第7話捜査
翌日。
リノアは晴れ渡った空を見上げ深い溜息を吐いていた。憂鬱な気分に浸ろうにも眩しいほど澄み渡った空がそれを許してくれそうに無い。せめて昨日の雨が長引いていてくれればどれほど良かっただろうか。そんな肩を落とすリノアに、背後から憂鬱の元凶が声を掛けてくる。
「何をしているの、リノア」
「……はい」
はぁ、と深い溜息を吐いてリノアはイリスに向き直った。イリスは腕組をしたままリノアに鋭い視線を向けている。リノアは正直イリスが苦手だった。直属の上司ではあるが、本質的に苦手なのである。
「アランは今別行動なのだから貴方と私でどうにかするしかないでしょう。そんな溜息を吐く暇があるならさっさとこちらへ来なさい」
「はぁ……何か相談事か? イリス」
「唯一幻想と契約していないのだから貴方が単独行動するわけにはいかないでしょう」
「レギンレイヴを捕まえに行くんじゃないのか?」
「レギンレイヴは可能な限り逮捕。出来なければ撃退するのが目標よ」
「なんだその撃退というのは。まるで何かから守るかのようじゃないか」
「ご明察。今回の任務は防衛なの」
「は?」
予想だにしていなかった言葉らしく、リノアはキョトンとした表情でイリスを見る。明らかにこの顔は聞いていなかった、といった顔だ。
「あぁ、言ってなかったかしら」
「レギンレイヴ逮捕としか聞いてないぞ!」
「そもそもレギンレイヴ逮捕だけなら私とアランだけで十分よ。貴方はただのお荷物にしかならないじゃない」
「そ、それは……!」
「まぁ良いわ。概要を説明するから」
イリスは出来ない部下に対して疲れた様な表情を浮かべていた。リノアはその表情に不服を申し上げたいがとりあえず言葉を飲み込む。
「今回の任務は防衛よ。とはいえ、その防衛の対象を目下アランが捜索中なのだけど」
「どういう意味だ?」
「ニホンが幻想に対しての研究がほぼ未開発なのは知っているでしょう? 研究用サンプルとして本国から送り届けた人物が居るのよ。その子を守るのが今回の仕事なのだけど、昨日脱走したらしいわ」
「じ、人体実験でもやらせてるのか……!」
「そうね。扱いは人間以下だったはずだからもっと酷い事をされたかもしれないわね」
「なっ……!」
リノアのその表情にイリスは鼻を鳴らした。恐らく、この反応が分かり切っていたからリノアに隠していたのだろう。先ほどの疲れた表情は完全にお芝居だ。リノアはそう直感した。
「なんで……そんな事」
「アランも人がいいわね。リノアにしっかり説明しないだなんて。とりあえず、私たちの仕事はその対象がレギンレイヴに捕捉される前に確保すること。そして可能ならばレギンレイヴの逮捕よ」
「でもそれじゃぁ私は……」
「貴方の仕事はその対象と私達を繋ぐ為よ。なんだかんだで誰とでも仲良く出来るのが貴方の売りでしょう? 仲良く友達ごっこをしてくれればそれでいいわ」
「いや、私はそこまで人当たりは……」
「文句でもあるわけ? 少なくともうちの課で一番人当たりがいいと連れてきたのだけど間違い?」
「いや……ナンデモナイデス。って、話はそんなんじゃない! 人体実験の話だ!」
「何か問題が?」
リノアの激昂が理解できないと言った様子のイリス。リノアは歯痒い思いを感じつつも口火を切る。
「人として扱わないとはどういうことだ? 人権を守るのが私達の仕事だろう!」
「相手は幻想に身を染めた魔術師よ。幻想遣いではないにしろ、魔術師を人間扱いする必要はないわ」
「でも……!」
「リノア。貴方は優しすぎるわ。貴方から見ればあんなの化け物以外の何者でもないはずよ。それは貴方が痛い程分かっているはずよね?」
イリスの言葉にリノアはハッと我に返ったように目を見開き、そして俯いた。
「そんな、ことは……」
「私達に遠慮しているの? なら必要ないわ。化け物には化け物の歩む道がある。それだけよ。貴方の下らない親切心なんか要らないわ」
目の前のイリスも幻想遣いだ。化け物と認めるということは彼女を化け物と認める事と同義。だが、イリスはそれを下らないと切って捨てた。
「魔術師も同じよ。でもまぁ、貴方の仕事はその魔術師を人間扱いすることだからそれでいいのかもしれないわね。さて、捜索を開始するわ。いつまでもアランに頼り切りじゃ示しが付かないもの。貴方は着いて来ればそれでいいわ」
「探すだけなら私も単独で、」
「貴方魔術に対する耐性なんて無いでしょ。魔術師をどうやって探すつもり?」
「うぐ……」
反論できずにまたもや言葉を飲み込んだ。さっさと歩いて行くイリスの後ろを着いてリノアは小走りになって着いて行った。
「すみません、お聞きしたいことがあるのですが」
九光夫は背後から掛けられた声に温和な笑みを浮かべて振り返った。外国人と思しき二十代半ば位の男性だった。その体はしっかりとビジネススーツに包まれ、髪もしっかり固めてある。緑色の瞳が印象的な美男子である。珍しい客だと思いつつ、光夫は対応する。
「何か御用ですか?」
「いえ。私にはお話し好きな息子が居まして。息子がこの神社の前を通る度にこの神社にはどんな神様が居るのという質問をされましてね。丁度近くを通りかかったし時間もあったのでこの際聞いておきたいと思いまして」
「なるほど。家族思いの良いお父さんなのですね」
「いえいえ。仕事詰めで私に出来ることなどこの位ですので」
朗らかにほほ笑む男性に、光夫は好印象を抱きコクリと頷いた。柔和な笑みを浮かべ、自分の神社の説明を始める。
「この神社は、太古の昔やまたのおろちという化け物が封印されたとされる神社です」
「やまたのおろち……とは?」
「八つの首と八つの尾を持つ巨大な蛇だと言われています。日本の古い伝説になりますが……聞きますか?」
「お恥ずかしながら、息子も私もそういった話が大好きでして。是非お聞かせ願いたいです」
随分と日本語の上手な外国人だった。朗らかに笑う男性に誘われるようにして光夫は口を開く。
「その昔、スサノオノミコトと言う一人の神様が居りました。その神様はある日、川の側ですすり泣く二人の老夫婦に出会ったそうです。その老夫婦には娘が居りました。元々八人居たそうなのですが、その場には一人の娘しか見あたらない。なんでも、近くに住むやまたのおろちと呼ばれる大妖怪が一年に一度、その時期になると娘を一人差し出せと要求してくるそうなのです。差し出さなければ川を氾濫させると」
男性は黙り込んだまま話を促してきた。何かを考え込むようにして男性は顎に手を当てている。
「そして、八年目のその年、とうとう最後の一人になってしまった娘を差し出すのが悲しくて老夫婦はすすり泣いていたというのです。スサノオノミコトは美しいクシナダ姫を見てある条件を出しました。「私がやまたのおろちを倒したらクシナダ姫を嫁にくれるか」、と」
男性の綺麗な緑色の瞳は揺らぐことも無く光夫に話の続きを催促してくる。
「老夫婦はその条件を快諾しました。やまたのおろちに殺される位ならスサノオノミコトの嫁になる方が彼女は幸せだと考えたのでしょう。そして、スサノオノミコトはやまたのおろちを打倒する為に策を講じました。まず、彼は生け贄として献上されるクシナダ姫のフリをしてやまたのおろちの元へと行きました。事前に老夫婦から酒好きだとスサノオノミコトは聞いていました。そこで、彼は大量の酒をやまたのおろちに献上したのです。その酒の名を八塩折の酒と言いまして。恐ろしく度数の高い酒なんだとか。その酒を大量に飲んだやまたのおろちはふらふらになってしまい、その隙にスサノオノミコトは自慢の剣でやまたのおろちの首と尾を切り落としてしまったのだそうです。そしてスサノオノミコトはクシナダ姫を無事妻として娶ったとか。簡単にかいつまんだ内容になりましたが、だいたいこう言った内容です。参考になりましたか?」
「はい。ありがとうございます。それで、ここに封印されていると言われているのはそのやまたのおろちなんですか?」
「正確に言えば、やまたのおろちの一部です。八つある首と尾のうち一つずつが封印されているとか」
「一部、ですか」
外国人の男性は何か考えるかのように視線を上げた。その視線の先はやまたのおろちが奉納されているとされる社へと向かっている。
小さく、男性の唇が動きその瞳に氷の様な冷たさが宿った。だが、光夫に視線を戻すと朗らかに笑っていた。
「なるほど。参考になりました。ありがとうございます。その、やまたのおろち伝説にゆかりのある神社だったのですね」
「はい。私どもはスサノオノミコトの命でこの封印を守っている一族なのです」
そう言った光夫を見て眩しそうに目を細める外国人の男性。男性は目を細めた後少しだけ笑った。
「大変興味深い話をありがとうございます」
それだけ言うと、男性は深々とお辞儀をした後光夫に背を向けて境内から去っていく。光夫は男性から早々に目を離して境内の掃除を再開していた。
「そういえば……今日は外国人の客が多いなぁ」
掃除をしながら、なんとはなしに光夫はぼやいていた。
境内へと続く長い階段を下りきり、外国人の男性は一度足を止めて境内を振り返っていた。
「……なるほど。そういうことか」
男性は小さくそう呟くとまた歩き出す。
緑色の瞳には陰が落ちている。まるで、伝説の化け物と相対することを強いられた勇者が勇気を振り絞りつつも恐れを押し隠すように。
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