第14話狩りの準備

「帰る!?」

 突然部屋にやってきた上司の発言に、リノアは唖然とした様子だった。

「そうよ。早く荷造りしなさい」

「イリス……あまりにも急過ぎないか?」

 勝手にずかずかと部屋に入ってきたイリスに、リノアは文句を言う気にもならないらしい。ため息を吐いて自室の戸を閉めた。イリスは勝手にベッドに座る。ホテルの物ではあるが、現在はリノアの自室の様なものである。少しだけ違和感を感じながら、リノアは肩を落とした。

「ほら、早く荷造りなさい」

「……今やれと?」

「ならいつやるのよ?」

 イリスの命令に、リノアは渋々と言った様子で開かれたままで放置されていた自分のスーツケースに私物を詰め込み始めた。イリスがすっと、何故かあるリノアの私物に手を伸ばした。

「!?」

 その手に掴まれている物を見て、さすがのリノアも狼狽する。びよーんと遊ぶように両手で広げられ絶句していた。口をパクパクとして酸素不足の金魚のようだ。イリスはそれを手で弄びながら興味本位に聞いてきた。

「貴方、生理中なの?」

「お前は本当に直球だな!?」

 イリスが自分の手で弄んでいるのはリノアの下着である。部下の、よりにもよって下着を手に取ってしまう辺りどこかズレている。

「はぁ……別に、生理中でも何でもない」

「? じゃぁどうしてサニタリーショーツばっかり持ってるのよ」

「サニタリーショーツはいいぞ。この下着は大きく、大事な場所だけでなく下腹部もカバーしてくれる優れものだ! この時代、冬だけでなく冷房が利きすぎて寒いという事例も珍しくは無い。故に! この時代だからこそ、こういったサニタリーショーツというものは必要になってくるのだ! それに、面積も広いから安心感も一入だしな!」

 何故か胸を張りそう語るリノア。相変わらずの無表情でイリスはちらりとリノアを見るだけだ。

「……へぇ。貴方って本当にズボラなのね」

「ズボラとは何事だ。私は効率的にしているだけだ」

 腕を組み、少々偉そうな様子のリノア。イリスは呆れた様子で持っていた下着をスーツケースに放り込んだ。

「貴方、再来月結婚を控えてるのよね……」

「? なぜ今その話題に触れた?」

 深く溜息を吐くイリスに心底不思議そうな表情のリノア。興味を失ったようにベッドに倒れ込むイリス。不意に、イリスの携帯電話が存在を主張するように鳴りだした。イリスはのろのろと起き上がると携帯電話を取り出して通話を始める。

「私よ……えぇ、そう。分かったわ。今から行くから」

 短い通話を終え、イリスは電話を切るとベッドから立ち上がった。

「イリス! レギンレイヴの事が進展したんだな!? お前の事だからアランに捜索と一緒に調べさせでもしていたんだろう? 最近単独行動が多かったからな。どこに行けばいいんだ!?」

「生憎と、レギンレイヴの事に関しては進展なしよ。アランに調べさせていたのはご明察だけれど。私も一応課長という身分でここに来ているから。色々と接待もあるのよ。だから、貴方はここで荷造りの続きをしていなさい」

「そ……そうか」

 分かりやすく落胆するリノア。そんな彼女に背を向け、碌な挨拶も無しにイリスは部屋を出ていった。

 その鉄面皮に、小さく笑みが浮かんでいることにリノアは全く気が付いていなかった。




「おい、聞いたかよ。また通り魔だってよ」

「前は神社の子供だったな。で、今回は誰だって?」

「その神社の前に住んでた女子高生だってよ! あの神社呪われてるんじゃないか?」

 酒屋にやってきてみれば、客を無視してそんな話を繰り広げる店員達。レジに物を持っていかない限り無駄話に花を咲かせる事だろう。

 アラン・ギヴァルシュは焼酎のコーナーで腕組をして考えた後、ちらりとその無駄話をする店員達を見る。酒に詳しそうな男性店員達だ。よほど通り魔事件が衝撃的だったのだろう。表情を青ざめさせながらも犯人は誰かという話題に突入しようとしていた。溜息を吐き、意を決したようにアランは二人組に声を掛けた。

「すいません」

 アランに声を掛けられたのが意外だったのか、店員達は呆然としている。アランの様な外国人に声を掛けられる事に慣れていないのかもしれない。

「あーえと……酒を探しているんだが」

「そ、そうでしたか! いやぁお客さん日本語上手ですね!」

「いや……それほどでも」

 慣れない人間に馴れ馴れしく接されるのは慣れていない。アランは慣れない愛想笑いを浮かべて店員に対応した。人好きのする笑顔を浮かべ、店員はアランの注文を聞いてくる。

「それで、どんなお酒をお探しで?」

「あぁ……そうだな。とびっきりアルコール度数の高い酒とかあるかい?」

「きつい酒って事ですね……それなら」

 店員が奥に引っ込んで行った。程なくすると、店員が一本の瓶を持ってアランの元へとやってきた。

「スピリタスって酒なんですがね」

「スピリタス……あぁ、聞いた事があるな」

 持ってきたのは透明の瓶にこれまた透明な液体で満たされた瓶だった。ラベルにはでかでかと「SPIRYTUS」と表記されている。英語でもなければ彼が最も親しんだフランス語でも無い。輸出国はポーランドとあった。なるほど、酒好きポーランドから生まれた酒か。通りで聞きおぼえがあるわけだ。

「丁度輸入してきた物なんですがね。度数はなんと96度! そのまま呑むのはおススメ出来ないので果実酒とかをこれで作ってもらえれば、」

「それでいい」

 酒を解説する店員を無視し、アランはその瓶を手に取った。唖然とする店員に、さらなる追及をする。

「これをあるだけくれ。すぐに用意出来るか?」

 火急に話を進めるアランに、面食らった様子の店員の事も気にとめない。

「上司が大量に欲しがっててな。すぐに欲しいんだ」

「……あ、は、はい!」

 アランの答えに応じ、店員は気を取り直したように慌てて店の奥へと走って行った。手伝う為か、もう一人の店員も後を追っていく。アランはその背中を見送り、手にしたスピリタスを見た。

「さて、と」

 ゆっくりと肩を落とす。諦めたようにスピリタスから目を離し、店の窓から空を見上げた。

「……蛇狩りだ」

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