を思い出す。溢れ出す神性なオーラとでも言うべきものから目を逸していたのもあってあまり詳細には思い出せない。とはいえ、恐らく直視すれば目が焼けるのは分かっているので見ろというのは些か妖怪には荷が重すぎる。
「知名度では最高峰、かのアーサー王が持っていたとされる伝説の聖剣、『エクスカリバー』よ」
「……どこかで聞いた事ありますね」
「聞いたことが無いって言ったらぶっ飛ばしていた所」
エルルーンの辛辣な言葉に光太は乾いた笑い声を上げていた。エルルーンの視線が一瞬光太に向くも光太は気付かない。
「あれですよね? 石に刺さって抜けなかった王様を選定する剣」
「それは具体的には別の剣なのだけれどまぁいいわ。無知に説明しても覚えないだろうし」
「仰る通り」
光太の演技掛かった返答にエルルーンは舌打ちを一つ。光太は怖や怖やと小さく呟きながら口に手を当てている。
「真面目に聞きなさい。とりあえず、極東の貴方が知っている程度には知名度が高いのよ。という事は、こっちの地方ならどれだけの知名度があるかは想像に難くないでしょう、貴方なら」
「そうですね……とりあえず剣には注意しておきますね」
「剣にはって……貴方契約しているのはあの聖なる怪物本体なのよ? 注意しなきゃいけないのは剣だけじゃないでしょう。良い? 聖女というのは神の嫁と呼ばれているの。一生純潔で居なければならない……穢れてはならないし十六歳になったら神に嫁入りしなければならないのよ。神への嫁入りの仕方は知っていて? 火炙りよ? 生きたまま。それを常日頃突きつけられる日常を送ってる様な女がまともな筈が無いでしょう?」
光太を咎める様なエルルーンの声。光太はそれが意外だったのか思わずエルルーンへと目を向けた。
「そんなに心配してくれるんですか? 僕を?」
「……してない」
そっぽを向くエルルーン。光太はその横顔を暫し見つめた後口元に笑みを滲ませる。
「心配しなくてもあれはなんとかなりますよ。多分……エルルーンさんが思ってる程厄介じゃないですよ、あの女の子」
「……あのね、そんな簡単な女じゃないと思うのだけど」
「ところでそんな忠告をしに来てくれたんですか? 違いますよね?」
光太の言葉に、エルルーンは言葉を失った様に口を閉ざした。光太はエルルーンへと目を向けている。エルルーンは俯き言葉を探している様だった。
「……あの、」
「残念ですけどゲルさん、でしたか? あの人を救う手立てはありませんよ」
「、! そう……」
光太の言葉に身体を震わせ、諦めた様に、涙を零す様に、静かに息と共に肩を落としながらエルルーンはそう応えた。
「……人外で、神に手が届きそうな存在の貴方ならもしかしたらと思ったのだけれど」
「無理ですね。あれはもう手の施しようが無い。あぁなる前に幻想を肉体から引き剥がすべきだった……まぁ、人間には無理ですよねそんな事」
声を震わせるエルルーンに、光太は無慈悲にそう言い切る。エルルーンは決意を、覚悟を決めた様に顔を上げた。それを横目に見ていた光太はつまらなさそうに目を逸す。エルルーンは長く息を吐き出すと光太に声を掛ける事も無く立ち上がりそのまま立ち去ってしまった。光太はその背中を見送る事無く空を見上げた。
晴天だ。高い場所にある太陽が光太を見下ろしている。忌々しげに目を細めたが光太が目を逸らす事は無かった。暫く眺めているとあの聖女の気配が近くなった。声を掛けられるまでは気付かないフリをしていようとぼんやり空を眺めていたが中々声を掛けられない。
なんだ? 何かあったか? だが視線は確実に光太に刺さっているのは分かるのだ。光太は空を見上げるのを止め視線を落とすと自分に熱視線を送っている存在へと目を向ける。
その途端、聖女と言っていた少女は弾かれた様に我に返った様子でこちらへと駆けてきた。今のは何だったのだろうか。小首を傾げそうになるが今は愚鈍な記憶喪失の青年である。見られていた等気付いていなかった風体を装いながら駆けてきた少女へ微笑みを浮かべた。
「おかえりなさい。ちゃんと待ってましたよ」
「た、ただいま帰りました……あ、えっと……こちらをどうぞ!」
差し出されたのはプラスチック製のカップに入れられたフルーツジュースだった。光太がそれを受け取ると少女、レティシアはほぼ密着する様な近い場所に座ってきた。そんなレティシアに少々面食らい固まっているとレティシアは光太の膝の上に持っていた紙袋を置いてきた。どうやら見て欲しいらしい。
「イチゴとりんごを買ってきたんです。そのまま切っただけなので余計な味付けとかしてないから大丈夫かと思って。光太さんはどちらが良いですか?」
紙袋に入ったままのそれらを覗き込みながらレティシアは光太に問い掛けてきた。光太はレティシアの頭が邪魔で紙袋の中身等見れないのだがレティシアは焦っているのか分からないが気にした様子も無い。そんなレティシアの髪の匂いを嗅ぐかの如く鼻先を近付けて返答してやった。
「僕はどちらでも良いですよ。聖女様のお好きな方を選んでください」
「本当ですか? では私はりんごを、!」
レティシアの顔が急に引き上げられた。幸いにも光太の顔面にレティシアの後頭部が衝突する事は無く鼻先同士もすれ違う事が出来た。だがそれは超至近距離で視線がぶつかりあったということである。
光太の唇に何か柔らかいものが当たっている。光太とレティシアも至近距離で見つめ合っているのにどうしてお互い上手く口が開けないのか。光太の唇を塞いでいるそれがレティシアの唇だと認識するのに時間は掛からなかった。レティシアは光太の目を見つめたまま固まってしまっている。光太は慌てて身体をずらし距離を取る。そう言えば先程エルルーンは『聖女とは穢れてはならない』とか言っていなかっただろうか? これはアウトになるのだろうかと恐る恐るレティシアの反応を伺う。
「……、」
顔面蒼白。アウトだなこれは。
「あ、あの……仕切り直しますか?」
口を着いて出て来た言葉は恐らくレティシアの中の『光太』と言う存在であれば言わない言葉だっただろう。だが仕方がないでは無いか興味本位で突っついてみたくなってしまったのだから。
レティシアは両手で自分の口を覆い顔面蒼白のまま立ち上がる。ふるふると首を横に振りその大きな瞳に涙を滲ませている。
「あ、えっと……すみません……その、」
「違う」
「え?」
レティシアの反応に光太は動きを止めた。レティシアには既に光太の声は耳に届いていない様子だった。光太は呆気に取られて立ち上がったレティシアを見つめている。周囲に居た人間も何事かとレティシアを見ていた。
「違う……違うのです……これは……違う、」
「あの……聖女様?」
「私、わた、私、違うぼ、ボク、ボクボクボクは、ち、違……主に、背きたい訳では、」
ボロボロと涙を零し始めたレティシア。光太もただ事では無いと察してレティシアに手を伸ばした。
「聖女様?」
「ちがう、ちがうちがうちがう私、ちがう『ボク』は、!」
レティシアは光太に背を向けた途端走り始めた。驚異的な身体能力の為か光太が瞬きをしている間に姿を消してしまった。恐らく一般人から見れば一瞬に姿が消えたと思われただろう。
「え……えー……」
ぽつん、と取り残された光太は唖然とした表情で手に持っていたフルーツジュースを一口で全て飲み干すと雑に紙袋へ入れた。
「僕……この街初めてだって言ったのに……」
どこかズレた主張をしながら紙袋を携えて立ち上がり、レティシアが消えていった方向へと歩き出す。
「うーん……でも考えようによっては僕が汚し尽くしてあげたらあの子は火炙りにされずに済むって事かなぁ……なら可愛い女の子を助ける為にいっちょ頑張りますか」
うんうんと一人頷き、ようやく走り出す光太。そもそも、身体が穢れた程度が何だというのだろう。汚れたら洗ってしまえばいいだけの話だ。神とか言う存在はやたらとそういう『どうでも良い事』を気にするものだ。相変わらず滑稽で愚かな存在なのだと実感してしまう。どこの地域も似たようなものと言うことなのだろう。寧ろ哀れと思ってやった方が良いだろうか。
それで一人の少女の命が助かるなら自分のこの考えは妙案では無かろうか。丁度、フルーツジュースを始めとした飲み買い関連で奢って貰ったのだしその位の礼は返そう。そもそも彼女は『神の嫁』なのだと言う。だとしたら、神から嫁を奪ってやる事、それは確実に『神への復讐』に該当するでは無いか。
光太は少しだけ楽しそうに見知らぬ街を駆け出した。
「……アリシア?」
町外れの廃墟。寝蔵にしているそこが余りにも静かだったのでアルヴァンは首を傾げた。買ってきた食料品をボロボロではあるがとりあえず使えるテーブルの上に置く。いつもならば自分より早くここに帰ってきている少女の姿は無い。
「……何かあったのか?」
いつも居る少女が居ないというのはなんとも落ち着かない。とはいえ強い少女だ。然程心配しなくても良いのではないかと椅子に腰を落ち着かせるもやはりそわそわしたので深い溜め息を吐いてアルヴァンはもう一度腰を上げた。
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