第33話鬼灯色の畢命
物陰からそっと周囲を確認する。作戦通り、看守や警察官諸々はレギンレイヴを追って大半が出払っている。中にはレギンレイヴの魔術により洗脳されてレギンレイヴによって『借り出されている』。刑務所はほぼ空っぽと言って良かったが、レギンレイヴの洗脳が溶けていないこの棟に居る囚人達はいつも通りに行動していた。他の棟所属の看守達に洗脳は行っていない。それでもレギンレイヴ脱獄の声しか聞こえていないという事はレギンレイヴの脱獄しかまだ判明していないからだろう。混乱に乗じて他の囚人はどの位逃げるのかと思っていたが、ゲルが思っているよりも数は少なそうだ。そんな事を考えながら、ゲルは堂々と分厚い扉を開いて刑務所から脱獄した。
彼が向かうのは囚人たちを収容する刑務所に隣接した警察官や看守達が宿直する際に使われる棟へと足を運んだ。ここには、囚人たちの私物を保管する部屋もある。ゲルは悠々とその棟へと侵入しその保管部屋へと足を向けた。地図なら頭の中に叩きこんである。
ゲルがここに収容されたのは現行犯逮捕されたのが原因だった。理由は人殺しである。とある泥棒の男が逮捕された。その男がこの刑務所へと収容されようと車から降りた際ゲルが持っていた拳銃で眉間を撃ちぬかれたのだ。ゲルは特に身を隠しても居なかった。その時のレギンレイヴの慌てようと言ったら無かった。その時はとっさにレギンレイヴには作戦だからと言いくるめてしまったがゲルらしからぬ衝動的行動だったのは事実だった。衝動的行動だったことはレギンレイヴには言っていない。きっと頭がおかしくなったと恐ろしく心配されるだろう。今までこんな事は無かった。どんな盗みや犯罪をするにも緻密に計算され尽くした計画を実行に移すというのがゲルのやり方だった。そのはずなのだ。
最低限、残った警察官達に見つからないように棟の中を移動しながらゲルは苦笑した。こんな、作戦と言えないような作戦を実行している自分があまりにも間抜けに感じて仕方が無い。そこまで、そこまで衰えているというのだろうか。
暫くすると目的地である保管部屋へと辿り着いた。簡素な棚に囚人たちの私物が所狭しと並べられている。その中に、つい最近保留で置かれた物を探し当てる。先日ゲルが殺した男の私物である。遺族も何も見つかっていない身分の分からない男に私物を引き取りに来るような存在は居なかったのだ。ざまぁないと心中で嘲りゲルは男の私物を広げた。ゲルの目的の物はすぐに目に付いた。大切に、本当に大切にされていたと思しき小さな袋があった。逆さまにしてみればそこから指輪が一つ落ちてくる。玩具の指輪である。子供の指に嵌めるような、簡素な指輪。青いガラス球があしらえてあるだけの簡素な作りだ。
「ったく……人の物盗んでおきながらこれだけ私物だとか抜かしやがって」
悪態を吐きながらその小さな袋だけ懐に仕舞いこむ。ちょうどその時だ。
「おい、こんな所で何をしている!?」
「!」
保管部屋の扉が開き、拳銃を構えた警察官が一人飛び込んできた。若い男性警察官だ。銃口はほんの少し震えているようにも見える。ゲルは銃口を向けられながらも慌てずに両手を上げた。
「オレは別に怪しいもんじゃねーぜ」
「囚人服を着ている奴が何を……どう考えても自分の私物を取りに来た囚人だろう! さぁ、大人しく戻るんだ!」
ゲルは静かに銃口を見つめ、深い溜息を吐いた。そして、大きく口元を歪ませて笑う。
「アホ言うなよ。逃げるって」
ゲルが後ろへと跳躍する。大きく跳躍したゲルの体がちょうど真後ろにあった窓ガラスに背中から張り付いた形になった。窓の縁に手と足を引っ掛け、もう片方の足で窓ガラスを蹴り割る。ゲルの行動に唖然としていた警察官もハッとした様子で銃を構え直した。どうせここは建物の一階部分だ。落ちた所で特に何も無いだろう。ゲルは若い警察官を新人だと結論付けてそのまま窓から建物から逃げ出そうとする。後ろへ転がり落ちる直前に、警戒の為に警察官へと目を向ける。
その瞳が鬼灯の様に赤く染まっていることに気がつき舌打ちする。だが、それも遅い。警察官は悠長にしていたゲルの右肩を拳銃で撃ちぬいた。ゲルはその衝撃で窓から建物の外へと吹き飛ばされる。左手で傷口を咄嗟に庇うも窓から警察官が出てきて悠々と歩いてくるのが見えた。先ほどまでその瞳はあんなにも赤くなかった。ゲルは口元に笑みを浮かべてとりあえず問い掛ける。
「聖女様には会えたかい?」
『貴方の名前を伝えておきました。僕は聖女様に保護してもらいますのでご心配なく』
先ほど聞いた警察官の声とは違うようだった。その口から放たれたのは九光太その人の声である。
「ハッ……何か小細工位はしてるだろうと思ったが、まさか一人横取りされていたとはね」
『まぁ、授業料って事で』
警察官は肩を竦めている。警察官は余裕のある笑みを浮かべてゲルを見た。
『別に逃げても良いですよ。とりあえず、ご報告までに』
「変な所で律儀なんだな……」
『これでも日本育ちなんで』
にこっと人好きのする笑み。ゲルはあ、そう。とだけ返事を返すと傷口を庇いつつどこからともなく取り出した扇子を使ってふわりと浮かび上がる。上空へ退避してから一瞬だけ警察官に目を落とした。
鬼灯色の瞳をした警察官は目を見開きながら自分の口の中に銃口を突っ込んでいるのが見えた。見開かれた赤い瞳からは大粒の涙が零れている様だった。ゲルはもう一度舌打ちしてその場を後にする。
数秒後、声にならない絶叫と銃声が響いた。
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