第39話デート
フランスのリヨンの旧市街はリヨン歴史地区にも指定されており観光客はこぞって旧市街を歩くものだ。美食の地としても名を馳せておりフランスの首都であるパリとはまた一風変わったフランスの姿を見せてくれる街である。連なる民家の赤い屋根はリヨンの象徴だ。その旧市街の石畳の道を光太とレティシアは連れたって歩いていた。聖女レティシアと知らずとも、レティシアは相当な美少女である。連れたって歩いているとは言え、光太は少し距離を置いて歩いていたので一人で歩いていると思われたのだろう。余りにもレティシアがその美貌により目立ち過ぎる為何度も声を掛けられる事案が発生し、その度に光太がさっさと歩いて行ってしまうのでレティシアは服屋で長めのカーディガンと帽子を購入し腰の長剣とその美貌を隠した。買い物中はなんだかんだと光太は待って居てくれたので恐らく人に囲まれるのが良くなかったのだろう。レティシアはそう判断を下した。
「あの、すみません。ボクのせいで時間を取ってしまって」
「あぁ、いえ。別に大丈夫ですよ。慣れているので」
「?」
記憶が無い筈なのに一体何に慣れているのかと問い質したかったが、青年の視線はレティシアでは無く街並みの方へと向いている。余程興味深いのだろうとは思うがその表情には先程まで口元に浮かんでいた笑みが消えてしまっていた。何か記憶を呼び起こす手がかりでもあるのだろうか。先に歩き始めてしまった光太を追って小走りになって追い付き隣で歩きながらレティシアは光太を見上げた。
「……そうだ。聖女様はこの街が初めてでは無いんですよね? おすすめの観光名所とか知ってますか?」
「え?」
「えっ」
レティシアの反応が意外だったのか光太は不思議そうにレティシアへと視線を向けた。レティシアは必死に頭の中を巡らせた。リヨンには何度も来ている。幻想課に用がある事もあるしここの教会に来ることもある。だが、いつも連れて来られているだけで街を散策した事等無い。そもそも外出等ほとんど許されなかったのだ。今回はほぼ特例で許された散策だと言うのを改めて突きつけられた気分だった。恐らくアーノルドはこの事実を知らないから特に大きな反対をするでも無く送り出してくれたのだ。護衛は要らないと断言したのはレティシア自身である。護衛は要らないにしても道案内位は付けて貰うべきだった。しまった。完全に失態である。
「……もしかして、聖女様もあんまり分からない感じですか?」
「えっ、あの、その、」
「あぁ、別に良いですよ。それはそれで迷子になる楽しみがあるじゃないですか」
顔を青褪めさせていると光太は意外にもそう言ってくれた。
呆然とした表情でレティシアは光太を見上げ言葉を失っている。光太はそんなレティシアをまた不思議そうな目を向けてきた。
「どうしました? 宛もなく歩くのは嫌でした?」
「えっいえ……そんな、事は……」
「どうせ迷子になってもその辺に居る人に道聞けばいいでしょうし。そんなに緊張する事もないと思いますよ? 聖女様は真面目そうだからそういうのに耐性無いのかもしれないけど」
光太はただの青年みたいに笑っている。出会った時から人間では無い事には気がついていたのに。どこにでも居る、ただの等身大の青年にしか見えなくて言葉を失った。
「楽しまないと損ですよ」
「………………」
今までは聖女だからと言う理由で完璧を求められた。周囲の人間から圧力とも取れる程の期待に応えなければと必死になっていたのだ。こんなうっかり、恐らく常であれば認められない。なのに、この青年はあっさりと認めた上に「楽しもう」とまで言ってきた。常ならばありえない。ありえない事態に、レティシアの脳内は混乱していた。
混乱したまま、差し出された手を取ってしまった。青年が、飾らない笑みで笑っている。戸惑いつつも、レティシアはその笑みに微笑み返していた。
何故か、以前自分の手で殺した幼馴染を思い出した。
全く違う少女なのに。類似している箇所と言えば年下の美少女と言う点だけだろう。あの少女も少し目を離すとすぐ人に声を掛けられていた。美少女の宿命なんだろうと思う。人に声を掛けられて足を止めた少女を少し離れた位置から眺めていると慌てた様に、それでも少し嬉しそうに人を振り切ってこちらへと走ってくるのだ。まるで、待ってくれているのが嬉しいとでも言いたげなその姿を見て妙に心が満たされた。まるで自分を飼い主だと勘違いしている子犬みたいだ。 幼馴染の時は照れ臭くて手なんて握ってやらなかった。どこにも行かないように、連れて行かれないように手を握って走ったのは随分前の様な気がする。それこそあの時、
「光太さん?」
「、」
死んだ女を懐かしんでいる場合では無い。手を繋いだ少女が不思議そうに自分を見上げている。そうだった。今自分は記憶喪失の青年だ。変なことを言うと妙に思われるかもしれない。
「すみません。考え事をしてました」
「もしかして……東洋人に見えましたけどこの街並みに見覚えがある、とかですか?」
「え?」
「光太さんはなんだがとても感慨深そうに街を見ていたので」
「……そ、そう見えましたかね……?」
金髪の少女の言葉に、光太は頬を引き攣らせた。そう言えば年甲斐も無く先程はしゃいだのだ。人間として生きたのはたかが19年程度ではあるが大妖怪と言われる程の存在の自負位はある。19年なんて月日はたかが端数程度なものだが大妖怪としても初めての国外は初めて見るものばかりで興奮してしまった。身体の精神年齢に引っ張られてしまったのかもしれない。
いや、恐らくそれだけではない。
「………………」
「?」
難しい表情で黙り込んでしまった光太が不思議だったのかレティシアは首を傾げていた。
「いえ……もしかしたら、何か思い出すかもしれません。付き合って貰えますか?」
「はい。ボクで良ければ」
光太が笑えば少女も笑った。生真面目と言う言葉をそのまま人の形にしたかの様な少女だったのにその笑みは余りにも柔らかくて眩しいものに見える。周囲の視線を根こそぎ奪う事をなんとも思わないと言った表情はあの幼馴染の少女を思い出すには十分だった。周囲の視線が集まっている気がする。光太は気にならないので無視できるが彼女は気がついた様子も無い。
「そんな所まで似て無くて良いのに」
「? 何か言いましたか?」
「いいえ、行きましょう」
少女を連れて歩き出した。脳裏をちらつくのは自分の手で殺した少女の笑った顔だ。
隣に居るのは何故彼女では無いのか。それは自分が一番良く知っているはずなのにそんな事を思ってしまった。
復讐の名目で愛する少女を殺したのは紛れもなく自分だと言うのに。
一体、いつまであの女は人の心を占拠し続けているつもりなのか。胸中で一つ舌打ちをした。
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