第13話変わる世界
リノアの通報により、雛が死亡した近辺は立ち入りが出来なくなった。瞬く間に広がった雛の死亡。光太の家も例外ではないのだろう。光太はリノアの計らいで一時帰宅を許された。すぐに家に警察がやってきて事情聴取されるのだろう。光太はそんなことを思いながら自宅の玄関を開いた。
無言で靴を脱ぎ、家に上がる。不意に、リビングから声が聞こえてきた。
「お向かいの雛ちゃん……殺されたんですって……」
「母さん、」
「なんで!? なんでよ……! どうしてまた通り魔なの!? 十年前……十年前に光太が助けたじゃない……! 光太の代わりにどうして生きてくれないの……!!」
母の言葉に正直動揺した。恐る恐る、扉の隙間からリビングの様子を覗き見る。母の震える小さな背中が見えた。その母に父が寄り添っている。母の目の前にあるのは、仏壇だった。光太の記憶ではあんなところに仏壇等無い。だが、その仏壇は既に数年以上はそこにあるように少々古ぼけているように見えた。
光太の目が見開かれた。
見間違うはずもない。小学生のころの光太が仏壇で笑っている。額縁の中で、無邪気に笑っていた。手に持っているのはサッカーボールだろうか。まだサッカーといったスポーツに無邪気に打ち込めた日々を思い出してしまう。いや、問題はどうしてその時の写真が『仏壇』に飾ってあるか、だ。
「あの時死んだ光太はなんだったの!?」
「母さん!」
ぐらり、と。立ち眩みがした。母のすすり泣きが聞こえてくる。父の必死の宥めが耳に痛い。ふと自室へと続く階段が見えた。自分の部屋がどうなっているのか。確かめたくなって出来る限り音を立てずに階段を上った。上った先にある見慣れた自分の部屋の戸を開いた。
小学生の男の子の部屋だった。綺麗に整頓されているのは小まめに掃除をされているからだろう。だが、置いてあった物は動かさずにそのままになっている。
見つけた時に即決めたお気に入りの勉強机。マットに、その時流行っていたゲームのモンスターが表になっているのがプリントされていて嬉しかったんだ。
随分前に棚毎捨てた少年漫画の一杯詰まった本棚。子供だましの事しか書かれていない事に失望して思い切って全部捨ててしまったはずだ。今読めば少しは違うのだろうか。
使われる事がなくなり、色あせてしまったサッカーボール。止めた理由はなんだっただろう。中学に上がる頃には既に辞めてしまっていたはずだ。
しっかりと思いだせた。しっかりと思いだせるのに、この部屋の時間はぴたりと止まったままだった。両手で顔を覆い、ずるずると床に座り込んでしまった。肩が震え、声を押し殺すように『笑った』。
「ふふ……くくく……あぁ、」
階下から母のすすり泣く声が聞こえる。指の隙間から窓の外で降りしきる雨が見えた。
「あの時殺したのは、通り魔でもなんでもなくて」
泣く気も起きない。これは決定事項であり、最初から約束されていた事だ。絶望するなんてお門違いなんだ。
「『九光太』という少年だったわけだ。これは……笑うしかないね」
誤った時間として進められていた時間が修正された。それだけの話だ。たった一人、ここに居る光太という夢だけを置き去りにして。
それならば、長くここに居る必要は無い。だが、まだ雨は降り続いている。
雨宿りの為に、もう少しだけこの部屋に居ようと思った。
「雨宿りでもしているの?」
「雨が止んだら出ていくよ」
無意識に返事をしたが、違和感に気が付いて光太はハッと顔を上げた。目の前に、光太の顔を覗き込んでいる娘が居た。昨日まで雨宿りと称してここに居たエルルーンとか言う娘だ。少しだけ半透明なのは、足元の札からホログラフィの様に映し出されているからだろう。
「……エルルーン、さん?」
「貴方の事、調べたわ。街で聞く限り、十年前に死んだ事になっているのね」
「どうしてそれを、」
「貴方が全世界に掛けた呪いでしょう? 『九光太』は十年前通り魔に殺された可哀想な小学生だと。記憶だけじゃなくて記録の改竄だなんて大それた事するのね。流石は日本でも著名な大妖怪。やることの規模が違うわ」
今日の彼女は饒舌だった。そもそもどうしてここに来たのだろうか。光太はエルルーンに問いかける。
「どうして、戻ってきたんですか?」
「戻ってきてないわ。顔を見に来ただけよ」
「どうして?」
問い質せば、答えに窮してしまったのかエルルーンの目は泳いでいた。光太は苦笑し、窓の外に目を向ける。雨は小雨になり、そろそろ止みそうだ。
「心配してくれたんですか?」
「そりゃぁ……雨宿りの恩があるもの。多少は、ね」
「……そうですか」
笑いがこみあげてくる。肩を震わせ、声を押し殺して笑う光太にエルルーンは怪訝そうな表情だ。
「まるで……人間扱いですね」
「どういう、」
「エルルーンさん。僕は、貴方を殺したい」
笑顔でそう告げた。呆然とするエルルーンはゆっくりとその言葉を理解していくようだった。
「僕が人間だった頃を知っている。それだけで理由としては十分だし、それに……貴方はとても綺麗だ」
エルルーンの顔が青ざめていく。光太は至極楽しそうにそれを眺めた。
「……そう。九光太」
「なんでしょう」
「貴方、自分が何を言っているかわかってる?」
少しだけ悲しそうに、エルルーンはそう問い掛けてきた。光太は笑った。その笑みに、エルルーンは何故か辛そうな表情だ。
「分かってますよ。十分分かってます」
「……そう」
エルルーンが手を伸ばした。ホログラフィの様な手は感触も確かではなく、何か風が当てられているような奇妙な感触だった。そんな手が光太の頬に触れる。
「ここに居る私を殺した所で私は死なないわ」
「やっぱりそうなんですか。なんとなくそうなんじゃないかと」
光太と額を合わせ、エルルーンは光太に感情の乗らない瞳を向けた。
「貴方は、早く雛の手を引いて逃げれば良かったのにね」
全くもって、その通りだ。その言葉は声にはならなかった。ふわりと重ねられた唇は、やはり奇妙な感触を残すだけだった。光太はエルルーンを見た。エルルーンは辛そうな、悲しそうな瞳のまま唇を離した。
「今のは、人間だった貴方にお別れを」
「………………」
そんなエルルーンを見て、光太はまた笑みを形作っていた。エルルーンは吐瀉物でも見る様な瞳で光太を見る。
「そして……潔く死ねばよかったのに。哀れな蛇」
その言葉を聞いて、光太は笑いが止まらなかった。思わず腹を抱えて大爆笑してしまった。エルルーンの姿が消え、恐らく階下にも聞こえてしまったのだろう。にわかにざわついた空気があった。程なくしてやってくる事も分かった。
「あははは……はは……あぁ……あーあ」
階段を上ってくる音が聞こえてくる。光太は立ち上がり、自室の窓を開けた。生家に別れを言うでもなく、光太は窓から出ていった。
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