第32話聖女の救済
「ボクに客……ですか?」
レティシアは首を傾げて報告してきた執事に問いただした。眉間にしわを寄せた険しい顔をしている執事は白髪交じりの頭を一先ず上げてレティシアを見る。レティシアも困惑した様子で執事を見上げている。そろそろ自分を呼び出した警察との謁見時間だ。そうそう時間に余裕はない。
「なんでも、今すぐ会わなければと言っているようでして……」
「急ぎの用、ですか……」
レティシアが思案を始めるもそんな事はお構いなしに廊下から慌ただしい音が響いてくる。男のドスの効いた低い声で止まれや撃つぞと言った物騒な声だ。だがそれを振り切るように一人分の足音が先行しているようにも聞こえた。ドタバタと十数人分の足音が鳴り響き、乱暴にレティシア達の居る部屋の扉が開かれた。囚人服の様なボーダー柄の腕が一瞬見えたが、雪崩れ込むよう乱入してきた男たちに押し潰されてその腕の持ち主の姿は確認できなかった。山のように折り重なった警備員達の下からか細いSOSの声が聞こえてくるが警備員達は意に介した様子もない。
驚きで唖然としているレティシアはぽかんと口を開けて折り重なる男たちを凝視する。
「あ、貴方達……」
恐る恐るレティシアが声を掛けるも警備員達は怒号を上げて侵入者を取り押さえている。警備員達の体の下から震える手が伸びてきていた。レティシアは唖然としながらその腕に目を落とす。腕はレティシアへと真っ直ぐに伸び、何かを探すようにぺたぺたと床を撫でていた。何か掴まれる突起でも探しているのかもしれない。とはいえここは高級ホテルのスイートルームだ。美しく磨かれた床にそんなものはない。むしろ滑ってしまい自力での脱出は不可能だろう。しばらく動き回っていた腕が気力を失ったかのように力なくぺたりと床に沈んでいくのを見てレティシアは慌てて警備員達を上から退かせた。
救出されたのは一人の東洋人の青年だった。床に座り込んで数回咽た後、縋るような目でレティシアを見上げてきた。レティシアはその青年のアンバランスさに思わず口を閉じていた。
随分と美しい容姿をした青年だった。だがその割に気弱そうにひそめられた眉にどこか違和感を覚える。まるで、心と体の持ち主が違うのではないかという違和感がある。確かに容姿は美しいだろう。だがそれは見目麗しいと言う意味ではなく恐らく武人の様な心の強さから来る壮健な美しさ。その『はず』である。レティシアはその奇妙な違和感を感じて首を傾げそうになっていた。だが、偉丈夫はレティシアを認めると目を潤ませながらレティシアの手を握りしめ、縋るように唇を開いていた。レティシアは突然迫ってきた偉丈夫に思わず首を後ろに引いてしまうが、青年にはそんな事関係無いとばかりに踏み込んでくる。
「お願いです! 助けてください! 僕……僕、殺されてしまいます!」
青年の訴えに、レティシアは眼の色を変えた。トンデモなく物騒な単語が飛び出してきた。レティシアはただ事ではないとぽかんと空けていた口を閉じ真剣な眼差しで青年を見つめ返した。
「僕……記憶が無くて。訳も解らないまま刑務所まで連れて行かれてしまって……僕も、悪いとは思います。でも……突然刑務所に連れて行かれてしまったから怖くて……!」
あまりの恐怖だったのだろう。まくし立ててくる青年にレティシアは小さく微笑んでみせた。
「お話はゆっくり聞きましょう。こちらへ。後はボクが引き受けます。貴方達は本来の職務へ」
「ですが危険です聖女様!」
「ボクなら大丈夫です。ご安心を」
警備員達にそう言い放ち、レティシアは青年を部屋のソファへと案内した。警備員達は不服そうな表情だがレティシアに逆らうつもりはないのだろう。言われたとおりそそくさと部屋から出て行った。青年へと目を向ければ落ち込んだように床に視線を落としている。
「すみません。話の続きを」
「あ、はい……僕、その。何も覚えてないんです。でも、訳も分からないまま刑務所へ連れて行かれました。その刑務所で出会った人に、脱獄をするよう指示されたんです。確かに、僕も悪かったと思います。でも、一生このまま訳も分からず刑務所なのかなって思ったら怖くて……」
「それで、脱獄の指示に従ってしまった……と。恐らく、貴方を囮にして自分も脱獄するつもりだった……という所でしょうか」
「わからないです。脱獄を指示した人はこうも言いました。このホテルに居る聖女を殺せ、と」
「……、」
一瞬、レティシアは体を強張らせた。だが、青年はふるふると首を横に振った。
「そんなの……そんな事出来ませんよ……」
涙混じりの声が聞こえてきた。
「そんな……人を殺すなんて恐ろしい事、僕には出来ません。でも、貴方を殺さないと僕が殺されるってだから……だから、『聖女』様ならなんとかしてくれるのではないか……って」
少しだけ、赤くなった目元で青年はレティシアを見た。レティシアは唇を噛み、拳を握り締めた。
「……貴方に脱獄を指示した者の名は分かりますか?」
「……確か、ゲルと……名乗っていました」
「……分かりました」
確信を得た様に、レティシアはコクリと頷いた。まっすぐに青年を見つめ、もう一度微笑んだ。夕暮れ時に交わした約束を、思い出した。
「えぇ、任せてください」
花が開くように笑えば、青年も安心したかのように頬を緩ませた。
「ボクが……この聖女レティシア=アダムスが貴方を救いましょう」
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