第6話幸福な時間



「光ちゃん」

 冷めた声が響いた。光太は目の前の状況にただ溜息を吐くことしか出来ない。

 腕組をして仁王立ちの状態の雛。

 その雛を無表情の瞳で見上げる娘。

 正直心臓に悪い。どうしてこんなにも光太がダメージを受けているのか分からないがとりあえず心臓が痛い。きっと雛が普段見られない程激怒しているのが無表情から感じ取れるのが原因であろう。

「……光ちゃん」

「はい」

「何なの、この人」

 その質問は正直光太がしたい質問だ。光太が口を開こうとした途端、雛は怒りの形相で光太を見る。

「そもそも! なんで光ちゃんはこの人を許容してるの!? この人泥棒でしょ!」

「一応確認したけど何も取られてないし……」

「でも不法侵入には間違いないでしょ! なんで怒らないのよ!」

「いや、余りにも突飛すぎて怒る機会を失ったっていうか……雛が代わりに怒ってるから怒らなくていいかなって」

「光ちゃん!」

「はいはいごめんなさいね」

「この人が美人だから!? ねぇこの人が美人だから!?」

「それは確実に無い。確実に無いから!」

 必死の形相で詰め寄る雛をなだめる光太。娘は未だ無表情で二人のやり取りをぼんやりと見つめているだけだ。

 話を整理しようと、雛をその場に座らせ咳払いを一つして娘に向き直った。とりあえず聞きたいことを聞いてみよう。

「まず……そうだな。名前を聞いてもいいですか?」

「………………」

「あーえっと……僕の名前は、九光太。それで、こっちは櫛田雛。君は?」

 無言を不服と受け取り、光太は自分と雛を簡単に紹介した。娘は数秒の逡巡の後小さく唇を開いた。

「……エルルーン」

「エルルーンさん、でいいですか?」

「……そう」

 コクリと頷く。光太はエルルーンと名乗る娘と改めて向き直った。外国人だと見積もってはいたが、殊更聞き覚えのない響きの名前だった。

「では、エルルーンさん。どうして、こんな所で雨宿りを? ここは二階だし、しかもここは街の高台にある神社だ。わざわざこんな所に来た理由は?」

「……空を飛んでいて、一番降り易かったから」

「あー確かに。空飛んでたら高いところの方が降りやすいですよね……は?」

 エルルーンの言い放った言葉に光太は動きを止めていた。雛も怪訝そうな表情でエルルーンを見ている。

 空を、飛んでいた?

「えーっと……え?」

 耳を疑う光太。エルルーンはもう一度唇を開いた。水晶のような瞳は相変わらず感情を写していない。そのお陰で嘘なのか真なのか全く分からなかった。

「空を飛んでいたの」

「空って……空?」

「そう」

 光太が人差し指を上に向けた。簡潔にエルルーンは返答するだけだ。簡潔な娘の言葉に混乱するしか無い。空を飛んでいたとはどういう意味だろうか。そう至った可能性を出来うる限り思考してみる。

「えっと……飛行機から落ちた、とか?」

「飛行機からパラシュートで降りるには住宅街はリスクが高すぎるわ。スカイダイビングをするにしてももっと開けた場所の方がいいでしょうね」

「いやそういうことを聞いているのではなく」

「私は飛行機から落ちたわけじゃないわ。ヘリコプターから降りたわけでもない。フクロウの背中に乗ってここまで来たの」

 エルルーンの言葉に二人は空いた口が塞がらなかった。何を言っているのかこの娘は。

「フクロウって……そんなに大きかったっけ? 動物園とかに居るのって人が乗れる大きさじゃなかったと思うんだけど」

 雛が頭を捻る。光太も首を傾げながらエルルーンを見た。

「僕もそう思ったんだけど……えっと。何がなんだかよく分からないんですけど」

「そう?」

 エルルーンは意外そうに言葉を返してくる。光太と雛は訳が分からないと言った表情でエルルーンを見返した。

「貴方達ならわかると思ったのだけれど」

「どうして?」

「だって貴方達……二人して私の魔法が効かないのでしょう?」

 エルルーンの言葉はまたもや簡潔だった。現実世界では聞き慣れない単語に光太も雛も怪訝そうな表情をするしかない。

「えっと……魔法が効かないとは一体どういう意味でしょうか」

「そのままの意味。最初から私は魔法を掛けていたのに貴方達は簡単にその魔法を破ってきた。普通ならあり得ない」

 あり得ない、と言い切られた。光太は渋い表情だ。雛も訳がわからないと言った様子である。あり得ないのはこっちの台詞だ。

「私は、魔法で貴方達に見つからないようにしていたのに。まさか一発で看破するだなんて」

 エルルーンの瞳に初めて感情が宿った。何かを疑うような眼差しだ。その瞳に、光太はようやく娘を美しい人だと認識した。

「貴方達、本当にただの人間なの?」

 まさか、そんな言葉を一日に二回も聞く羽目になるとは光太も予想が付いていなかった。




 両親が寝静まった後、光太と雛はエルルーンを連れて階下に降りてきていた。無言で空腹を訴えてきたエルルーンに食べる物を与える為である。何故侵入者にここまでしなければならないのか光太には理解出来なかったが、雛に言われては折れるしかない。

「夜食用のラーメンなんかあったっけ? あ、ダメだ。この前僕が最後の一個食べたな……」

「わぁ、光ちゃんの家の台所久しぶりー」

「いいからなんか作りなよ、家庭科部」

 フライパンを取り出し、冷蔵庫を開く光太。雛は光太と共に冷蔵庫を覗き込んだ。適当につめ込まれた食材達を物色する。

「作れって言うけど何作ろう?」

「適当に肉でも炒めたら」

「お肉なんか使っていいの? まぁでもそんなに時間も掛けられないか」

 雛はうーんと唸り、改めて冷蔵庫の中身を見なおした。光太が邪魔だったのか腕で冷蔵庫を守る様に光太の前を遮った。

「光ちゃん邪魔だからあっち行ってて」

「……はい」

 雛に大人しく従うように冷蔵庫から離れる光太。一人、ぽつんと畳に正座したまま動かないエルルーンの元へと歩いて行く。机の木目でも数えているのかと光太が疑うほど微動だにしない。エルルーンと机を挟んで真向かいに座ればわずかに視線が上がったように見えたがやはりどこを見つめているのか分からなかった。

「優しいのね」

「押しが弱いだけですよ」

 静かなエルルーンの言葉に、光太はやはり静かに返答した。床の隅に追いやられていた今日の新聞を手に取る。特に面白い記事も無かったのかテレビ欄に目を移した。とはいえもう深夜近い。特別面白そうな番組はやっていないようだ。光太は興味を無くして早々に新聞を折りたたんだ。

「新聞読みます?」

「止めておくわ。特にニホンの情勢に興味があるわけじゃないから」

「そうですか」

 光太はエルルーンに目を向けた。エルルーンはやはり感情の映らない瞳で顔を上げていた。台所の雛が気になるのは台所の方へ目を向けている様子だ。

「あいつ、料理の腕はいいんですよ」

「……そう」

 興味がなさそうな口調だ。そんなエルルーンに苦笑する光太。雨が止む気配は無い。彼女の目的は雨宿りだ。雨が止んだら早々に出て行ってもらおう。光太はそう決意していた。そんな事を考えていると、エルルーンが不意に唇を開いていた。

「いいわね」

「へ?」

「良い……お嫁さんになると思うわ」

 光太を真っ直ぐに見て、エルルーンはそう言った。

 何故か、光太はその言葉にドキリとしていた。何故そうなったのかは分からない。光太としても彼女がいい嫁になるのは容易に想像出来る。だが、どうしてその話題を今出されたのだろうか。

「……何が言いたいんですか?」

「彼女、幸せにしてあげるのね」

 妙なくすぐったさに居心地の悪い光太。エルルーンは無表情のまま光太を見た。光太は居心地が悪いのでエルルーンから目を逸らす。程なくして雛が完成した料理を持って二人の元へとやってきた。準備の手伝い位しろと叱られ、渋々立ち上がって手伝い始める光太を見て微笑ましいものでも見たようにエルルーンは小さく、本当に小さく笑っていた。

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