第3話展望台



 その部屋に連れてこられた瞬間、頭に思い浮かんだ言葉は『展望台』だった。全面の壁を窓にすげ替えられたその空間はさながら空中に浮かんだ気分にさせてくれる。それが高層ビルの上層階となれば尚更だった。眼下に見下ろせる町並み。人の姿等点並の小ささに縮小されてしまっている。部屋には大きなテーブルを囲むようにして椅子が設置してあるのみだ。会議室としては上等だろう。なぜここまで景観を重視したのかは不明だが。

 彼女――イリス・フェルナンデスは一人鼻で笑うと指定された椅子に座り、周囲を見回した。自分をここに連れてきた彼らは各々所定の席に着き会議が始まることを待っている様子だった。

 イリスは豊かな金髪を腰まで伸ばし、碧玉の瞳を持つ女性だ。表情に乏しく何を考えているのかわからないとよく指摘されるがその容姿は氷の様に冷たい美しさがあった。同室している男性職員の視線が総じてイリスに集中しているのを見ても間違いではないと言えるだろう。だが、その容姿の冷たさ故か高嶺の花と思われているらしく今のところ仕事終わりに声を掛けられる、といった事案も殆ど無かった。イリスとしてはそれで上等。仕事仲間等と関係を持つ気にもならないしそもそも彼女の目的にそんな関係は邪魔以外の何者でもない。

 程なくして会議を主催する男が入室し、イリスも立ち上がって挨拶をする。そして、会議が始まった。

「では、フェルナンデス女史。お願い致します」

 イリスはコクリと頷くとゆっくりと立ち上がった。会議に出席する者達の顔をゆっくりと見回して確認すると、イリスはようやく唇を開いた。

「今回、このような会議を開いていただいたのは他でもございません。全世界で指名手配されている犯罪者『レギンレイヴ』確保の為、協力の要請と――――」

 イリスはそこで一度言葉を止めるともう一度確認するように参加者達を見回し改めて口を開く。

「彼奴の危険性に関しての詳しい説明をさせて頂きたかったからです」

 感情を映さぬ冷たい瞳でイリスがそう言うと、参加者達が眉根を寄せていた。改めてそんな事を言われるとは思わなかったからだろう。イリスはそんな反応を予想していたのか呆れたように肩を落とした。

「私達は、レギンレイヴのような存在、所謂『幻想遣い』と呼ばれる存在を逮捕する為に特化しています。その為、レギンレイヴ確保の為に皆さんに協力していただきたい事というのが……私達の行動に一切の関与もしないというお約束をしていただきたいのです」

 改めて会議室がどよめいた。自分達が逮捕するから貴方達には一切手出しをしないでほしい。これはイリスの本音でもあった。下手な者達が手出しをしてあの男の手で全員抹殺されるという事態が発生しても面倒なことこの上無いからだ。あの男はそんな無駄な事に労力を割かないとイリスはある程度予測しているが、邪魔だと判断されればあの男とて容赦しないことは分かっている。

「それはどういう意味ですか?」

 案の定質問が出た。イリスは今からの労力が最も多い事を思い出し少しだけ息を吐き出してもう一度言葉を選び出す。

「その説明を、今からさせて頂きます。ここからが彼奴がどれだけ危険か、という話になります。その為にまず、こちらを御覧ください」

 イリスは自分の席の傍に立て掛けてあったモノに手を伸ばし机の上に全員が見やすいよう立てた。

 それは、剣だった。黄金の柄を持ち、純白の鞘に収められたその剣はある種の神々しささえ放っている。教会に立てられた神聖な十字架の如く清らかな印象を与える両刃の片手剣だ。

 そんなものを取り出され、参加者達が一様に顔を顰めている。現代において、このようなものが見れるのは物好きな骨董屋か美術館や資料館と言った歴史を知る場所位だろう。余りにも場違いな存在感に首を捻る者も多数居た。

「ちなみにこれは、本物です」

 すらり、とイリスは鞘から剣を抜き放った。無機質な会議室に不似合いな黄金の剣は現実味を感じさせない程煌々と光を放っている。その刀身は鈍い銀色ではなく輝くような銀色でもってそこにあった。光を放つ剣を敬々しく胸の前で立てるイリスの姿はさながら騎士を思わせる。イリスはその剣をまた鞘に戻し、机上に置くと参加者達をまた見回して口を開いた。

「この剣の名は天啓の聖剣(デュランダル)。私の故郷であるフランスの叙事詩、『ローランの歌』に登場する英雄、ローランの愛剣です。その切れ味は切れぬもの無しと歌われた程の名剣です。大理石に叩きつけて破壊を試みましたが、大理石が両断されるのみでこの剣には傷一つ付かなかったとか」

「待ってくれ。その剣は伝説で言い伝えられている架空の剣のはずだろう」

「えぇ。これは伝説で言い伝えられている架空の剣。実際、私以外には使いこなす事は出来ないそうです」

 どういう意味だ、と首を傾げる彼らにイリスは氷の様に微笑んだ。その笑みに、顔が引き攣るものが数名居たがイリスは笑みを消して話を続ける。

「何を戯言と、と笑うものも居るかもしれません。ですが、これは事実としてお聞き下さい。この世界には、『幻想遣い』と呼ばれる者達が存在します。彼らは古くから言い伝えられている伝説・伝承・昔話等に出てくる登場人物達と契約し、彼らの武器を思うがままに操る事を許された禁断の者達」

 イリスはデュランダルを撫でながら語りはじめた。

「人々が伝説を信じることで、幻想と呼ばれる伝説・伝承・昔話等に出てくる怪物は具現化するのです。ただ、神や人物等といった彼らを打倒した者達は素直に具現化することが出来なかった。何せこの世界は彼らの世界とは違い、現実の人間達が既に溢れんばかりに存在してしまっていたから。怪物達は素直に具現化出来ても、登場人物達は素直に具現化することが出来ない。ならば、現実に存在する人間達を利用することを彼らは思いついた」

 イリスの語り口に躊躇いは無い。だが、現実しか見ていなかった会議の出席者達は動揺を隠せない。何せこれは、単なる会議だ。警察として他国の警察官と情報を共有するための『現実的』な会議。本来ならばどのようにして犯罪者を捉えるのか考える場のはず。だが、イリスは今回の犯罪者の危険性を知らせるため、この『夢のような事実』を語らざるを得なくなってしまった。

「現実の人間達と契約し、自らの武器を与え、その怪物達を打倒する。彼らと契約し、彼らの武器を得たのが『幻想遣い』と呼ばれる『我々』です。契約をする理由は本当に千差万別。単純に力が欲しいと願ったものも居れば、何かを救いたいと願ったものも居る。理由はどうあれ選ばれた彼らは幻想の武器を使うことが出来る。それが問題なのです」

 言葉を切り、イリスはまた周囲を見回した。

「我々幻想遣いは契約に成功した事で身体はその『元々武器を持っていた幻想』とほぼ同一になる。要するに、人間を辞めさせられるんです。その為、外見からは想像も付かない腕力や脚力を有しており、身体能力は普通の人間のそれとは段違いです。何せ、伝説に語り継がれる程の者達ですから。そして、その力を悪用しているものが居ない訳では無いのです。それが、今回問題となっている『レギンレイヴ』。私と部下がここへやってきたのはレギンレイヴに対して対抗する為です。私はこの通り、幻想遣いですので対抗する事は可能ですが、ニホンの警察に幻想遣いを抱えているという話は聞いたことがありません。無用な犠牲を出さない為にも、レギンレイヴ確保の際は貴方方は一切手を出さないと約束していただきたいのです」

 とはいえ、イリスとしても勝率は確実ではないのが残念な話だ。ローランは優秀な英雄であり騎士であるが、果たしてあのレギンレイヴの持つ『幻想』に対抗出来るかは別の話だ。何せ、奴とは『格』が違う。

「『レギンレイヴ』の持つ武器は遠距離武器が主ですがそれが一番厄介なのです。スナイパーライフルを用いて遠距離から狙撃しようとこちらとしても試みた覚えがありますが、撃つ前に察知されて撃退されるのがオチでした」

 故郷フランスにて、スナイパーライフルを使ってレギンレイヴを狙撃した際の事だ。事後、ライフルのスコープを覗きこんだ警察官はレギンレイヴと見事に『目が合った』と話している。その後は何が起きたのか分からないという証言を得ていた。気が付いたら、スナイパーライフルと利き腕を失っていたという報告が上がっているだけで。

 とにかく危険である事を主張しなければならない。余計な事をさせないためにも、この会議が重要であることをイリスは理解していた。訳の分からない幻想等と言うものはこちらの専門家に任せてくれればそれでいい。『現実』に生きている者達は『現実』の中に居るべきだ。

「故に、援護をしよう。ニホンの警察で捕まえよう。等と言った血迷った事は行わないで頂きたい。『あれ』はこちらで確保し、もしくは撃退すべき存在です」

 まるで化け物を扱うかのようなイリスの物言い。実際、幻想遣いは化け物以外の何者でもない。幻想武器一つで何人、いや何十人、何百人という人間が簡単に死に追いやられる。それだけは避けなくては行けないのだから。

「だが、私達にはいまいち君の言っている事は理解出来ない。まるで君は彼を化け物か何かのように扱うが、彼はあくまで人間なのだろう?」

「えぇ、そうですね。見た目はあくまで人間というのが厄介な所でしょうか。幻想がいかに危険か……そうですね。それを証明するべきでしたか」

 イリスの肩がわずかに落ちる。幻想遣いの危険性は幻想遣いの力でもって証明するべきと見るべきだろう。イリスは机上のデュランダルに手を伸ばした。躊躇う事無く鞘から剣を引き抜いた。そして、先ほどの発言者である者を見つけると、イリスの姿が消え失せる。

「!?」

 一瞬の後、発言者の目の前に躍り出たイリスはデュランダルの切っ先を発言者の喉元を引き裂くギリギリの所で止め、発言者をじっくりと眺めていた。イリスは机上に乗り上げ、デュランダルの切っ先でもって先ほどの発言者の喉を正確に狙いすましている。

「私が言いたいのは、危険性です。ここでこの方の喉を引き裂く事は十分可能でしょう。そして、私の身体能力があればここにいる全員を銃を取り出させる事無く斬殺することが可能ですが、これでは不服でしょうか?」

 イリスの瞳は相変わらず感情を映していない。喉元に迫ったデュランダルの切っ先はわずかに皮一枚程度発言者の喉を切り裂いた。痛みは無い。だが、それ故に冷たい刃の感覚に背筋が凍っている。イリスは満足したのか机上から降り、ゆっくりとした足取りで自分の席に戻ると鞘を取り上げデュランダルを鞘に戻した。傷つけた発言者には既に興味も失っているのか声を掛ける事も無い。

 呆然とする一同の中、視線が集中しているのを感じ取りつつ席に着こうと椅子を引いた。

 不意に、イリスのスーツの胸ポケットに入ったままだった携帯電話が着信音を知らせてくる。呆然としたままの参加者達を見、どうせ反論する気も無いだろうと判断するとイリスは「失礼」とだけ一言断りを入れると電話に出た。画面には部下の名前がしっかりを刻まれていた。会議中は電話をしてくるなときつく言っておいてあるはずだが、今は仕方なしに電話に出る。

「私よ」

『イリスか』

「会議中よ」

『レギンレイヴと接触した。恐らくこの近くにまだ居ると思うんだ。イリス、会議が終わるのはいつだ?』

「……リノア。私はホテルの部屋で待機していろと命令したはずだけど」

『……あ!』

「……全く貴方と言う子は……今何処なの?」

 呆れたように続きの言葉を催促させると、しばらくモゴモゴと口ごもっていたが素直に居場所を吐き出してきた。イリスは肩を落とし、今から向かうとだけ告げると早々に電話を切った。

 会議室は依然しんと静まり返ったままだ。相変わらずイリスに視線は集中している。イリスは携帯電話を懐に仕舞うと鞘に収まったままのデュランダルを手に取り議長に目を向ける。

「部下が対象であるレギンレイヴと接触をしたようですので、私は現場に急行したいと思います。レギンレイヴは正直、先ほどの私よりも恐ろしい奴です。ですので、決して接触を図らないようお願い致します」

 一礼をし、腕時計を見ながら出口に向けて歩こうと足を出す。だが、未だ沈黙を保ったままの会議室。妙な気を起こさせない為にももう少し脅しておこうとイリスのいたずら心が騒いだ。

 イリスの足が、出口ではなく逆方向に向いた。

 壁の全面が窓ガラスにすげ替えられた展望台のような会議室。イリスはこの会議室を空中会議室と命名しようとなんとなく思った。

 窓ガラスの一枚をデュランダルで切り刻むと、そのまま空中に体を踊らせた。

 高層ビルの高層階。確かエレベーターの所で確認した階数は45だったか。だがイリスとしてはどうでもいいことで。軽々と隣のビルの屋上に着地すると、そのままビルの屋上を飛び移りながら部下の居る場所への最短の道を走り始めた。

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